女性を「守る」はずだった「女子保護規定」の知られざる内容
1986年(昭和61年)に男女雇用機会均等法が施行される以前、女性の労働環境を規定する上で極めて重要な役割を果たしていたのが、労働基準法に含まれていた「女子保護規定」でした。
女子保護規定は、戦前の厳しい労働環境下で女性労働者の安全と健康を守る「正義」の名のもとで設けられたのですが、現代の視点から見れば「平等」の原則と相容れない、むしろ男女差別と認識される側面も多く含まれていました。
実際、女子保護規定は女性の職業選択を制限し、労働市場における「女性は保護されるべき存在」という偏見を強化する役割を果たしてしまったのです。
今回は、男女雇用機会均等法施行により解消されていくことになった女子保護規定について、その内容と目的、そしてそれが現代のジェンダー平等の視点から男女差別に繋がると認識されるようになった変遷を詳しく掘り下げていきます。
なお、男女雇用機会均等法施行までの変遷は、下の記事で詳細に記していますので、ぜひご覧ください。
1 戦後労働基準法に組み込まれた「保護」の視点
戦後間もない1947年(昭和22年)に制定・施行された労働基準法は、新憲法のもとで、労働者に「人たるに値する最低限の生活」を保障するという、社会正義の実現を大きな目的としていました。
この時、女性労働者については、妊娠・出産といった生理的機能や、男性に比べて体力面でハンディキャップがあるという当時の認識に基づき、特別な保護を設けることで、初めて男性と同等の「人たるに値する最低限の生活」が確保され、社会正義が実現できると考えられていました。
この法律には、世界で初めて男女同一賃金法となる「賃金についての性別差別的取扱いの禁止」(第4条)が規定された一方で、女性を年少者とともに保護するための規定が盛り込まれたのです。
2 女子保護規定の具体的な内容(労働基準法制定時)
労働基準法(制定時の条文)において、第6章(女子及び年少者)に盛り込まれた女子保護規定の主な内容は以下のようなものでした。
2-1 労働時間・深夜業に関する制限
【時間外労働及び休日労働(第61条)】
満18歳以上の女性に対し、時間外労働は1日2時間、1週6時間、1年150時間という上限が設けられていました。また、休日労働は禁止されていました。
【深夜業(第62条)】
午後10時から午前5時までの深夜の時間帯に女性を働かせることは原則禁止されていました。ただし、病院、旅館、料理店、電話交換などについては適用除外とされていました。
2-2 危険・有害な業務からの隔離
【危険有害業務、坑内労働(第63条、第64条)】
女性は、危険業務、有害業務、重量物の取扱い業務への就業が禁止されていました。特に坑内労働については、例外なく全面禁止とされていました。
2-3 母性・生理機能の保護と手当
【産前産後休業(第65条)】
産前は女性労働者の請求により6週間、産後は請求を待たずに6週間の休業が必要とされていました。このうち、産後5週間は、本人が望んでも就業させてはならない絶対的就業禁止期間でした。
【育児時間(第66条)】
生児を養育するための時間として、子が1歳に達するまでの間、女性労働者の請求により、1日2回、各々30分を与えることが義務付けられていました。
【生理休暇(第67条)】
生理日の就業が著しく困難な女性、または生理に有害な業務についている女性の請求により、生理休暇を与えることが義務付けられていました。これは戦前の工場法にはない、戦後の労働運動を背景に法案に盛り込まれた規定です。
ちなみに「生理に有害な業務」については、労働基準法67条第2項に「前項の業務の範囲は、命令で定める」と定めてありましたが、実際、この命令が発せられることはありませんでした。
【帰郷旅費等(第68条)】
女性労働者が解雇された日から14日以内に帰郷する場合、使用者は必要な旅費を負担しなければならないと定められていました。
これらの規定は、劣悪な労働環境下で女性の健康・安全を守った一方、女性の就業分野を本来可能な職域から制限する悪弊を生み出しました。女性労働者を「弱い存在」として画一的に扱うことで、多様な能力やキャリアを持つ女性に対して機会の均等を阻み、企業の採用・昇進過程で「女性であること」それ自体が不利益に働く要因となったのです。
下の表は「女子保護規定」が定められていた時の労働基準法の内容です。戦後から高度経済成長期までは、女性を保護する役割を担っていましたが、安定成長期に入ると、働く女性のキャリアアップを阻害する規定になってしまいました。

3 保護規定が抱えた問題と時代の変化
女子保護規定が制定されてから、30年近い年月が経過し、国際的なジェンダー平等を目指す動き(特に1975年の国際婦人年や、女子差別撤廃条約の採択)が活発化するにつれて、「保護」が女性の職業生活における差別的な効果を持つという認識が広まっていきました。
労働基準法研究会報告(1978年11月)では、高度経済成長期以降、女子が従来の女子向き職種に限らず、能力、個性に応じて幅広い職業分野に進出する中で、合理的理由のない特別措置は、かえって女子の職業選択の幅を狭め、それ自体差別となる可能性もあると指摘しています。
下の写真は、労働基準法研究会の様子です。労働基準法の「女子保護規定」について議論する場でありながら、写真には女性が1人しかいません。報告書に記載された委員名簿を確認すると、全委員17名中、女性委員は3名でした。

1978年(昭和53年)の労働基準法研究会報告に関しては、下にリンクした記事で詳しく解説しています、ご興味がありましたら、ご覧ください。
このような経過から、女子保護規定は、男女雇用機会均等法(1986年施行)の制定と、それに伴う労働基準法の改正(1986年及び1999年)において、母性保護(妊娠・出産に関する保護)を除いて段階的に見直され、最終的にほとんどが解消されることになったのです。
特に、女性に対する時間外・休日労働や深夜業の規制は、1999年(平成11年)施行の改正労働基準法で原則廃止されました。
最後に
かつて存在した女子保護規定について振り返ることは、単に過去の法律を知るだけでなく、女性の「保護」と「平等」という二つの価値観が、時代の要請や社会経済環境の変化に応じてどのように葛藤し、変遷してきたのかを理解できます。
「保護」が一方では、女性の安全や健康を守る意義ある措置でありながら、他方では能力や個性、職業選択の自由を奪う「差別」へと転化しうるという事実です。
当時の「正義(女子保護)」が、後の「平等」を阻害する「障壁」となった歴史から、私たちは常に社会のあり方を問い続ける必要があるでしょう。
今後も、「保護」と「平等」という二つの価値観をいかに両立させていくのか、社会全体で問い続けていくことが重要なのはいうまでもありません。
