【検証】「暴走族が毎日新聞論説室顧問を殴り殺した」は本当か──TBSアーカイブと1989年片瀬江ノ島事件の判決文
1989年(平成元年)4月17日、神奈川県藤沢市・片瀬江ノ島駅前で発生した、毎日新聞論説室顧問暴行致死事件。
この事件は「暴走族が、騒音を注意した毎日新聞論説委員である吉野正弘氏を殴り殺した事件」として語られることが多い。
当時、神奈川県下の中学校に通っていた私は、この事件に関連して「暴走族には声をかけるなどしてはならない」という注意を教師から受けた記憶がある。
実際、2023年(令和5年)のTBSアーカイブ『昭和暴走族盛衰記』(担当・疋田智さん)でも、「駅前で騒いでいた暴走族たちを注意しようとした論説委員が、逆に暴行を受けて死亡した」という形で紹介されている。
ただ、この解説記事を判決文(横浜地方裁判所 平成2年1月30日判決)に照らすと、看過できない乖離がある。横浜地裁で認定された事実は、もう少し複雑だ。
そこで、『昭和暴走族盛衰記』(及び横浜地裁判決から間もない時期の報道)と認定事実が相違している箇所を挙げて検証する。
被告人は事件当時『暴走族』ではなかった
最初に押さえておくべきは、被告人の属性である。
判決文では、2名の被告人について「いずれも少年期に一時暴走族に加入したが、その後は離脱している」と認定している。
つまり、過去に暴走族歴はあったが、すでに離脱しており、犯行時は横浜市内の会社で『自動車組立工』として勤務していた。
この点を踏まえると、「暴走族が殺害した」という言い方は、認定された事実とは一致しない。
正確には、「暴走族歴のある若者による傷害致死事件」と位置づけるのが適切だろう。
TBSアーカイブでは「駅前で騒いでいた暴走族たち」とされているが、実際には騒いでいた暴走族たちはいなかったのだ。
被害者は「注意」にとどまっていなかった
一部のメディアでは、この事件を懐古する際に、「暴走族に騒音を注意した被害者」という語りでストーリーを展開する。
しかし判決文での被害者は、それとは異なっている。
毎日新聞の論説室顧問であった被害者は、夜9時に就寝し、朝5時に起床するという、規則正しい生活を送り、日中の業務(コラム「近事片々」の執筆等)に備えていた。
しかし、1984年頃から約5年間、暴走族の騒音に悩まされるようになり、事件当夜も飲酒後にその音を聞いて強い怒りを覚えた。
その結果、駅前広場の空き地から鉄パイプを持ち出している。
長さ約3メートル、重量約11キログラム。
これを振り落とす、ないしは振り回した際、人間の頭部に直撃すれば、致命傷を負うであろう。
被害者は、これを手にして駅前に入ってくる車両を威嚇する行動に出た。
判決文では、これを「自動車を追い払うような無謀な挙」と表現している。
判決文を読むと、被害者は「注意した市民」ではなく、「飲酒のうえ鉄パイプを手にして車両を威嚇した人物」という像に近いことがわかる。
TBSアーカイブでは「駅前で騒いでいた暴走族たち」とされているが、実際には駅前を走行する車両に対して、被害者が威嚇行為をしていたのだ。
被害者が先に車両へ損害を与えていた
さらに見落とされがちなのが、被害者が、加害者の車両へ損害を与えていた点である。しかも暴走族の車両ではない。
判決文によれば、被害者は鉄パイプを振り回し、その先端を被告人X(2人の加害者のうち1人)の車両ドアに接触させ、約2.6センチの傷をつけている。
裁判所は、これを「財物に対する急迫不正の侵害」と認定した。
もちろん、損害を受けたからといって、加害者の暴力行為が正当化されるわけではない。
ただ、「一方的に注意した被害者が突然襲われた」という一部の報道とは、明らかに食い違っている。
実際、TBSアーカイブにおいて、2023年に掲載された「駅前で騒いでいた暴走族たちを注意しようとした論説委員」という表現は、判決文と見比べれば、その違いは明らかだ。
被害者は、注意をしたのではなく、暴走族ではない一般車両に「損害」を与えていた、と認定された。
下の画像は、判決後に出版された「毎日新聞戦後の重大事件早見表(改訂新版)」だが、そこに掲載された事件の概要では「同記者(筆者注:被害者)はオートバイの空ぶかしに、意見をいおうと、鉄パイプを持って近づいたところを近くにいた乗用車の2人組に殴られた。」の記載だけにとどまり、被害者が車両に損害を与えたとの記載は一切ない。

被害者側の落ち度も明確に指摘されている
この事件で特徴的なのは、量刑判断の中で被害者側の行為にも言及がある点である。
横浜地裁は、被害者が被告人Xの車両を暴走族と誤認し、追い払おうと鉄パイプを振り回し、結果的に車両に損傷を与えたことが、事件の発端になったと認定した。
そのうえで、「被害者にも相当に責められるべき点がある」と明言している。
ただし、被告人(加害者)ら2人のおこなった暴行については、積極的な加害意思に基づくものとして、弁護人が主張した正当防衛は否定された。
つまり横浜地裁が下した判決は、被告人の刑事責任を認めつつも、被害者側の行為にも問題があったと位置づけている。
TBSアーカイブでは、「暴走族たちを注意しようとした論説委員が、逆に暴行を受けて死亡した」としているが、注意ではなく、一般車両に向けて鉄パイプを振り回していたのだ。
「注意」と「鉄パイプを振り回す」では、その意味は全く違う。
私見
こうした判決が出ているにも関わらず、なぜ事件の語りは単純化されたのか。さらには「暴走族が論説委員を殺した事件」として語られるようになったのか。
ここからは、筆者の「私見」として読んでほしい。
1つ目の理由としては、被害者である吉野正弘氏が、毎日新聞社の論説室顧問であったことだ。
吉野氏は、新聞協会賞を受賞しており、判決文の中でも『社会の木鐸』といわれている。その社会的地位が、いわゆるハロー効果を生んだかもしれない。
ハロー効果により、所属の毎日新聞社を含む多くのメディアが『社会の木鐸』に対する遠慮や同情のバイアスが働き、客観的な事実検証がなされなかった可能性もある。
もし鉄パイプを手にした人物が、論説室顧問ではなく暴力団風の男性であったならば、メディアは徹底した事実検証を試みていただろう。
余談になるが、この事件が発生する1年3カ月前の「国道16号暴走族銃撃事件」では、加害者(暴力団員含む)周辺と被害者、そして沿道住民などを徹底的に取材し、真実に迫ろうとしていた。
2つ目の理由は、加害者らの過去に暴走族歴があったことだ。
事件現場の片瀬江ノ島駅は、その近くに片瀬海岸がある。そこには、地元の神奈川だけではなく、埼玉や千葉からも、改造バイクや改造車に乗った若者たちが集まっていた。
そこで起こった事件。事件当初、多くの報道機関は、この事件を暴走族の凶暴性を象徴する事件として報じた。
しかし、逮捕された犯人は暴走族ではなかった。
そこで、当時のメディアが選んだのは、犯人の職業を『自動車組立工』という現在の事実ではなく、『元暴走族』という過去の属性で語ることだった。
こうした要素が重なり、暴走族の凶暴性を象徴する事件として、現在まで伝わっているのだと私は考える。
また、この事件のように客観的な事実検証がされていない情報・報道に関しては、一次資料に立ち返る必要があるだろう。
近年は、ショート動画やインフルエンサーによる情報など、事実が判然としないものに煽られる人々が多い。
だからこそ、何かを目にした際には、その事実を検証すべき一次資料を探すことを私は心がけている。
その手間を省いたとき、事実はいつの間にか別の形に置き換わってしまう。
人は事実を忘れるのではない。事実を、より理解しやすい「物語」に置き換えて記憶してしまうのである。
この事件は、その典型例の一つなのかもしれない。
終わりに──『社会の木鐸』であった吉野正弘さんへ
私は、この事件について検証を行ったが、それは被害者である吉野正弘さんを貶めるためではない。
判決文を読む限り、彼の行動には確かに危うい部分があった。飲酒の勢いもあり、鉄パイプを手にした行動は、結果として取り返しのつかない悲劇となってしまった。判決文も、その点を指摘している。
しかし同時に、私は吉野さんの無念さや悔しさを否定することはできない。
加害者の2人は、無抵抗となった吉野さんを、容赦なく踏みつけ、殴り、しかもその場に放置して逃げた。これを無念と言わずして、何と表現すべきか。
しかも吉野さんは、長年にわたり、耐え難い住環境の中に置かれていた。
5年以上にわたり、暴走族の騒音に悩まされ続けた末に起きた事件だった。社会の問題に向き合い、言葉で社会を動かそうとしてきた『社会の木鐸』が、最後には感情を抑えきれなくなってしまった。その結末は、あまりにも残酷である。
そして皮肉なことだが、彼が生前強い憤りを抱いていた暴走族文化は、この事件を契機の一つとして、社会全体の厳しい視線に晒され、やがて衰退していくことになった。
もちろん、彼自身は、そのような形で社会を変えることを望んではいなかっただろう。
それでも、彼が長年抱き続けた「暴走族を何とかしたい」という切実な思いは、結果として社会を動かす一因になった。
どうか天国では、静かな場所で美味しいお酒を楽しみつつ、あなたが愛したコラム『近事片々』を書き続けていてほしい。
あらためて、吉野正弘さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げる。
