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【尊厳】映画『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』は、安楽死をテーマに興味深い問いを突きつける(監督:ペドロ・アルモドバル、主演:ティルダ・スウィントン、ジュリアン・ムーア)

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「私が死ぬ時は隣の部屋にいてほしい」と、安楽死を望む親友から頼まれる映画『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』は、様々な問いを突きつける作品だ

実に興味深い作品だった。さらに、正直なところ全然観るつもりはなかったので、思いがけず良い映画に出会えたという感覚も強い。

本作の予告編は劇場で何度も目にしたが、まったく観ようという気にはなれなかった。そもそも「どんな話なのか」も予告編からはよく分からなかったが(「安楽死」というキーワードが出てきていたかも覚えていない)、もし仮に話の筋が理解できたとしても観ようとは思わなかった気がする。主演の2人、ティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアが(たぶん)有名な女優なので、「この2人が出演している」ということが伝わりさえすれば十分という判断だったのかもしれないが、少なくとも私にとっては、予告編としてまったく機能しなかった。ちょうど「観ようと思っている映画のストック」が切れ、それで、「じゃあこれでも観てみるか」みたいな消極的な感じで観ることにしただけである。

本作で描かれるのは、「ステージ3の子宮頸がんと診断された女性が、いかに『死』を迎えるかを考え実行に移す」という物語だ。ストーリー展開はほぼそれしか存在しないし、登場人物もほぼ2人だけ。これ以上ないというぐらいのシンプルな作品で、だからこそ魅力を伝えるのはなかなか難しい。本編を観て、「確かにこれは、予告編を作るのが難しい作品かもしれないな」と感じた。

さて、本作においてとにかくメチャクチャ良かったのが、がんと診断されたマーサを演じたティルダ・スウィントンである。凄まじく良くてびっくりした。正直私は、彼女のことをこれまでちゃんと認識したことがなかったのだけど、これからはちょっと注目してしまうと思う。本作はまさに彼女の存在感で成り立っていると言っていいように思うし、彼女が演じたマーサという役柄も実に興味深い存在だった。

それでは、まずは内容を紹介するところから始めることにしよう。

映画『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』の内容紹介

物語は、作家のイングリッドが書店でサイン会をしている場面から始まる。彼女は昔から「死」を恐れる気持ちを強く持っていたそうで、そんな自身の感覚をテーマにした小説を上梓したばかりなのだ。するとそのサインの列に、旧友のステラが並んでいることに気づいた。別件で近くまで来る用事があり、立ち寄ってみることにしたという。

そしてイングリッドはステラから、マーサが癌センターに入院していると聞かされた。イングリッドは旧友の現状に驚く。彼女は、マーサが入院していることも、癌を患っていることも知らなかった。長い間連絡を取らずにいたからだ。

そこでイングリッドはすぐに、マーサが入院しているマンハッタン癌センターへと向かった。彼女はやせ細った状態で、ベッドの上に横たわっている。診断はステージ3の子宮頸がん。マーサは当初、治療を拒否するつもりだったそうだが、その後、「まだ人生のステージを下りるタイミングではないかもしれない」と思い直し、現在治療を受けている最中だ。

しかし一方でマーサは、「自身の癌が完治することは恐らくないだろう」とも理解していた。そしてだからだろう、彼女は「死を前にすると、生きていることが残酷に思える」と弱音とも取れることを口にする。親友の発言を受けて、どうにか勇気づけようと言葉を返すイングリッド。しかし彼女は解釈を間違えていた。マーサは「死を恐れて狼狽えている」のではなく、「どうせ回避できない死であるならば、身も心も平穏な状態で、少しは威厳を保った状態でこの世を去りたい」と考えていたのである。

こんな風に2人は、病気の話から会話を始め、そしてそれからは、会っていなかった時間を埋め合わせるかのようにお互いの話をし続けた。中でも2人は、マーサの娘ミシェルの話に時間を割く。NYタイムズの戦場記者として長く働いてきたマーサは、「母親としては失格だった」という自覚を持っている。一方ミシェルはというと、シングルマザーの母親(マーサ)が父親について何も教えてくれないことにずっと苛立ちを募らせてきたようだ。

そんな母娘のわだかまりは、マーサの癌が判明した時にも浮き彫りになった。マーサが家族に「治療を受けるつもりはない」と話をした際、ミシェルは「あなたの選択だから」と突き放すような言い方をしたというのである。マーサとミシェルの間には、今も距離があるそうだ。

しばらくしてマーサは、自ら「実験台」という表現を使いつつ、医師から勧められた新しい治療法を試したこと、そしてその結果があまり良くないことをイングリッドに話す。マーサは「少しでも希望を抱いてしまった自分がバカだった」と嘆き、そしてこの出来事が引き金となったのだろう、彼女はある大きな決断を下したのである。

イングリッドはその後、マーサから驚きの計画を聞かされた。マーサはなんと、闇サイトで安楽死用の薬を手に入れており、癌でやられる前に自ら始末をつけると決めたというのだ。ただその一方で、これまでに戦場で多くの死に触れてきた彼女は、「死にゆく者の傍には必ず誰かがいた」という記憶も強く持っていた。そんなこともあり彼女は、「自分が死を迎える時も、誰かが傍にいてくれたら嬉しい」と考えているのだ。

そしてその役回りをお願いしたいと、イングリッドは頼まれたのである。

決して、「安楽死の手伝いをしてほしい」なんて話ではない。薬は自分で飲むし、いつ安楽死するのかも教えない。警察から疑いを掛けられると思うが、罪に問われない最大限の配慮はする。「だから、隣の部屋にいてほしい」というお願いなのだ。

イングリッドは普通の人以上に「死」を恐れる気持ちを強く抱いている。そしてだからこそ、いくら親友の頼みだとはいえ、「死の直前まで一緒にいてほしい」なんて話をすぐに快諾することは出来なかった。しかし悩みに悩んだ末に、最終的にはその提案を受け入れる決断をし……。

ティルダ・スウィントンが演じたマーサの存在感が実に圧倒的で興味深かった

本作は、先述した内容紹介でほぼすべてを説明し切ったと言っていいぐらいの物語で、とにかくシンプルである。前半は「マーサと再会したイングリッドが、マーサの過去・現在・未来の話を色々と聞き、親友からの重い提案を受け入れる」という流れであり、そして後半は、「マーサが借りた森の中の家で2人が静かな日々を過ごす」だけなのだ。本当にそれ以上でもそれ以下でもなく、展開と言えるほどのストーリーがあるわけではない。

ただ何度も書いている通り、とにかくマーサが魅力的な人物であり、さらにそんなマーサをティルダ・スウィントンが素敵に演じていたので、素晴らしい作品に感じられたのだと思う。

私がマーサのどこに惹かれたのかというと、まずは「男っぽさ」みたいな部分な気がする。「男だから/女だから」みたいな話はあまりしたくないのだが、ただ本作においては、「子宮頸がんという女性特有の癌を患った女性が、見た目も振る舞いもどこまでも男性的である」という要素が、作品の魅力の1つとして機能していたように思う。

彼女はある場面で、こんな話をしていた。

女性の戦場特派員はとにかく少ない。戦争は男のものだからね。ある意味では男として生きなければならなかったわけだけど、それは私にはとても簡単なことだった。

マーサは両サイドを刈り上げたような短髪で、また、表情や顔の雰囲気には「強さ」がにじみ出ている感じがあり、見た目的にとても男っぽい。そしてその風貌は、彼女にとっては「生きやすさ」みたいなものに繋がっていたようだ。女性の世界で生きていくよりも男社会の方が馴染みやすかったということなのだろう。とすれば勝手な想像でしかないが、彼女の中には「そんな自分が、まさか子宮頸がんとはね」みたいな感覚さえあったかもしれない。

さらにマーサは、「母親」という役割に上手く収まれずにいる。彼女はちょっと色々あって、20代の頃に望まぬ形で妊娠・出産を経験しシングルマザーになった。その後、「ペーパーマガジン」を皮切りに夜のNYで記者として奔走するようになり、「とても子育てなんかしていられない」という状態になっていく。「母親」よりも「仕事」を取ったというわけだ。現代では「仕事を優先しているから男っぽい」なんて発想はむしろ古いものと受け取られるだろうが、彼女が現役バリバリだった頃にはやはりまだ、「女性は家で子育て」みたいな価値観の方が支配的だったはずだ。そしてそういう時代においても彼女は、仕事に没頭する道を選んだのである。

さて、そんなマーサの思考は実に理屈っぽく、この点でも男性的だと感じさせられた。作中では「死生観」についての彼女の思考が強く表に出るのだが、イングリッドには許容できない彼女のその思考は、客観的にはとても理屈が通っているように感じられるんじゃないかと思う。もちろん、「男は理屈、女は感情」みたいな話もステレオタイプすぎるが、とはいえそういう傾向はそれなりにはあるはずだ。そして、マーサの価値観にはとにかく「感情」がまったく入りこまない。隙のない理屈で押し通そうとするところも、個人的には凄く好きだなと思う。

またマーサに対しては、まさにその「死生観」そのものにも興味を抱かされた。私自身が普段から考えていることと結構近いものがあり、とても共感させられたのだ。もちろん、「安楽死」という選択肢を過激だと感じる人は一定数いるとは思うが(ただ私は、「安楽死」が制度として存在してほしい派である)、それはともかく、「尊厳ある死を目指したい」という感覚については頷ける部分が大きいんじゃないかと考えている。

彼女が語るその「尊厳ある死」という感覚は恐らく、娘ミシェルの父親であるフレッドのその後の話を知ったこととも関係しているのだと思う。マーサは長くフレッドと連絡を取っていなかったのだが、ミシェルがあまりにも父親についてしつこく聞いてくるため、その後の消息を調べてみることにした。すると、フレッドが事故で亡くなっていることが判明したのである。

そしてその「死に方」は、マーサに強い印象をもたらしたはずだ。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます


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