掌編小説|ナンのはなしですか❹
札幌駅南口前広場を歩いている。
空を見上げると白っぽいものが点々と浮かんでいた。何百メートルも上空だ。
それは恐らくナンで、俺の所持金に比例して上がり下がりしているらしかった。
過去に俺が所持金0円になったとき、ナンは一メートルの高さまで降りてきてくれた。ナンを見るのはその日以来だった。
俺はナンが浮いていることを隣を歩くタミヤには言わないことにした。きっとそれは俺の妄想が具現化したものなのだ。
「どこ行くの?」とタミヤがいった。
俺はタミヤのその顔をチラリと見た。
五十一歳のタミヤは年相応だったが、いつも小学生と一緒にいるからなのか、昔のような純粋さを失っていなかった。
「森彦に行こうよ」
俺はしばらく行っていないコーヒー屋に誘った。
折角だしどうせなら円山に行ってみたかった。
「三十分待ちです」
森彦の店員はそういったが、タミヤは待つといった。
「フォークリフトの仕事辞めたんだね」
「うん。辞めました」
「いつ?」
「もう一年以上経つかな」
「それで今せどりで生活してるの?」
「うん」
タミヤは俺の大学時代のひとつ下の後輩で、二十九歳から三十歳の一年だけ付き合い、そのあと俺が振った。
当時俺は十万円で山林を購入(※)して、そこに掘立て小屋を建て、半自給自足的な暮らしをしていた。
タミヤはそういう暮らしに興味があったらしく、それをきっかけに親しくなり、付き合うことになった。
「まだ山暮らししてるの?」
「いや。してない」
「そうなんだよね。伊東はある日突然飽きてリセットするんだよね」
「そう」
「少し我慢することも覚えたら?」
「俺のことはいいよ。利尻って、なんで?」
「転勤でだよ」
「いやでも、その歳ならある程度赴任先選べるでしょ?」
「必要とされて声が掛かったんだから、自分の希望よりそっちの方が良くない?」
「誰も行きたくないからだよ」
「伊東って、同じ意味のことの裏側を言うだけだよね」
「なんだよ。さっきから伊東とか。呼び捨てにして」
「伊東は伊東でしょ。ところで伊東はあれなんでしょ? 未だに『時間とか体力とか知力とか、何某かのエネルギーを仕事に差し出すのが嫌い』なんでしょ?」
「そうだよ」
「まじか。五十二にもなって?」
「なんのはなしですか?」
「伊東はさ。仕事から何か貰おうと思わないの?」
「金なんか要らないよ」
「私はさ、子供たちからエネルギー貰ってるよ」
「そりゃ先生だからだよ。工場みたいな卑しい仕事には搾取しかないよ。職業には貴賎があるんだよ」
「確かに」
「理想家のタミヤちゃんらしくないね」
「貴賎はあるよ。工場は尊いけど、せどりは卑しいよ。誰が喜ぶの? それ。安くなったときに買って、高くなったら売るんでしょ? FXで借金してたよね。そう言えば」
「なんのはなしですか?」
「それで今、どケチ生活でもしてるんでしょ?」
タミヤはコーヒーを一口飲んで、美味っ! といった。
「伊東はさ。コーヒーみたいな仕事が良いんじゃない? 人を喜ばせる仕事。私今相当ボランティアしてるのわかってるよね? 自分探しは二十代でやめとけってことをいってるよ。仕事辞めちゃうからいつまでも自分が見えないんだよ。大学のときは伊東も普通に私より一年分賢かったよ。努力を怠らないこと!」
「それはいいんだけど、一緒に旅行行かない?」
「行かねーよ」
「あのときはさ。俺が悪かったと思っていて、罪滅ぼしというか、別にどうこうというわけじゃなくて、単に悪かったなと、それが言いたかったんだよね」
「それは伊東が勝手にいつまでも妄想してるだけで、私には大昔の思い出だよ。今は私の方がお金あるし、しかも僻地手当も相当入ってくるから旅行代くらい余裕で払えるし、別に聞かれてないけど一人の方が気楽なの。
伊東はさ。ネコ飼うといいんじゃない? ネコは癒されるし、ネコの世話と餌代でそんなお金の美学みたいな呪いから自然と解放されるんじゃない?」
コーヒーは美味しかった。
俺のせいかつを考えると、とんでもなく高いコーヒーだったが、この空間と時間のことを考えると豊かだった。
二〇二八年七月三日。
俺は日高地方の牧場で働いている。
競走馬を生産している牧場で雑用というか、馬の身の回りの世話をしている。
給料は意外と良い。
牧場は俺のフォークリフトの運転技術を活かせるし、牧場作業全般にも適性があったので、お金よりその方が嬉しかった。
牧場の親方とも気が合う。住み込みの部屋も新しくして貰ったから快適だ。
G1レースでウチの馬が一着になると、少し豪華な夕食が振舞われる。
俺が今世話している馬の中から有名な馬が出てくることを想像する。
∞円のAmazonギフトカードは、あの日タミヤにあげた。
タミヤは、「私金持ちだから要らない」といった。
「次の休みのときにまた森彦で返してよ」と俺がいったら、タミヤは鼻で笑った。
「私、教頭になった方が良いかな?」
そう彼女がいったので、俺は「その方が良いよ」といった。
(終わり)
※伊東は二十五歳のときに居酒屋でおばさんに絡まれて片方の金玉を握り潰された。その賠償金が丁度十万円だった。
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