掌編小説|伊東のバイト先のはなし②(イセハラの元B)
曙美は焼き立てのパンが入った平たいプラスチックコンテナを何段も重ね、軽々と持ち上げた。
「何してんのよ、三時までに全部やってよ」180センチはある身長だけでも威圧感があるのに、曙美から発せられる言葉はいつもそれ以上だった。
このパン工場のパートの殆どは曙美の息のかかった者ばかりだった。たまに縁もゆかりもない新入りも入ってくるが、曙美がNGを出せば圧力がかかり、1か月もしない内に辞めてしまう。
これには社員たちもほとほと困惑していた。ただでさえ人手不足なのに人間関係は硬直化しているし、パート内でマイナールールも立ち上がっている上、技術的にも長年やっているため、パートの方が上なのだ。つまり、このパン工場を操っているのは、曙美一派なのだ。
曙美一派の中でも、幹部待遇の12名のパートはイセハラの元Bと呼ばれていた。
イセハラ中学の元B組、と言う共通点があったため、そう呼ばれていたのだが、いつの間にか人生の中で一度でもBに絡んだらもうそれは元B、と言う事になっていた。
実際、曙美の腹心の陽愛子などはオリックスバファローズのファンで、Bの帽子を持っている、と言う共通点しかなかった。
重量上げ選手並みの曙美の僧帽筋が膨れ上がり、レーンのレバーハンドルが回ると、ベルトコンベアが停まり、工場内は機械の清掃と点検の時間に移行した。
18時。本日の作業は終わった。
ロッカーで陽愛子が曙美に話しかけた。
「今日元Bで、浜ちゃん行かないですか?」
「イイわね。7時からでLINE流しといて」
「了解で〜す」
18時57分。曙美が「居酒屋浜ちゃん」前に到着したとき、元Bの新参メンバー流羽架が直立不動の姿勢で待っていた。
「あら。お疲れ。」
「お疲れ様です!」
「疲れてないわよ」
そう言うと、曙美は腰を屈めて暖簾を潜り、入店した。
19時27分。陽愛子がいつになく大声で喋りまくっていた。旦那がパート代を無心する上に、浮気しているっぽい、と言う内容だった。
「アンタの旦那なんて、パチンコ屋で張り込んで、そこから跡を追えばすぐ足がつくでしょ」と曙美が言った。「流羽架、その時は頼むわね」と続けた。
流羽架は「はいっ!」と元気よく返事した。
首筋にはBを模った真新しいタトゥーが入っていた。
22時10分。陽愛子はかなり泥酔して、半泣きでまだ同じ事を言っていた。
情に厚い曙美は、黙ってその話を聞いている。12人いたメンバーは、4人になっていた。家族や子供の世話で、母親たちは忙しい合間を縫って元B会に出席していた。
「だっでー、おがしくないですがー、ワタシだけ働きづめで、アイツはそのカネをパチンコでとかすんでずょー」その声は、店中に響き渡っていた。
曙美は、こんな理不尽な事があってなるものか、と思った。成敗せねばならない、とも思った。大事な子分がこれ程辛い目に遭っているのに、何もせずにいる事なんて出来ようか、いや、出来るはずがない、と強く思った。
「すいません。少しで良いんで、静かめに話してくれませんか。申し訳ありません」
と若い癖に人生に疲れた様な顔の男が、曙美たちのテーブルに向かって言ってきた。
曙美は驚いた。何が起こったのか理解するのに数秒を要した。元Bと言えば、この町で知らない者はほぼ居ない、と思っていた。それを知ってか知らずか、まあどっちでもいいんだけど、物申してくるだなんて命知らずなヤツもいたものだ、と思った。
曙美はグレープフルーツサワーを一気飲みして立ち上がり、男子トイレに向かった。
「男」と書かれた暖簾を潜ると丁度、そのクレーム男は小便をし終わり、手を洗っている所だった。
曙美はやおらその男の股間に手を伸ばし、キンタマを鷲掴みにした。
「いてててて!」とうめきながら、その男は蹲った。こういう、薄っぺらい正義感を振りかざす生意気なヤツがいるから、陽愛子の様な被害者が発生するのよ!と思うと、握る力がさらに沸いた。
「ぎ、ぎぎぎ…」
何がぎぎぎよ、天罰よ。
曙美は手首を更に内側に握り込んで、キンタマを握り潰した。
情けない背中を見せて、ばたばたしている男を見ていると自然に脚が出ていた。つまり、蹴りたい背中だった。
「何が静かめに話してくれませんか?よ。店員でもない癖に」
曙美は、やっぱりこういうヤツは分からせた方がいいのよ、と思った。
(つづく)
