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短編小説|9F

霧に包まれた池の中で、冷沢ひやさわはスワンボートを漕いでいる。
冷沢のよく知っている公園の池であることがじわじわと分かってきた。ポケットの中の携帯電話を取り出してみると、アンテナが伸びるタイプだった。
ペダルを漕ぐと、自転車のそれではなく、水の抵抗であることがありありと伝わってくる。どうも気持ちの良いものではない。
隣には、小学1年生のときの息子が座っている。何もかもが一番良いときだった。いや違う。求められる事を探れば探るほどその実態は失われ、霧のように漂い、目には見えるのだが掴むことができない。そんな気分だったようにも思う。
それでパソコンやキーボードに囲まれた仕事部屋を出て、息子と公園に出掛けたのだ。
音楽が頭から出なくなった。正確に言えば出てはいるのだが、それらを出力すると何とも使い古された、つまらないものに思えてくるのだった。全身全霊でやればやるほど慇懃無礼に思えてくる。それでは、と肩の力を抜けば当然のようにそれなりのものしか出てこない。
息子は船底に溜まっている砂や木の枝を指先で不器用に掴んでいる。それが手遊びに発展して、船体の樹脂を枝先でコツコツと弄んで、ついには身体を乗り出し枝先を水面に浸けた。目に余るほど身体を乗り出している。危険だ。
冷沢にもそれは分かっているのだが、水面から枝先を伝って、その小さな指に伝わる抵抗を一緒に楽しみたかった。そんな気持ちが勝った。
少しだけ強い風がスワンボートの頭に触れて、船体が左右に揺れた。息子を抱きかかえようとしたが、彼は自ら危険を察知して船内に身体を戻した。
そして意味もなく笑っている。
いみもなくわらっている。
イミモナクワラウ。
現在の文字コードではなく、ひらがなとカタカナしか表現できない時代の、どうしようもなく残酷だったり、滑稽だったりに、勝手に変換されてしまう時代のコンピュータ。
それが好きだった。
仕事の依頼は来ている。
それらをこなすだけで良いではないか。
もう誰も手を抜いたって気づかないし、そこまで注意深く聴き分けられる人など、もういない。
霧は益々深くてどちらに戻れば岸なのか分からない。だが所詮は小さな池である。
「虫は卵を産んだら役割を終えるのだ」
と息子は言った。
受け入れたくなかった。生物としての終焉を迎えてからの生きる時間の長さに辟易した。スワンボートのハンドルの真ん中に、小さな黄色い虫の卵が規則正しく接着されていた。
冷沢はそれを爪ですべて剥がした。息子はイミモナクワラッテイル。
いみもなくわらっている。
ただ意味もなく笑っている。
息子の笑顔までカタカナにしてはいけない、と思った。
drum set。やはりサンプリングされた同じ音ではなく、あのdrum setで叩かなければならない。
息子はまた水面に枝先を浸けていた。
水面は左右に分かれて、アナログの波が広がった。デジタルのものは自然界には存在しなかった。自由の海は広くて、目的地すら分からず、つい責任を目的にしてしまいがちだ。それはつまり、楽になりたいだけだった。
「短い音楽」は冷沢にとってやりたいものの一番近い場所にある目的地でしかなかった。そこを辿っていけば、最終目的地にたどり着けると思っていた。
霧は晴れてきたが、何一つ変わらなかった。むしろ、霧で隠れていた方が良かったとすら思えた。
目先を追っても仕方がないことだけは理解できた。もう何年も前から気付いていた。それを避けて生活することなどできないと、口にはせずに分かっていた。
脚長蜂が漂っている。
船体内部の隙間から次々湧いてきた。きっと巣があるのだろう。漂ってはあちこちに留まって、また漂う。意味もなく漂っている。息子の周りには一匹も近よらない。
「子供の心配なぞする必要などない」
と息子は言って意味もなく笑った。
生き物としての役割を終えた後こそが重要なのだ。

ボート乗り場に戻ると、脚長蜂はどこかに飛んで行ってしまった。
息子は枝を池に放り投げた。そこからアナログの波紋が広がった。きっと私はそのふたつを繋げることができる。
ボート乗り場の小屋には誰もいなかった。妻の匂いがした。息子は妻の概念と一緒にどこかへ行ってしまった。
ボート小屋に入らねばならないのだ。ささくれ立ったスイングドアから中に入ると、チェーンオイル、真っ黒になったウエスと未使用のウエス、工具箱などが最低限の個数だけ置かれていた。その傍にあった赤い発電機のチョークを引く。
やはり何度か引かねばエンジンは始動しなかった。エンジンが回転し始めると10型のブラウン管テレビの電源が投入され、白黒の映像が再生された。第一次世界大戦のヨーロッパ戦線のような映像であるが、その背景に目をやると、ヤシの木が茂っていた。
戦争。それしか方法はないのだろうか。

つづく

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