掌編小説|伊東のバイト先のはなし④(それぞれの前向き)
🚛これまでのあらすじ🍞
伊東は大学を出たものの、どうしても就職する気になれず、物流倉庫でアルバイトをすることにした。
ある日、伊東は居酒屋にいたうるさいオバさんグループに注意した所、反感を持たれて片方のキンタマを潰されてしまった。
キンタマを潰した張本人の曙美は、『ヤマサキパン』でパート従業員をしているが、実質的には彼女がパン工場を掌握していた。
伊東の仲間たちは、曙美に反撃しようとしたが、計画は筒抜けだったらしく軽く蹴散らされた。
伊東は最近、どうもおかしいと思っている。
仲間の我妻は両耳のピアスを曙美に引きちぎられ、しばらくの間逆上していた。
加東も、おでこの真ん中あたりで前髪ぱっつんにされ、怒りのオーラを出していた。
笹木などは曙美一派に実家を燃やされた。実家住みの彼が一番怒っていた。最近まで彼は、父が勤めるヤマサキパンの会議室Bで家族3人で寝泊まりしていた。彼は粘着質な所があるから、何かとんでもない事をしでかすのではないかと心配だった。
だが結局、彼らの怒りは一か月くらいで収束し、例えば我妻は背の低さをカバーするためにピアスをして虚勢を張っていたと告白して、何だか爽やかな青年になりつつある。
加東は自分の中に眠っていた「カワイイ」に目覚め、美容や服装に気を使うようになった。
笹木に至っては、親元を離れて職場の近くにアパートを借り、自立心が芽生えたのか口癖の「意味なくね」は殆ど言わなくなった。最近は筋トレまで始めている。
つまり曙美に危害を加えられた仲間は、皆前向きな人間になっているのだ。
そんな事を考えている伊東も、片方のキンタマを曙美に潰されたわけだが、何か前向きになった事があるだろうか、と思っている。
別に何も変わっていない。むしろ曙美の包囲網が狭まり、息苦しささえ感じている。
曙美に対する怒りはないのか、と言われたらそんな事はないのだが、現実的に考えてどうしようもないと半ば諦めている。
だからそれらの事象は単なる偶然だと思った。人間は兎角、共通点を探し当て、安心しようとする傾向があるのだ。
一方、何の被害も受けていない仲邑は相変わらず好戦的で、「曙美を倒そう!」と日々シュプレヒコールを上げている。
すっかり伊東たちの打倒曙美の気持ちは白けてしまっている。別に仲が悪くなったわけではないのだが、何となくみんな大人っぽくなってしまったのだった。
今日もいつもの「居酒屋浜ちゃん」に集まり、楽しく飲んでいるのだが、誰も仕事の愚痴など言わなくなった。伊東は仲間の愚痴を肴にコーラを飲むのを楽しみにしていた。聞きながら彼らの思慮の浅さを確認して、自分は彼らより物事に対して深く考えている、とマウントを取るのが好きだった。今やマウントを取れそうなのは、急進派の仲邑だけだった。
「伊東ちゃん。アレなの?いつヤる?」
伊東は、コイツは本当のバカだ、と思った。そもそも自分のキンタマが潰されるハメになったのも仲邑が煽ったからだし、曙美に反撃すると言って作戦を立てたのも仲邑だ、こいつはトラブルメーカーじゃないか、と思った。
「仲邑くん。曙美と言えば、ヤマサキパンの敷地の周りをジョギングしたら気持ち良かったよ」
と我妻が言った。彼を見ると妙に血行が良く、リングノートから切り離された1頁、みたいな耳だけが昔の彼の面影を残していた。
「わかる!あのコースいいよね!俺も走った!」
と言う笹木を見ると、服装はいつものショッピングモールの紳士服売場のものから、スポーツメーカーのものへと変わっていた。
加東もニコニコしながら頷いているが、曙美に切られた頃の前髪の長さをキープしていた。
「何だよお前ら!曙美にやられっぱなしで悔しくないのか?」
皆は曖昧な苦笑いをするだけだった。伊東も同じだった。
曙美は伊東が最初思っていたよりも、かなり強いし、どういう訳か、警察権力も及ばない上に、情報収集力も遠く及ばない。大体、今こうして反体制的な主張をしている仲邑の言質も取られているに違いなかった。何だかギクシャクしてしまった上、打倒曙美に関する活動は、ほぼ仲邑のソロプロジェクトとなったことは決定的だった。
それからというもの、仲間で浜ちゃんに行く頻度は落ちて行った。
笹木と我妻がフットサルを始めたと言う事もあるし、伊東自身もフォークリフトの運転手が慢性的な不足状態で、残業プラス週6勤務が常態化する様になってしまっていた。
仲邑と加東はヤマサキパンの工場横の空き地の茂みの中で息を潜めていた。パート終わりの曙美をこの茂みの中で見送り、背後から金属バットで殴ろうとしていた。
仲邑は強い者を倒す事に異常な執着があった。それは危険な性癖だった。
実際、仲邑はそこそこケンカも強いのだが、曙美に正面から掛かっていっても敵わない事くらいは分かっていた。
少し冷たい風が吹いて来た。伊東がキンタマを潰された頃はまだ暑かったな、と仲邑は思った。
仲邑の隣では加東が鼻の穴からぴーという音をたてながら潜んでいる。仲邑は加東の事をあまり知らない。いつからコイツは俺たちの仲間に加わったのだろう?特に誰と仲が良いのだろう?と考えていた。それでも今日の曙美襲撃に付いて来てくれたし、一応仲間なのだろう、と結論づけた。本当は伊東を誘いたかったのだが、彼はフォークリフト乗りだから最近忙しい。一番曙美の事を恨んでいる伊東ならば彼女に痛恨の一撃を喰らわせられるのに、と思っていた。
曙美だ!
目の前を横切るとやはり凄い迫力だった。
仲邑は極度に興奮した。だが何とか冷静さを保ち、物音を立てない様に注意深く近づいた。金属バットを振りかぶり、曙美の後頭部目掛けて振り下ろした。同時に加東のバットも脇腹にヒットした。
二人の腕にはガードレールか何かを打ち付けた様な感触が伝わり、激しく痺れた。
「え?ちょっと何よアンタたち?」
曙美には殆どダメージはなかった。
一番近くにいた仲邑が捕まった。
仲邑は抵抗しようとしたが、曙美の前には全くの無力だった。
彼はそのまま、IKEAで買った大きめの家具のように小脇に抱えられて、連れ去られた。
(続く)
↓第一話
