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掌編小説|ナンのはなしですか③ (一番お湯を使わない身体の拭き方)

2026年6月30日。
三千五百円の海鮮丼とか喰ったから、俺はついに所持金千円になった。
その千円もパチンコで使い、本当の一文無しになった。
すると札幌駅南口上空に浮いていたナンが地上一メートルの高さまで降りてきた。
俺は夢中でそのナンを集め、リュック=サックに入れた。
その日家に帰ると、集合ポストに「∞円」と印字されたAmazonギフトカードが入っていた。

前回までのあらすじ

Amazonギフトカードの番号面をスキャンすると、スマート=フォン画面に『∞円』と表示された。
試しに腰高窓用丈百三十五センチの遮光カーテンを注文してみた。
万が一のことも考え、二千九百八十円が二千三百四十五円に割引されている安物を注文した。
購入するボタンを押した後も、やはり残高は∞円のままだった。

俺は働くのが嫌いだ。
働くということは、時間とか体力とか知力とか、何某かのエネルギーを差し出さねばならないからだ。だから俺は先月会社を辞めた。その後隙間バイトを何回かやったがすぐアホらしくなり、昨日で働くのを一切辞めた。
それで最期に海鮮丼を喰った。そのまま餓死しようと思っていたが、生に対する執着というものは凄まじく、残金千円でパチンコ勝負に出たのだ。勝てば七月十日に最後の給料が振り込まれて、少しだけ延命できると思ったのだ。もちろん秒で負けた。
本当の文無しというのは人生初だった。
振り返ってみると、物心ついた頃には既にお年玉という形ではあるが、お金を持っていた。それから今日までなので、四十数年間所持金0円ということは、やはりなかった。
0円という状態になって世界がひっくり返った。何故だかわからないが、ナンを大量に手に入れたり、∞円のAmazonギフトカードが送られてきたり。

ガスに掛けていた鍋の水が沸騰した。
台所シンク下収納からレトルトカレーを出して、鍋に放り込んだ。
暫くしてカレーを取り出した。パウチを茹でた後のお湯は、二リットルの魔法瓶に入れた。
パウチの口を開けて、三分の二を丼に開けた。それは粗熱を取った後にラップして冷蔵庫にしまおうと思った。
パウチに残ったレトルトカレーにナンを突っ込んで中を掃除しながら食べた。
街灯の灯りが差し込んでいる。だから部屋は真っ暗ではなく、ほんのり暗い。
遮光カーテンが来たら、部屋は真っ暗になってしまう。そう考えると部屋に電気を付けねばならないと思った。
洗面器に魔法瓶のお湯を半分出して、タオルハンカチに浸した。その間に全裸になった。まだ熱湯に近い洗面器のお湯からタオルハンカチを摘み出し、熱すぎるので握るように絞った。顔から順番に拭いて行くと、最後の陰部に来る頃にはタオルは冷たくなっていた。
水道でハンカチを洗い流し、もう一度同じことを繰り返した。その頃にはお湯は適温に近づいているので、それで頭を洗う。
特に禿げていないが、俺は坊主にしている。実は坊主は電気代がかかるが、髪が長いと一回分の洗面器のお湯だけでは身体が洗えないのでそうしている。髪の毛にかかる電気代とガス代を過去に比較した結果、坊主と決定したのだ。
この日はそのまま布団を敷いて八時に寝た。

翌々日の午後、カーテンが届いた。
開梱すると、それは間違いなくカーテンだった。
カーテンを設置してみると、レースのカーテンが欲しくなったが、必要がないのでやめた。
そう考えるとカーテンも必要がなかった。

二〇二七年七月二日。
俺はあの日以来働いていない。
食料品と日用品などはAmazonギフトカードでいくらでも買えたが、家賃とガス代と通信費と電気代とエヌ=エイチ=ケイの受信料はAmazonでは払えなかったので、高そうな物をAmazonで買い、中古屋に売って現金化して払っている。
ほとんど消耗品しか買わないのだが、着心地の良い服と履き心地の良い靴を買わせてもらった。部屋の電気はまだ買っていない。夜は街灯の灯りに慣れてしまって必要性を感じなかった。しかもトイレの電球が最初からLEDなので、夜本を読むときはトイレで充分だし、その方が集中できる。
ナンが降りて来たのはあの日だけだった。
恐らく、一回きりの支援物資だったのだろう。
贅沢をしてみようと思った時期もあったが、物欲はなかった。高い物を食べようと思ったが、あのときの海鮮丼を超える美味いと感じる物は出てこない気がしてやめた。

「はい。」
「タミヤさんですか?」
「伊東さん?」
「そうです。久し振りです。」
「なんか、あったんですか?」
「あ。いや。別に何もないんだけど」
「それじゃあ、なんのはなしですか?」
「今、どこに住んでるの?」
「ワタシ、今利尻に居ます。小学校の先生をしています。伊東さんは?」
「俺は、何もしていないよ」
「何も?」
「そう。何もしてないよ」
「お金とかは?」
「お金はとりあえず大丈夫。あ。そう言えば、せどり?みたいなことをしているよ」
「セドリ? あー。せどりですね。転売みたいなヤツ? それって犯罪じゃないんですか。早いところやめてちゃんと働いてください」
「犯罪ではないよ。中古屋で売ってるだけだし」
「どうやって買ってるの?」
「あ。Amazon?」
「なんかとにかく怪しいことやめた方がいいですよ」
「ところでタミヤちゃんって、札幌来ることないの?」
「夏休みになったら、実家に帰りますよ」
「そのとき会いたいです」
「ふたりで?」
「俺こんな感じだから大学の同級生に連絡取れないよ」
「ワタシなら電話できるとか、逆に失礼ですよ」
「そうだよね」
「相変わらずクズですね。昼ごはんだけなら良いですよ」
というやり取りを、大昔の彼女にした。
一緒に旅行に行ってくれる人がいないので、仕方がなかった。
それは嘘で、彼女に罪滅ぼしがしたいと思ったのだ。きっと彼女はそんなことを望んではいない。俺の中の勝手な認知の歪みを解消したいだけだ。

つづく


#なんのはなしですか
#ナンのはなしではなくなってきました

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