「自由にやっていいよ」が、部下をフリーズさせる理由
「今回は、君のセンスで自由にやってみてよ」
そう期待を込めて伝えたときの、 若手社員の少し強張った顔。
「えっと……過去のフォーマットってありますか?」 「具体的に、どう進めるのが正解ですか?」
あれ、おかしいな。
細かく指示を出していたときは、 「窮屈です」「もっと裁量が欲しいです」って顔をしていたのに。
いざ手綱を緩めて「自由」を渡した途端、 今度は自ら「細かな指示」を求めてくる。
自由になりたかったはずなのに、指示がないと動けない。 この「渡した自由を突き返されるような違和感」に、 ずっとモヤモヤしていました。
これ、よく考えたら 「初めて補助輪を外された自転車」と同じなんですよね。
後ろから背中を押す親は、 「さあ、これで自由にどこへでも行けるぞ!」と笑顔です。 でも、サドルに座る子どもからすれば、 頼りにしていた補助輪(指示)がないのは、ただの恐怖体験。
転ぶかもしれない。痛い思いをするかもしれない。
だから、「ペダルを踏む強さは?」「どうやってバランスをとるの?」と、 必死に「絶対に転ばないためのマニュアル」を欲しがるわけです。
サーカスの「空中ブランコ」を想像してみてください。
あんなに高く、不安定な場所で、 演者が思い切って空中にダイブできるのはなぜか。 強靭なメンタルがあるからでしょうか。
違います。 「下に分厚いネットが張ってあるから」です。
絶対に地面に叩きつけられないという安心感が、 あの空中の大胆なジャンプを生んでいるんです。
行動経済学に「損失回避性」という言葉があります。
人間は「新しいことを任される喜び」よりも、 「失敗する、怒られる、評価を下げる」といった 「何かを失う痛み」を2倍以上強く恐れる生き物です。
情報にあふれ、最短ルートを探すのが得意な今の世代なら、 なおさら「失敗(損失)」を怖がります。
彼らが求めていたのは、「指示」そのものではありませんでした。 「失敗しないための保証」が欲しかったんです。
それに気づいたとき、自分のマネジメントを反省しました。
私は「自由」という名の空中に、 ネットも張らずに彼らを突き落としていただけだったのかもしれません。
本当に渡すべきだったのは、 「自由にやっていいよ」という言葉の前に、 「転んでも致命傷にはしないから、思い切ってやってこい」 という、フカフカの安全マットでした。
あなたが今、相手に渡しているのは、 思い切り飛び出すためのセーフティネットでしょうか。 それとも、ただの「宙吊りの自由」でしょうか。
あなたはどうですか?
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