残夢【第一章】⑬過去
近堂の取り調べが終わるころ、昼間来たのと同じ男が受付にきていると夏未からの内線電話が入り、小池さんと山下が警務課留置係の窓口に走ったという。俺も後を追った。
留置係の若い担当女性を差し置き、受付窓口で夏未と会話している男の背後に二人がそっと近づくと、夏未がそれに気づき急に声を高くした。
「あ、ごめんなさぁい。近堂さんはまだ誰とも面会できないんだったぁ」
「は? ざけんなよ、ねーちゃん。これ書きゃいいっていうからよぉ」
どうやら夏未は、小池さんが内線で指示した通りに近堂の父と思しき男を苛立たせている。若い留置係がオロオロしながら夏未の背後に隠れた。
「あれぇ? どっちだったかな。えーっと」
「ねーちゃん、早くしろよ」
「もしかして、あなた弁護士ですか。弁護士さんなら問題ないんですけどぉ」
そう言ってわざわざ小窓から男に向かって顔を突き出し「弁護士さんじゃないですよねぇ、どう見ても」と上から下まで舐めまわすように見て笑う。
「ばかにすんな。ふざけたこと言ってるとぶん殴るぞ。この……」
男は威勢の良いことを言いながらも半歩下がる。受付の申込用紙のバインダーをカウンターに乱暴に置いたところで山下がその手を背中側に捻り、男の耳元で囁く。
「いま、受付の人にモノを投げつけたね。公務執行妨害の疑い」
「イタタ。えっ。誰だよ、お前。投げてねぇって」
小池さんが男の肩に手を回して言う。
「でも、ぶん殴るって言っちゃったね。残念ながら脅迫罪。とりあえず二階に来て。ちょっとだけ話聞かせてくれる?」
え、いやいや、と急に慌てだした男の肩を小池さんがぽんぽんと叩き、二人で男の両脇をしっかり抱えて二階の応接室へ向かった。
「稲元先輩勘弁してくださいよ」という留置係の泣き言と夏未の「いっちょあがり」という声に目配せをして俺も階段を続いた。
「名前と職業、年齢は」
山下が尋ねる。
「オレ、何もしてねぇって」
「だったら、名前と年齢、職業」
「さっき、下のねーちゃんに言われた通りに書いたよ」
口は悪いが男は肩をすぼめて小さくなっている。俺は山下に ”お客様” のお茶を淹れるように指示し、代わりに男の向かいに座る。
「ここに書いた住所に嘘はないか。罪が増えるぞ」
面会申込用紙を応接室のテーブルに置いて強い口調で尋ねると、男の隣に座る小池さんが俺と真反対の優しい声を出す。
「さっきはごめんね。受付の女の子は態度大きいよね。ちゃんと教育しておくからね。でも本当のこと書かないと娘さんに会えないよ」
すると目をキョロキョロさせながら男は身元を明かした。
タカハシショウジ。六十九歳。
同居していた女の家を追い出され、住所不定のまま年金も受け取れずにホームレス状態。廃品回収をする仲間となんとか日々を暮らしている。年齢よりずいぶん老けて見える。
「近堂ひろ子さんの、実のお父さんなの?」
小池さんが訊ねると素直に首を縦に振った。
「そう。リコンした女が近堂だった。藤じゃなくてお堂の近堂ね。珍しいよね。娘はひろ子だよ。ひらがなのひろと子供の子。オレがつけた名前だ。ほら、薬師丸ひろ子っていただろ? 目がくりくりっとした、いい女だったよなぁ」
臭い息を吐いてニヤける男に対し、うんうんと小池さんは興味あるように頷く。
「スポーツ新聞で見たんだよ。仕事仲間が持ってた新聞に、小さく近堂ひろ子って名前があるのを見て。それで仕事仲間がね、娘さん、ここにいるんじゃねぇかって教えてくれたから。あいつがね、二年前に死んだってのは知ってたから。オレがなんとかケームショから出してやんねぇとカワイソウと思ってさ。ほら、これ差し入れしたくて」
男はコンビニのビニール袋を持ち上げて見せる。中身はパンか何かだろうか。
自分は仕事しているとでも強調するかのように「仕事仲間」という単語を繰り返すが、どうせゴミ捨て場の資源を盗んで金に換えているだけだろう。
「そっか。そっか。娘さんの好物かな。喜ぶね。離婚してからも娘さんには会ってたの?」
小池さんが優しく尋ねると小首をかしげて暫く悩み、そのまま「さあ。いつ会ったかな。覚えてねぇなぁ」とあいまいに濁した。
「別れた奥さんのお葬式とかは?」
「いやあ、死んだって知ったの最近だし」と欠けた前歯を見せて笑う。
「ではなぜ、今さら面会を?」
俺が口を開くと男は目をキョロキョロさせ、肩をすぼめた。
「そりゃ。ほら、娘だもんさ。懐かしくなって」
「離婚したのは娘さんが小さな頃ですよね。それからずっと会ってなかったのに今更? 自分がいい年だから娘に面倒見てもらおうと思ったわけか。ちょっと差し入れでもして、恩を売って、出てきたら一緒に暮らして面倒見てもらおうとか」
俺が一気にまくしたてると、小池さんが「まぁ、まぁ」とにこやかに言う。男はすまなそうな引き攣った笑いを見せた。図星か。
俺は、小池さんと一瞬目を合わせてから男に向かって静かに言う。
「娘さんは、父親は死んだと言っていた」
母親が離婚した相手のことを子供に「死んだ」と嘘をつくこともあるだろうし、あるいは娘が父を憎んで「死んだものと思っている」という発言をしたとしても不思議はない。
近堂が言っていたように「殺した」となると話は別だ。まだ伝えないでおく。
「そうですか」
男は分かりやすくしょげかえった。
「仕方ねぇ。ちっともいい親じゃなかったから。あいつはまだオレのことを恨んでるんだろう?」
「娘さん、父親に捨てられたと思ってるのかなぁ」
小池さんが適当な言葉をふって反応を見る。男は急に顔をあげた。
「捨てられたのはコッチだよ。あいつが娘を連れて出て行ったんだ」
妻が娘を連れて出て行くのは離婚の形態として全く珍しいことではない。ただ、近堂の話を聞いたあとでは「捨てられた」が違う意味を持つようにも感じた。
「捨てられるようなこと、しちゃったんだね?」
小池さんは同じ男として同情するよ、という視線を送ると男はまたしょんぼりする。
「まあね、最近はほら、やたらと男女平等っていうの。そういうの、あるでしょ」
うんうん、と小池さんは頷く。
「離婚したころのあいつも、そんな感じだったよ。女が強くなっちまった。働いてるのはオレなのに、誰の金で食ってんだって話だよ」
うんうん、という同意があると徐々に男は図々しい話し方になる。
「やりくりがヘタなのをオレの稼ぎが少ないみたいな目で見やがって、あいつ」
さっきから文句を言っている「あいつ」とは、おそらく近堂の母親のほうだろう。
「仕事で疲れて帰ってきてよ、酒も飲めねぇなんて。何のために働いてるんだって思うでしょ? 刑事さんも。それで嫌になっちまって。うるせぇ、つって。多少、手をあげたこともあったかな」
加害者のほうが「多少手をあげた」という自覚があるくらいだから、妻への暴行はしょっちゅうあったのだろう。なるほどDVに我慢できずに娘を連れて出て行ったわけか。近堂の動機が少し見えた気がした。
どうやら単純明快な話だ。あの傷害の被害者がこの父親と似ていた、あるいは父親を想起させる何かがあった、ということかもしれない。他人には分からないが、仕草や何かで。
小池さんと俺は目を合わせて頷く。
「そっか。だから娘さんはお父さんに対してあまりいい思い出を持っていないのかもね」
「そうだなぁ。今さら一緒に暮らしたいなんて無理か。いや、でもね、刑事さん」
この男は自分が公務執行妨害で事情を聞かれていることなんてすっかり忘れているようだ。山下が運んできた紙コップのお茶を受け取ると一気に飲み干し「おかわり」と言った。山下は引き攣った笑顔で会議室を出る。男は持っていたパンの袋をあけて齧り付きながら続きを話す。
「オレはね、ちゃんと反省してるんすよ。だから、やり直せるんじゃないかって、今からでも娘と家族の形を取り戻せるんじゃないかって、さ」
「いやいや、それは難しいでしょ、お父さん」
それまですべてに同意してきた小池さんも、さすがに難色を示した。
あまり調子のいいことを言えば、近堂が出てきたときに今度はこの親子で取り返しのつかない事件が起きかねない。
「近堂ひろ子さんはこう言っていました。私のお父さんは、お母さんに首を絞められて死んだ、と」
俺が神妙な面持ちで伝えると男より小池さんのほうが驚いた視線を俺に向けた。
男を凝視して観察するが、「フッ」と臭い息を吐いて笑っただけで大して反応を示さなかった。「母親に首を絞めて殺される」とうワードは男にとってはさほど重要なメッセージにはならなかったようだ。
「そっか。それはあいつの願望かもしれねぇな。そっか。オレがあいつに殺されればよかったのか」
納得したように一人で勝手に頷き、残りのパンを大事そうにポケットにしまった。
「ほら、新聞で名前を見た時もね、近堂って名前でしょ。あ、結婚してないんだって真っ先に思ったのよ。男に幻滅したんでしょ。暴力振るうような父親見て育ったら、そうなるよね。だからね、今から誠心誠意謝ったら何とかなるんじゃねぇかって。オレが死ぬ前に、ひろ子が女の幸せを取り戻せるんじゃねぇかって。まだあいつ若いだろ。結婚も出産も、まだ、あーえっと、いくつになるんだっけ。孫の顔も見たいよ」
娘の年齢も知らない親が誠心誠意謝りたいとは聞いてあきれる。死ぬ前に自分の願望を叶えたいだけではないのか。
「刑事さん、あいつはいい子だったんですよ。素直でね、お手伝いもしてくれてね。優しい子だった。いいお嫁さんになれると思うんだよ」
遠い昔の話だ。良かったころの思い出はより一層美化される。いい子だった娘の性格を捻じ曲げてしまったのは自分のせいだという自覚はないのだろうか。
そろそろ話を終えて解放してもいいかもしれない、と小池さんと目を合わせた時だった。
「あいつがね、変な宗教にさえ入らなければ」
男が呟いた。
「変な宗教?」
「アイツって言うのは、別れた奥さんのことかな」
小池さんがそっと尋ねる。
「そうそう。あいつが変な宗教にはまって、ひろ子を連れて出て行ったんだ」
「あんたの暴力に耐えられずに出て行ったんじゃないのか?」
俺が訊ねると「え、うーん、まあ、それもあるかな」と黒い歯茎で曖昧に笑う。
「でも、宗教に嵌ってからだよ。急にあいつ人が変わったみてえに反抗的になって。ウーマンリブだの雇用機会なんとかだの、へ理屈を言い返すようになって。悪知恵つけるやつがきっといたんだ。めんどくせぇったら。だから余計に腹がたって」
「余計に、手を挙げちゃった?」
「へへ」
結局、離婚理由は暴力だろう。ただ、宗教に嵌ってというのは興味深い話だった。
「なんて宗教?」
「知らねぇよ」
父親は嫌そうに首を振る。
「宗教って言うか……宗教じゃねぇか」
と急に情けない顔をし出した。
適当に出まかせを言ったのかもしれない。自分の暴力が悪いわけではないと言い訳をしたいがために。だが男は悩みながら言葉を続けた。
「ああ、セミナーって言ってたかな。外国かぶれの変な集まりだよ。どっかの山に出かけて話を聞いてきたって偉そうに言うんだ。俺が間違ってるって。だから出て行っちゃったときも、その山に行って連れ戻そうと思ったけどさ。どこだったかよく分かんなくってさ」
「山。どの辺かな。なんて名前の集まりか思い出せる?」
宗教と思われるくらいの啓発セミナーのようなものに嵌ったのだとしたら、そこで親子とも何らかの思想を刷り込まれ、その思想が事件を引き起こした可能性もある。小池さんの問いかけの答えを待った。
「うーん。覚えてねぇな。結局、出ていった後は前崎の親戚の土地に住んでただろ。あぁ。でも離婚する前からよく行ってな。あ、あいつの実家の近くだからだ。あいつの実家は長野なんだけどさ。県境だから、実家から山登ればすぐって言ってたかなぁ」
「県境」
「そうそう……」
男は一拍おいて、突然大声を出した。
「ああ、思い出した。あれだよ、あれ!」
やっとひらめいた、という明るい顔つきで指を差しだす。
「ほら。未解決の、一家惨殺事件で一躍有名になった、えっと」
男は逡巡し、そして嬉しそうに言った。
「カナドだ。そう、金門村のある、あの山だよ」
【第一章】 ~ 終 ~
【第二章】①「過去(夏)」へつづく ▶
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