東海道五十七次 徒歩の旅⑭宮宿~桑名宿
こんにちは。26歳女です。
2024年11月から12月に、18日間かけて東海道五十七次を歩きました。
この記事では、東海道五十七次を歩いた記録を書いていこうと思いますので、これから歩く人にとって参考になればと思います。
これまでの記事一覧はこちら↓
今回の内容
今回は、出発して13日目に歩いた宮宿~桑名宿について書きます。
(12月7日の名古屋観光の日は含めず)
この日は、ホテルの予約日を間違えていることに夕方に気が付き、急遽桑名で2泊することになりました。
足を延ばして、電車で伊勢神宮にいくことにしましたので、今回も番外編にその観光を載せておきます。

宮宿出発
12月8日(日)、天気は晴れ。
前日に宿泊したホテルはこちら↓
私の部屋は、暖房なしの部屋で5800円でした。
電気毛布をお借りして、全く問題なし。
朝は、このかえるのキーボックスにカギを返却して、チェックアウトしました。

せっかく名古屋に来たのならモーニングをしようと思い、近くにあったカフェに立ち寄ります。

本当はもう少しゆっくりしたかった…。
店員さんが、声をかけてくださり、少しお話をしました。
インフルエンサーじゃないのか、SNS発信していないのか、聞かれましたが、ごめんなさい、超絶一般人…(笑)
応援してくださり、朝から元気が出ました。
さて、この日は、佐屋街道と言われる道を歩いて、桑名まで向かいます。
前回の記事で、宮宿から桑名まで、海を渡る「七里の渡し」について記載をしました。その海路を迂回する形で整備された陸路のことを、佐屋街道と呼びます。
佐屋街道は、天気によって船が欠航となったり、船酔いしやすい人、犯罪に巻き込まれるのを避けるために、主に女性や子供が使用していました。

↑階段を上って、万場大橋を渡ります。
万場川では、昔は舟渡が行われていました。

↑国玉神社。延喜式神名帳という、927年に書かれた神社一覧にも載っている歴史ある神社です。
この裏には、覚王院というお寺があり、境内にある「乳の木」の身を食べると、乳の出が良くなると観音様のお告げがあった場所です。

↑光圓寺の灯篭。とんでもないビッグサイズ。

↑千音寺の一里塚。これだけは寂しい、、、。
日本に西洋医学を伝えたシーボルトは、江戸に向かう際に、ここで経度の測定をしたそうです。

↑神守の一里塚。
佐屋街道で唯一残っている一里塚で、東海道と同じく、かつては道の両側に塚が設けられていました。ただ、ここは片方の塚しか残っていません。
この木はムクの木。


↑神守祭で使用される山車庫がありました。
山車には、大きく垂らす形で造花の山車飾りが施されます。

↑神守の宿跡。佐屋街道における宿場町の跡です。
この隣には、憶感神社という、これもまた延喜式神名帳に記されている古の神社があり、雨を降らせる龍神が祀られています。

この周辺も、風が強くて大変だった…。



↑津島街道と佐屋街道の追分。
立派な常夜燈が建っていました。
右に行くと「つしま天王みち」、左は「さやみち」です。
江戸時代の終わりごろまで茶屋が立ち並び、大正時代ごろまでは松並木が立ち並んでいたそうです。

↑追分の鳥居跡。
広くて閑静な中、いきなりこの追分と鳥居跡が建っていて不思議な(変な)場所でした。

↑三重県に突入。
追分のあたりからここまで、割と離れているのですが、私のカメラフォルダには、日向ぼっこしている亀と、田んぼの道の動画しか入っていませんでした。
なぜかというと、この日(8日)に泊まろうとしていたホテルを間違えて次の日(9日)に予約し間違えていて、おろおろしていたからです。
前日ということとアゴダからの予約だったため、キャンセルには全額かかるとのこと。
しかたなく、2日連続でホテルを予約させてもらって、予定外の観光日を設けることにしました。
1時間くらい、寒い外で今後の工程と金額のにらめっこをしていた私は、この時点でだいぶ疲れ果てています。
日が暮れて伊勢大橋を渡り、クリスマス仕様になったきらびやかななばなの里とナガシマスパーランドを遠目に、ホテルまで早く着かないかなとずっと地図を見ていました。

↑桑名はちょうどイチョウの紅葉がピーク。
ここにたどり着くまでに、街頭があまりない堤防の下を通っていて、めちゃくちゃ心細かったです。

↑立派な鳥居。
桑名は想像以上に観光地でびっくりしました。
しかも、お高そうな宿がたくさん。
私は疲れ果てていて、ほとんど素通りしたので、また改めて散策をしたいです。

↑遠くに見える桑名城蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)。
あそこまでの距離さえ歩きたくなく、遠くから眺めます。

↑蟠龍櫓は、歌川広重の東海道五十三次にも描かれています。

↑途中、とんでもなく素敵な神社がありました。桑名宗社。
ここも延喜式神名帳に載っている歴史ある神社で、8月に行われる「石取祭」は、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。
真っ暗な道の中、この神社だけ明るく輝いていました。

日が暮れて明かりがついていたおかげで気が付くことができました。
この日一番感動しました。


桑名宿は、東京から約384km、京都から約120kmのところに位置しています。
伊勢参りの参宮道も控えていて、大いににぎわいました。
ここから1時間ほど歩いて、ホテルに到着です。
本日の宿
この日は、20時にビジネスホテルサンキューに到着。
楽天トラベルかじゃらんから予約する方が安いとホテルの方が教えて下さったおかげで、この日の料金は3600円。
事前にアゴダから予約していた次の日の料金は4564円でした。
(1000円も違うじゃないか)
私の部屋だけなのかわかりませんが、トイレを1回流すたびに、新幹線でも通過しているのかというくらい、ものすごい水の音がして、怖くて震えていました。
本日の記録
ホテルを間違えたことに気が付いた時間帯だけ、綺麗に行動量が落ちています(笑)

番外編:伊勢神宮観光
翌日は、伊勢神宮を目指して、久しぶりに電車に乗りました。
途中、四日市に立ち寄って、柿安で黒毛和牛をいただきました。

伊勢神宮は、大学生の時に、ヒッチハイクで目的地に設定した思い出の場所です。
当時は、三重県で有名な料亭の料理人の方たちに乗せていただき、ゴールしました。
その時は、到着が夕方でおかげ横丁も閉まってしまっていて、縁起が悪いとされる片参りしかできませんでした。
今回は、しっかり外宮と内宮、両方行きます。

まずは外宮に行きます。
外宮には、豊受大御神(とようけのおおみかみ)という、衣食住をはじめ、産業の守り神が祀られています。
お参りをしてから、バスで内宮の方へ行き、おかげ横丁を散策。

↑赤副本店に来ました。

↑内宮を参拝。
内宮には、天照大御神が祀られています。
2000年、ここに鎮座しているそうです。
伊勢神宮は、お願い事をする場所ではなく、日々の感謝を伝える場所です。
怪我無くここまでたどり着き、さらに文明の発展を感じながら、数々の歴史に感動をしてきた私は、心の底から感謝を伝えることが出来ました。
きっと、命がけでお伊勢参りをしていた江戸時代の人たちも、こんな風に心の底から感謝をしていたのだと思います。
帰り道、伊勢神宮の敷地を歩いているときに、急に「縁切り」というキーワードが、私の中で浮かんできました。
「あ、なんか縁切り神社に行きたい」と思って調べると、東海道五十三次のゴールである、京都三条大橋近くに、有名な縁切り神社があることがわかりました。
その神社は、縁切りのパワーがものすごいらしく、生半可な気持ちではなく「行かなきゃ」と思った、神社に「呼ばれた」人が行くべき場所とのことでした。
第1回目の記事で、なぜこの東海道を徒歩で歩いているのか、という理由の中で、「反芻思考に終止符を打ちたかった」と書きました。
私の中で、いつも同じネガティブな思考ルートが、ここ数年ぐるぐるぐるぐるしていました。
東海道を歩いていた前半も、やはりいつもと同じ思考ルートをたどっていましたが、それがだんだん周りの景色や歴史に触れていくうちに、今に集中できるようになっていきました。
そんなことがあったうえで、たまたまホテルの予約を間違えてしまったことをきっかけに、片参りしかできていなかった伊勢神宮で日々の感謝を心の底から伝えることができ、さらに帰り道で縁切り神社のキーワードが思いついたのは、もう運命としか感じられませんでした。
そのお話は、またおいおい。
次回に続く
次回は、桑名宿~亀山宿です。
