【小説】閉架書庫に眠るイーサン 1
***この小説は「遠い銃声シリーズ」の「ココニ イルヨ」章から3年後の時間軸になります。***
過去作の時系列・設定など
「遠い銃声」シリーズ用語集
前章「ココニ イルヨ」終了時点 人間関係図

01 産婦人科医 水本
高村悦二逮捕から3年後。
小野田ホールディングス、東京本社の総務部特務課のオフィスで北斗は一人で上司から指示されていた仕事の処理をしていた。
特務課の入口のドアをノックする音が聞こえてきたので、「どうぞ」と言うと、ばあんと扉を開けて何者かが入ってきた。
プウー
信号ラッパの音がした。
「如月姐さん……」
白いブラウスに灰色のパンツスーツ、背中の中ほどにまで伸びた黒いストレートの美しい髪、きめの細かい白い肌。大きな瞳。創業者一族の一人、神谷如月が片手に小型のラッパを持って立っていた。
20代後半で女優かと見間違ってしまうほど、美しい彼女に、北斗は笑顔を浮かべて迎えいれた。
「久しぶりです、前回会ったの?半年前くらいでしたっけ」
「ええ、そうかなあ、忙しくて、ちょっと思い出せないけど、会えなかったよね」
3年前、如月は外資に買われそうになっていた静岡の浜松の小さな部品会社を買い取り、社長になっていた。浜松駅前のタワーマンションの一室を買い、そこに住み、通勤していて、東京に帰省するのは月に数えるほどだった。当然、小野田ホールディングスの東京の社屋に来る頻度は減っていて、北斗も彼女に会えなくなったのを寂しく思っていた。
「まあ、けっこう会えなかったよね、北斗君もなんか大人になっちゃって」
「いやあ……、そんなに変わってないですよ、マックスががんばって、プロテインとか飲ませてくれたけど、結局、身長180センチいかなかったし」
「いいの、いいの、日本人成人男性ってたいてい180センチいかないから、かえって、あんまり身長が高いと、この日本では不便かもしれない、天井に頭ぶつけてね」
如月は片手に持った金色のきらきら輝く小さなラッパをぷほ、と吹こうとしたが、音は出なかった。
「特務課のメンツは変わらないのね」
「あ……、滝川さんが、いよいよ退職です」
滝川は嘱託としてこの特務課に長いこといた警察OBだった。年金生活に入るということで今は残り少ない日々を在宅勤務している。
北斗は小声で如月に言う。
「ところで、そのラッパなんなんですか?」
如月は赤子を抱きしめるかのように小さなラッパを抱きしめた。
「私の人権を守ったラッパよ…」
「え?」
如月は拳を握りしめた。
「浜松はね、日本のリオなの!」
「リオって……ブラジルの?リオのカーニバルとか有名ですよね」
北斗は首を傾げながら言った。
「確かに、あそこは自動車メーカーの工場や下請けが多くて、ブラジル人が多いですよね」
「違う、そうじゃないの、それに今はあそこ、中国人やインド人の方が多いよ」
如月はきっと北斗を睨みながら言った。
「5月の貴重な貴重なゴールデンウィークの3日から5日を祭りにしてるの」
「それが…何か……」
「あそこの子たちはねえ………3日間の祭りを楽しみにして、それ以外の日は魂が抜けたような生活してんのよ、祭りの為に生きてるのよ!ブラジルのリオの人たちのように」
北斗はますますわからないというような顔をした。
「だから、地元の中小企業の社長は、その祭りに参加アンド、多額の寄付をしないと人権が認められないのようううう、存在すら空気になってしまうのよ」
プパーとラッパを鳴らした。
「総務からうるさいと言われるからやめてください」
「うん、これだけにしとくわ」
如月は信号ラッパを大きめのバッグにしまった。
「祭りはね、昼間と夜と催しものが違ってて、昼間は砂丘で凧あげ、夜は屋台のひきまわし」

如月は手を広げた。
「北斗くんが知ってるような凧とは違って、北斗くんの部屋くらいの大きさの凧あげるのよ、初子が生まれたら、凧作ってあげるみたいね」
「へえ、楽しそうです」
北斗は聞く。
「なんとびっくり、凧あげの会場が、地元有力者の社交の場、市会議員だけでなく、与党野党関係なく、地元出の国会議員が出身の地元の町名が入った法被着て出てて、すごかったの、普通凧あげ会場で交流する?」
「や、祭りで顔売るは政治家あるあるじゃないですか?」
「あと、なんか、そこ出身の芸能人とかも、地元の町の名前入った法被着て出てたわ」
「ああ、それも、ありですよ」
如月は知らないのは私だけだったんだ、と小さく言った。
「夜はね、御殿屋台のひきまわし、これは、わりと全国でもある系よね」
「岸和田のだんじりとか有名ですよね」
「まあ、引きまわす時に、屋台で太鼓、笛、かけ声じゃない?浜松は違うのよ」
「え?じゃあ、あの旧日本軍の軍隊ラッパみたいなラッパ吹くんですか?」
如月は頷いた。
「そーよ、あれを吹くの!老若男女が皆、あの小さなラッパ持って吹くのよ、もちろん私も事前の町の公民館でのラッパの練習から参加したわ」
北斗は驚いた。お嬢様の如月が自分が買った会社のためにラッパまで練習したのだ。
「吹けたんですか?」
「ライブハウスの歌姫のブレスをなめるんじゃないわよって言いたいとこだけど、こんな小学校上がりたての子でも吹けるのよ、このラッパ」
如月はにやりと笑った。
「余裕だったわよ」
得意げに語る。
「おかげさまで、ふらりとよそからやってきた社長の私が、会社整理されてクビになるんじゃないかと怯えていた社員に信用されるようになって、会社の経営も銀行との提携がうまくいってまわるようになった、で、黒字の決算書を総帥に提出して、はれて小野田ホールディングスの子会社となりましたあ」
「すごいすごいです、如月さん」
鼻息荒く得意げな表情をした後、如月は言った。
「で、とても幸いなことに、私の一生懸命さを見ていた社員の一人が社長をやりたいって言いだしたから、色々教えて、社長にしたてあげてきた。先日ね、あっちのマンション売りにだして、東京に戻ってきたの、来月から東京本社に戻ってくるわよ」
Ⅴサインをした。
「 でもね、あの浜松のまつりは好きになっちゃったから、来年も、参加するの。このラッパ、持って帰ってきちゃった」
「如月さんらしいなあ」
北斗は感心して、彼女の前に淹れたてのコーヒーを置いた。
「ところで、あなたのボスは?」
如月の問いに北斗は即答した。
「今日半日で早退しましたよ、明日から有給とってアメリカですよ、ウッキウキで帰っていきました。なんていうか、俺、大人がスキップする姿を初めて見ましたよ」
「………あら、明日から、えっ!有給とってまでして仕事すんの?あの人バカねえ」
如月があきれて言った。
「え?仕事だったんですか?」
「そうよ、バカみたい。いくら休暇とって旅行っていったって、同行するのが白夜だったら、休みじゃないでしょう」
「え?白夜様が同行…?」
如月が腕を組んで言った。
「昴を産んだ代理母に会うらしい……」
「昴様って、誘拐されて、今でも戻ってこない白夜様の兄…に当たる人でしたよね」
北斗は考える。
「遺伝子的には…兄弟なのに…お兄さんは他人の女性のお腹から生まれたんですよね……なんだかよくわかんないや」
「こんな言うの、残酷だとおもうけど、もう昴は死んでると思うわ」
如月は冷たく言った。
「ひすいおばさまが亡くなられて、家族が父親である総帥しかいなくなってから、やけに白夜が昴にこだわるようになったわ。確かに家族が減ったのは寂しいかもしれない、でも異常よ、来年、はたちになるんだから、もう、自分の身内ばかりにこだわることなく、他人とも縁とか輪とか作ればいいのよ、もともと内向的な子だったからそれだけに心配…青竜もさ、お人よしだから付き合っちゃって」
北斗は如月をなだめた。
「気持ち…はわからなくないかな…俺も家族いないし…でも里親の和尚や蒔絵さんがいるから」
「北斗くんは自立してるからいいのよ。白夜は本当に色んな人に頼らないと生きていけないから、そんなの甘えったれ男としてダメだって…」
如月はじれったそうにしていた。
早退して戻ってきた自分の部屋で、北斗の上司である青竜は明日の渡米の準備の荷物の確認をしていた。
ふと気がつくと、自分のプライベート用のiPhoneが彼を呼んでいた。
「もしもし、私だ、ヤシマだな」
「ああ、青竜、今、何してる?」

ヤシマは新大久保で非保険医をしている。保険証を持たない外国人労働者や、後ろめたい傷で普通の医者には見せられない反社や半グレ相手に商売している。青竜の親しい友人だ。
「明日渡米するので、家で支度をしていますよ」
「ほん、いい身分だな」
「とんでもない、半分仕事みたいな旅行ですよ」
ヤシマのアイコスを吸いながら吐き出される息がiPhoneを経由して、青竜の耳を触った。
「水本っていう、歌舞伎町で闇医者をして、逃げた男を知っているか?」
青竜はずいぶん懐かしい名前を聞いた。
「ああ、私がもし見かけたら教えてほしいと言った男です。『田園調布レディースクリニック』に勤務していて、国がたちあげて頓挫した、少子化対策プロジェクト『こうのとりの家』にも携わっていた医師ですよね」
始めは、北斗の出自と関係のありそうだった『こうのとりの家』を調べているうちにこの医者の名前が出て、代理母アニカが昴を産んだクリニックが『田園調布レディースクリニック』であると知り、もしかして当時の事情を知っているのではないかと思っていた、会って話を聞こうと思っているうちに水本は歌舞伎町の医院をそのまま残し失踪していた。
「昨日会って話した」
「え……」
「俺の医院に来た。あれから色々逃げ回って、結局自己破産をしたらしい」
不動産屋にだまされて、どうにもならないクズマンションを一棟買って首がまわらなくなったらしいが、自己破産をしたらしい。
「では…医者の免許は…」
「弁護士や税理士と違って、自己破産しても医師の免許ははく奪されないから引き続き医者はできる」
青竜はため息をついた。
「それは…よかったですね…え…よかったような悪かったような……」
「大阪で雇われ医をしている…とのことだが、東京に帰りたがってるようだな」
「破産していますから新たに開業は無理でしょうね、でも、事情を知ってる医者達がひしめいている東京に今頃また何故帰ろうとしてるんですかね」
ヤシマはつぶやいた。
「東京で生まれ育った奴っていうのは、いったん外に出ても結局東京にもどってきちまうんだよ」
「そんなもんですかね、故郷のない…私にはわかりませんけど」
んんー、と咳払いをしたヤシマの声にびくりと青竜はした。
「で、何か…」
「まあ、立ち話ついでに寄った居酒屋で話したんだが、あいつ、酔っぱらった時にとんでもないことを言った」
青竜は耳を集中させた。
「『俺さ、過去に億単位の損害賠償請求されてもおかしくはない事件をもみ消した』とな」
「なに……」
ヤシマはくいついてきた青竜の声にふふと笑みをもらした。
「まあ、産婦人科の事件といったら、昭和の時代に、生まれた子供を取り違えて、間違えた親に渡してしまった事件とか、女性の正常な子宮を手術で摘出してしまったとか事件があるな。まあ、そんなことだろうな、医療ミスだ…」
(新生児取り違えか……いやな話だな)
「お前は知らないだろうけど、俺が子供の頃は、ちょっと前にそんな新生児取り違えをネタにしたドラマやらが流行って、よく再放送されてたぞ…、あの頃は子供がたくさん生まれていた時代だったからな、実際あった話で⋯さすがに少子化の今ではないだろうなあ……」
「で、どちらの方でやったと?『こうのとりの家』か『田園調布レディースクリニック』か?」
ヤシマは電話ごしにぐいぐいと迫ってくる青竜の声に小さく、まあ、落ち着けと言った。
「酔っていたが、相当ヤバい話らしく、序章部分で寸止めよ、どこで何をやらかしたことまでは言わなかったな」
「そうか…」
ふうと長いため息をついた青竜にヤシマは語りかけた。
「あいつに会ってみたいか」
「はい…会ってみたいです」
ぐしゃぐしゃと髪をかく音が聞こえてきた。
「わかった。今度会ったら、お前のことを話しておこう」
「………ありがとうございます」
同じ頃、青竜と明日一緒にアメリカへ旅立つ白夜も、スーツケースの中を確かめていた。
ふと見ると、目の前に鎧を着た白夜の守護霊の結城が立っていた。
「どうした?結城、いつもは背後に立って声だけなのに」
少し不安げな表情で結城は白夜を見る。
(ハク、あの現世の眷属と一緒にアメリカに行くのか)
「ああ…そうだよ、昴兄さんを産んだ、アニカさんに会いにいくんだ……」
白夜は結城を見る。
これから先、白夜がどうなるかを知っている者、そしてそれを見守るしかできない守護霊。
口に出してしまえば、彼の役目は即座に終わり、白夜から引き剥がされ、神のもとへ返される。
「俺がどうなるか…わかっている…だから複雑な顔している…わかっているよ、わかっているよ。でも、昴兄さんがどんな形で存在していても俺はそのまま受けとめるよ」
んーと言いかけて、白夜は下を向く。
「亡くなったかあさんが俺の前に現れた時、『私の昴はいなかった、でもあなたの昴はいるかもしれない。探して…』って言ってくれてた…ということは、昴兄さんはどこかにいるってことだよね?」
(ハクよ…酷なことを言うが、もし兄が…兄の心臓だけが、どこかの大学にホルマリン漬けになって保管されていたら、そのまま受け止められるか?)
「うう」
白夜は下を向いたまま結城を直視できない。
(将来、彼女ができて、その彼女が過去に腎臓の移植を受けていて、その腎臓が、お前が探していた昴のなれのはてだったら、笑顔で彼女と付き合うことができるか)
心臓がバクバクした、手に変な汗が出てきた。白夜は歯をくいしばると顔を上げた。
「受け止めるよ、それが俺の運命だもの」
結城は切なそうな顔をして白夜の頭を撫でた。
(大人になったな、もう私の出番はなさそうだ…だが、もう少し仕事をしていかなければならない…)
「頼むよ…結城…」
結城は頷いた。
閉架書庫に眠るイーサン 02に続きます。
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