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年賀状から受け取った、配慮以上のもの。

<はじめに>
この文章のテーマは妊娠と妊活です。
私は、2年間妊活してその後妊娠、今は2歳児の母です。
妊活中の「配慮」について私が考えたことを述べております。

読んでくださる方の中には、現在進行形で妊活されている、過去妊活していた方もいらっしゃるかと思います。まさに周りの人の配慮、について書いていますが、読んでいてつらい気持ちになってしまう可能性が私からは否定できません。

それでも書こうと思ったのは、妊活中の気持ちについて、周りの理解が少しでも広げられれば、妊活中の方が少しでも心穏やかに過ごせれば、と思ったからです。

そのため、ご自身のお心と相談しながら読み進めていただければと存じます。



かつては両手いっぱいに何束もかかえていた年賀状だが、こちらから出さなくなる近年は、元日になっても指でつまめそうなほど薄い。しかも、ほとんどが紳士服だとか、かつて利用したクリーニング店だとかのDMと同様のものだった。

その中に、1枚。宛名が手書きされているものがあった。
見覚えがある、丸みを帯びている整った字。
私の名前が手書きされているなんて、久しぶりに見た。

差出人は、ともみちゃんだ。

ともみちゃん。彼女は、大学生の時、初めて私に話しかけてくれた人で、卒業後も連絡をとっている…とはいえ、コロナ禍で、しかも遠くに住んでいるということもあり、こちらから連絡は取りづらくなってしまった。年賀状も書いていなかったのに、向こうから年賀状が来たことに、懐かしい気持ちで裏返した。

年賀状の裏面には、彼女らしいパステルカラーの色合いで、Happy New Yearと綴られていた。そして、文字の下に、写真が印刷されていた。

彼女と、彼女の旦那さんと。
そして…赤ちゃん。

写真のさらに下に、宛名と同じ字体の手書き文字が綴られている。

「げんき?去年、女の子が産まれたよ!」

初耳だった。結婚したことはもちろん知っている。けど、子どもはもう少し、後でいいかな、と前会った時には聞いていた。


「そうなんだ…」
独りごちた途端、下腹部が痛むのを感じた。


すでに生理が始まっている時の、生理痛。今月はいつもより重い。いつもより1週間ほど遅れていた生理に、私は少し、望みをかけていた。今日、生理が来なければ、妊娠検査薬を使ってみよう、と数日前から思っていたのだった。しかし、元日である今日。来てしまった。

まるで、期待していたことに罰を与えるように、生理は重い。

私は、妊娠できない人間なんじゃないか。そう、思い始めていた。

夫と結婚して2年。どんなにタイミングを合わせても妊娠することはなかった。病院では、妊娠しにくい体質だと言われ、投薬での治療を行なっていた。少し生理が遅れると、すぐに期待して、妊娠検査薬を使ってしまう。

「陽性」になると検査薬の窓に線が出てくるというが、その線は幻なんじゃないかと思っていた。

生理が来るたびに、泣いた。

夫は一人っ子で、夫の家は自営業。物腰柔らかな義両親の口調から、なんとなく、子どもを望まれているのを、私は察していた。

「子どもを産むなら、早いほうがいい。」

アドバイスのようにそう言われ続けていた。そうできるなら、とっくにそうしている。私だって、早いほうがいい、って思っているもの。


私は、痛む下腹部をなんとか紛らわせながら、ともみちゃんの写真を見た。赤ちゃんは、なんとなくお母さん似であるような気がしてて、くりっとした目が愛らしい。旦那さんと3人で身を寄せ合っており、幸せそのものといった感じだった。

「見せつけてこないでよ…」

一瞬。そう思ってしまった自分を恥じた。彼女は、決して「見せつけてくる」ような子ではない。今まで、色んな人に出会ってきたが、その中でも彼女は誰よりも思いやりにあふれている、抜群に優しい子だ。

大学時代、初めて失恋した時に泣きながら彼女に連絡したところ、話を聞いてくれたばかりでなく、寺山修司の詩の一節を教えてくれた。

なみだは
にんげんのつくることのできる
一番 小さな海です

ロング グッドバイ/寺山修司

彼女には、教養に基づいた確かな優しさがあり、会えば長く話し込んでしまう。私に対しても、誰に対しても、思いやりがある。生涯かけて、仲良くしたい友達の一人だった。

それなのに。思ってしまった。聞こえてきてしまった。私の、声が。

「配慮して欲しかった…。」


配慮。
私が、バカバカしいと思っていたもの。

世の中は、配慮を求める声ばかりだ。
妊娠・不妊問題以外の事柄も、すべて。

例えば、匂わせ問題。
アイドルと熱愛していると思われる人が、SNSで彼・彼女と付き合っていることをさりげなく仄めかす(=匂わせる)ことに対して、アイドルのファンは厳しい。推しを応援できなくなった、なんて言う。もしくは、自身の熱愛を匂わせないアイドルは偉い、なんて比較する。

バカバカしい。
アイドルだって人間だ。匂わせるも匂わせないも勝手に見た人が決めてるだけだし、そもそもかっこいい・可愛い恋人と付き合ってたら見せたいだろう。慎ましくする必要ある?

そんな私にも、「配慮」していた経験がある。

中学生の定期テストが返ってきた時。点数が書かれた端っこの部分を、隠していた。悪い点数の時のみならず、良い点数の時も。一律で端っこを折っていた。良い点数は自慢してはいけない。余計な軋轢を生むから。

バカバカしい。
良い点数の時は、堂々としておけばいい。頑張った結果なんだから。
とは思っていたが、誰かしらの陰口が怖くて、皆に倣って端っこを折って隠していた。


配慮してほしいと言う人の根源には、嫉妬の感情がある。


嫉妬なんていうのは、本来自分だけで向き合うべき感情のはずだ。
それが相手に向けられた途端、正義の顔をしはじめる。
「配慮」などいう和やかな名前で、幸せな人、うまくいっている人を責め立てるのだ。

素直に嫉妬、って言えばいいのに。
配慮が足りない、という言葉で、簡単に被害者になれる。

自分自身の感情は、自分自身で管理する。
それが一番、シンプルじゃないか。


そう、思っていた。
いくら望んでも来てくれない、赤ちゃんを待つまでは。


例えば、医師に赤ちゃんができにくい体だと言われた日。
例えば、期待していたのに、生理が来た日。
例えば、夫とタイミングを合わせられなかった日。

マタニティマークが、妊婦さんが、家族連れが、職場での妊娠報告が、全て、強い雨足のように、私を打ってきた。

最低でも1ヶ月に一度は、生理によって打ちのめされる。そして、生理が来たら妊活は最初からやり直し、「リセット」だ。何か成長するとか、1ヶ月の頑張りが次に生かされるとか、そういうのはない。

あんなに食べ物に気をつけたのに、夫のうんざりする顔に気を遣いながら、タイミングを合わせてもらったのに。薬も毎回飲んだのに。


お腹をさすっている妊婦さんを見ると、特に心がやられた。


もうやめて。
幸せを、見せてこないで。


身勝手な、理不尽な考えだということは、わかっていた。つわりは辛い、お腹が張るとつらい。体験こそしたことなくても、知識として知っていた。

頭ではわかっているのに、心がついていかなかった。

そんな時、インターネットにすがった。

妊活中に、妊婦さんや、家族連れを見ると、つらい。
私と同じ思考の人がいて、安堵した。

でも、その中に、心がささくれる言葉も見つけてしまう。
「そんな醜い思考をしているから、赤ちゃんが来てくれないんだよ。」
「私は妊婦ですが、そんな人がいると思うと、怖くて外も歩けません。」
「そんなふうに思うんだ。私も妊活中だけど、ほっこりするけどなあ。」

開いた傷口に、さらに冷水がかけられる。
私は、共感できる、優しい文言だけを拾い上げた。

癒されると同時に、ますます「幸せそうな家族が、つらい」の気持ちが強くなった。

つらいのは、私の思考なのか。
それとも、SNSの思考をなぞっているだけなのか。
分からなくなっていた。


ともみちゃんの年賀状だって、そうだ。
反射的につらくなってしまったが、そもそも彼女は私の状況を知らないはずだ。勝手につらがって、配慮してほしい、なんてあまりにも身勝手過ぎる。

それでも、少しだけ彼女の幸せさに、甘えたくなった。

年賀状は改めて返すとして、今すぐにLINEを送りたい衝動に駆られた。

そして、こんなメッセージを書いて送った。

「年賀状ありがとう!子ども生まれたんだね!笑顔が可愛いね…おめでとう!私も今妊活中で、頑張ろうっていう気になった!」

我ながら、いい文面だと思った。
友達を祝いながら、自分が妊活していることを知らせられる。それなのに、つらそうに見えない。
彼女は、私が妊活中と知って、どう思うだろう。なんて返してくるんだろう。


そう思いながら、彼女の返信を待った。



私は、年賀状を受け取ったその半年後、妊娠、そして出産することになる。
授かるまで時間がかかったのとは裏腹に、あまりにも順調な妊娠と出産だった。そして、今は、2歳の元気すぎる男の子がいる。

知識として触れていた、つわりや、お腹の張り(その他様々なマイナートラブル)を、体験した。妊娠とは、出産とは、このようなものかと思った。

妊娠した途端、かつて妬んでいた人に、自分がなった。

でも、かつての自分は、置いていくことはできなかった。

そして、「配慮しろ」「見せつけてくるな」と言ってくる。私は、せっかくの妊娠を手放しで喜ぶことを控えてしまった。

マタニティマークは、見ると辛い人がいるかもしれないから、電車では隠した。(※本来は、街中で体調トラブルがあった時のために、妊娠の有無が必要になることもあるため、むしろ見えるところにつけておくべき。)

妊活していた時に作っていたnoteのアカウント「ベビーを待ちながら」は、妊娠したら書き続けづらくなって、アカウントごと削除した。

職場の人にも、聞かれたら答えるぐらいで、自分から妊娠した話は必要以上に振らなかった。

それで、丁度よかったのかもしれない。
かつての自分に牽制されなければ、自分から聞かれてもいないことを話して、周りに疎ましがられてそうだから。


どんなに「配慮」しても、かつての自分は、救われることはないだろう。

今の自分は「結果的に妊娠できた人」であり、かつての自分は「妊娠できないかもしれない不安を抱えた人」だ。

私は時々、X上の妊活アカウントを訪れる。過去の自分と、同じ悩みを抱えているのを見て、心の中だけで共感し、祈る。いいねとか、フォローとか、リアクションはしない。今子どもがいる私から共感されたって、どこから目線なの、って思われるだけだろうから。

でも、
「子どもがいて一人前」とか。
「子どもが生まれてこそ人間的に成長できる」とか。
「赤ちゃんはお母さんを選んで生まれてくる」とか。
「妬んでる人の元には、赤ちゃんは来ない」とか。

そういう、妊活している人や子どもがいない人の気持ちを考えない文言を見ると、許せなくなってしまう。

妊娠は、科学的反応だ。性格がどうとか、関係ない。子どもが生まれたら、子育て能力は上がるかもしれないが、一人前や人間的に成長って曖昧すぎる。環境は確かに大きく変わるが、自分自身の長所・短所は子どもが生まれた後も、そのままだ。

妊活している人が、最終的に子どもに恵まれるとは限らないのが現実だ。
それでも、何らかの形で幸せには、なれる。
子どもを望む人が、少しでも心穏やかな気持ちで毎日が過ごせるように、このように私自身の体験を発信すること。

それが、過去の自分に対して、私が唯一できることだ。


ともみちゃんからは、私がメールを送って半日後に返事が届いた。

「連絡ありがとう〜〜!夜泣きでなかなか寝れないけど、何とかやってるよ〜〜!」

そして、次のメッセージ。

「妊活中なんだね。みゆはきっと、素敵なママになりそうだなあ。」


涙があふれた。
彼女を試すようなことをした、自分の小ささが、情けなかった。

それなのに…彼女は純粋な気持ちから、私の未来を想像してくれた。

それは、私がしてほしかった配慮より、遥かに大きな優しさだった。
ともみちゃんは、私が幸せであれと願ってくれてる。
だからこそ、家族の写真を送ってくれたのだ。

一瞬でも、嫌な気持ちになって、ごめんね。
本当に、ありがとう。

私はともみちゃんの優しさに、ちょっぴり嫉妬した。

(了)


皆様、読んでいただきありがとうございました。
この作品は、斉藤ナミさんの新連載にあたって池松潤さんが企画された「 #嫉妬祭り 」に参加して執筆したものの、2作目です。
※ともみちゃんは仮名です。

1作目は軽めのエッセイでしたが、今回はちょっと重ためのエッセイにしてみました。

(1作目は下記)

池松さん、先日は丁寧なフィードバックありがとうございました。度々恐縮ですが、またお時間のある時にフィードバックをお願いできますと幸いです。 (#フィードバック希望)

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重めのエッセイにもかかわらず、最後まで読んでいただきありがとうございます。スキ・コメント大歓迎です。引き続きよろしくお願いします。

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