(CV.夫)
家の壁に5mmほどのちっちゃい蜘蛛が張り付いていた。
どんな虫でも、我が家への不法侵入罪は重罪だ。
ティッシュで包もうとしたところ「タスケテ」と声がした。
「ボクハ コノイエデ クラシタインダ」
そう言われてしまったら、仕方がない。
私はティッシュをしまった。
もちろん、この蜘蛛がしゃべるはずもない。
この蜘蛛の声の主は、夫なのだから。
夫は何かにつけて声をアテレコする。
結婚当初のこと、UFOキャッチャーでポケモンのヤドンのぬいぐるみを手に入れていた。抱えるぐらい大きいぬいぐるみである。


彼は、ヤドンに声を当てていた。
ヤドンっぽい、ちょっとのんびりした声だ。
そして、夫はヤドンの設定まで考えていた。
ヤドンは乃木坂46の秋元真夏さんのファンということになった。
秋元真夏さんが出るたびに
「まなつ〜〜〜!!」(CV.夫)
と、両手を振って応援していた。
アニメのエンディングでは一緒に踊りだしたし、
夫婦喧嘩の仲裁(CV.夫)をすることもあった。
そんなヤドンと、お別れしなければならない時が来た。
妊娠して、子どもが産まれる前のことだ。
夫は幼少期、喘息に悩まされていたらしい。
その喘息の原因が、大量のぬいぐるみから出る埃にあるとのこと。
「息子を、喘息で苦しませたくないんだ」
当初毛並みがよかったヤドンも、すっかり毛羽立っていた。
ヤドンは、他のぬいぐるみとともに、大きなビニールケースに入れられた。
ヤドンはしまわれる前にこんなことを言っていた。
「見たかったなあ……赤ちゃんが初めて家に来る時……初めて笑った時、ハイハイしはじめた時…..初めて立った時……一緒に遊びたかったなあ……」(CV.夫)
不覚にも、泣いた。
「どうしても、一緒にいられないの?」
「赤ちゃんが元気に過ごすためだ。ぼくはここにいるからね」(CV.夫)
夫が声を入れるのは、ほんの冗談だったはずなのに。
いつの間にか、かけがえのない存在になってしまった。
本気で泣く私を見て、夫はニヤリと笑った。
「すごいだろ?俺のアテレコ能力」
そう、夫のアテレコ能力はすごいのだ。
声が吹き込まれると、命まで宿されてしまう。
元々命を宿す5mmの蜘蛛は、夫のおかげで私から逃れた。
そのことに恩義を感じたのか、毎朝現れるようになった。
その度に夫は、「オハヨウ」という声を当ててくる。
いつしかそれが当たり前になって、私も「おはよう」と返した。
リビングで腹筋してると急に現れる蜘蛛に
「なんだよ、あんまり見ないでよ」と文句を言ったり、
とりとめもない話を聞いてもらったりしている。
蜘蛛はここに住み着いている。
何を食べて、どこが巣なのか。
全然わからない。
でも、私が一人の時でも、蜘蛛の声(CV.夫)は聞こえてしまう。
夫は、我が家の名声優なのだ。
(了)
読んでいだたきありがとうございました。
みくまゆたんさんの「タランチュラ流星」を拝読して我が家の蜘蛛事情について書いてみました。
みくさん、エッセイの素敵なヒントをありがとうございます❣️
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