見出し画像

止められない流れの中で


運命が向かっていた道👇の続きです。


息子の離婚届が受理されてしまい
子供の親権の調停が始まる前に
私は息子に別のパートナーを見つけた方が良いとアドバイスしていた。


東北の震災の後に調停を進めてもらえず、強引に審判を終わらせられ子供を引き取れなかった事も
後に孫娘が健全な育ち方が出来ていない事も悔やまれたが
息子の今後の人生も大事な事だった。

息子も私たちアダルトチルドレンの親の元で育ったのだからやはりその偏りがあったのは否めず、あのお嫁さんと引き合ってしまったと思った。

息子もいろいろ考えたはずで
やがてある女性と知り合った。
やっぱり子供のいる今度は同い年の女性で理由を聞いてみた。
以前の子供のいる年上のお嫁さんに惹かれたのとは違って
子供を持つ親の視点からの共通の価値観が合ったと言っていた。

明るくてとても思いやりのある
優しいタイプで苦労はしていた。
男の子がいるが別れた孫娘と同じ歳。
前のお嫁さんが嫌いだった娘も
優しく思いやりある女性との
弟の再婚を喜んでいた。

私は友達と話す時は「お嫁ちゃん」
と呼んでいる。
そしてこのお嫁ちゃんが私に離婚の決意(3度目)を思い止まらせた。


息子と一緒に仕事を始めたものの
取引先との事が上手く行かない。
ある時主人が行方不明になった。
探し回ったが見つからない。

それまでも時々飲んで帰らないことがあったし、女性の影もあった。
飲み過ぎて1週間も寝込む事も度々あり、またか😤という感情が私と娘と息子にはあった。
娘はその頃横浜で一人暮らしをしていたので少し感覚に距離感はあった。

私はホームセンターでパートをしていてお嫁ちゃんは妊娠していた。
「ママさん,放っておいて良いんですか?」と言ってお腹が大きい彼女が車で🚗日中探し回ってくれていた。

息子と手分けしてひとりで探しに出た夜、途中で車を止めて
「もう別れちゃおうかな」と思った。
投げ出したい気分になっていた。
ふとお嫁ちゃんの
「放っておいて良いんですか?」
その問いかけが浮かんだ。
ダメだと思ったらいつでも別れれば良い、もう一度だけそのお嫁ちゃんの言葉かけを大事にする事にした。

仕方なく息子と私は1週間、毎晩
主人を待ち侘びて寝れないわんこを抱いて車🚗で探し回った。
警察にも届けたが見つからない。
飲酒運転だけが心配だった。

携帯📱は時々繋がってLINEは既読になるが進展はなく疲れ果てた月曜日の朝ひょっこり帰って来た。



お酒で脱水症状が酷くなるのは
それまでも時々あった事なので
ただひたすら水とポカリスエットを飲んで寝かせたが翌朝下血に気づいて
救急車🚑を呼んだ。


重度の肝硬変になり、糖尿病も酷く
胃腸もボロボロになっていた。
ICUに入って先生の巡り合わせも良くて一命は取り留めた。

このままだと50歳は迎えられないと余命宣告のように忠告された。

もちろんアルコール依存症の専門病院🏥に行く事を勧めた。
本当は転院して入院させたかったけど本人は通院すると言い張り
横浜にあるアルコール依存症を診てくれる病院🏥に通院する事にした。

主人は念書を書いた。
もうお酒は飲まないと。

後からわかったが
それは全く意味はなく、
逆にやってはいけない事だった。

そこから主人はアルコール依存症と
ずっと共に生きることになる。
いや、その前の入院から既に
アルコール依存症だった。
そして躁うつも発症していた。


アルコール依存症の裏側で依存体質は女性からギャンブルへ移っていた。

家を買った銀行🏦がまた曲者だった。
私の知らないところで借金をしていたことが返済の催促通知で判明する。


「後悔しないために選んでいた道」へつづく

いいなと思ったら応援しよう!