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『はだかの白鳥』に書けていない私史を振り返ってみた #242

最近、昔書いたnoteを読み返している。

2024年に本『はだかの白鳥』を出版して、自分の半生を書いたつもり。でもそれからも本当にいろんなことがあった。本は決してゴールではない。むしろ、本を書き終えてからの数年間の方が、色濃い世界を見せてもらった。

今日は、その続きを時系列で振り返ってみたい。


2022年7月 AVデビュー

人生が大きく変わった日。この頃のことは『はだかの白鳥』にたくさん書いたので、ここでは割愛。


2022年8月 北新地で働く

AVデビューして間もない頃。事務所の社長からの「北新地で働いてみたら?」の一言で働いてみる。これまで縁のなかった世界を経験するため。社会勉強だ。

お酒の飲めない私は地獄をみた。ただの先に、見えたものは多かった。歪んだ人間関係、ビジネスの仕組み、お金の流れ、渦巻く欲望。そして人間の真理を垣間見た気がする。


2022年11月 写真展スタッフ

事務所社長からの「スタッフやって」の一言で、スタッフとして参加する。新しい経験、新しい世界に戸惑いながら、とにかくできることを必死にやってみた2週間だった。


2023年11月 毎日noteを書くと決めた写真展

写真展期間中、毎日noteを書いて発信する。

そう自分で決めた。むちゃくちゃ大変だろうなと予想はしていた。実際には予想通り、いや、予想以上に大変だった。

昼は写真展。夜は反省会。夜中にnoteを書いて、ちょっと寝て、また写真展。

トラウマ級の地獄を味わったように思う。でも終わったときは、フルマラソンを走り切ったような達成感があった。女優の誰が来るとか、有名なダレソレが来るとか、全然覚えていない。とにかく書くことしか考えていなかった2週間。

終わった後は、しっかり寝込んだ。


2024年5月 『はだかの白鳥』出版

自分の半生を書いた。特段、壮絶な人生ではない。でもしっかり生きた人生。今までで一番、自分を削り出した仕事。


2024年11月 京都・海宝寺イベント

京都・海宝寺でのイベントに呼んでもらった。そこで、住職とお笑い芸人ヤングと私の3人で「坊主と坊主とAV女優のトークショー」をした。

住職は『はだかの白鳥』を読んでくれて、トークの中で、私が本の中で書いた「AV女優になるって、まるで出家だな」という一節を取り上げてくれた。

「まさにAV女優は出家者ですよ」

個を捨て、名を捨て、公の存在になる。その姿は出家と通じるものがある──

自分の中でぼんやり考えていたことを、仏教という別の角度から言葉にしてもらえたのは、とても印象に残っている。

ちなみに、このイベントが実現した経緯も面白い。

住職は私を指名したわけではなく、AV事務所の女優募集の電話番号へ「トークショーに出てくれる女優さんはいませんか」と連絡したらしい。目的のためなら一直線な感じが、とても好印象だった。

ただ、一つだけ。
そこは「藤かんな」の名指しってことにして! と、軽くツッコミを入れたくなった。まあ、嘘をつかないところも、住職のいいところだが。


2024年12月 4分の1主賓の写真展

写真展の4分の1に私の写真が展示される。今回はスタッフではなくて、4分の1主賓。

開催前、事務所の社長からの「いろんな人を呼ぼう」の一言で、会ったこともない、でも会ってみたい人たちに連絡をする。約100人に「写真展に来てください」と。実際に来てくれたのは、そのうちの1割くらい。でも本当に来てくれたことが、すごく嬉しかった。

「言わなきゃ伝わらない」
「誘わなきゃ始まらない」
そんな当たり前のことを、この写真展で学んだ。

一方で、写真展関係者が次々とインフルエンザで倒れていき、終始ひりついた2週間でもあった。


2025年1月 NHK大河ドラマに出る

NHK大河ドラマ『べらぼう』に出演した。

放送後はネットでずいぶん炎上した。「AV女優を国営放送に出すなんて」とか、「NHKの本気を見た」とか、賛否両論。さらに『べらぼうヌード』というデジタル写真集まで発売され、大河ドラマの余韻は長く続いた。

放送後、父から連絡がきた。

「大河みてるか?」

ドキッとした。
ついに全部知られたのかと思った。

「みてるで」の後に返ってきた言葉は、

「小芝風花ちゃん、いいな」

だった。


2025年5月 『はだかの白鳥展』

文章と写真の展示会。私自身の展示会。これまで何度もスタッフを続けてきた、ご褒美かなと思った。

実家から私の昔のバレエ映像を持ち出した後は、両親にAVのことを黙っていることがしんどくなり、蕁麻疹が出た。広告トラック手配して都内中を走ってもらった。毎日ゲストを迎えてトークショーをした。「あなたの自伝を書きます」という特典イベントでは、たくさんの人生を聞かせてもらった。

全部終わったあと。
達成感はあった。
でもその中に2割くらい、寂しさや虚しさがあった。

その気持ちは祭りの後の余韻ではなくて、もっと濁って湿った複雑なもの。その気持ちの正体をずっと考えていて、未だうまく書けずにいる。書くべきではないのかもしれない。


2025年8月 また写真展スタッフ

スタッフとして参加。
もうそうであることが当たり前。


2025年9月 パラオ

事務所社長からの「パラオに行ってみたら」の一言で、行ってみる。

ペリリュー島。
太平洋戦争。
海に沈んだ零戦。

あそこで見た景色や感じたことは、まだほとんど書けていない。地から伝わる念が大きすぎた。

なぜパラオのことが教科書に書かれていないんだろう。日本人の誇っていい部分、学校で教わってない気がする。ふつふつと違和感がわきはじめ、帰ってから色々調べた。

歴史は詳しくない。思想も何にもない。けれど、日本人でありたい、とはっきり思ったパラオだった。


2025年11月 京都写真展

大学生アルバイトを募集して、面接をした。真夏の京都、2泊3日で大学を回って、写真展のポスターを配って宣伝をしに行った。

写真展が始まると、もちろんスタッフ。大学生バイトと一緒に、大学や観光地を回り、チラシを配った。その時間は愉しかった。後輩のような存在がいるだけで、自分は裏方としてシャンとしていられたように思う。責任感ってやつかもしれない。

ただ一方で、私は裏方として使い勝手がいいんだろうな、と思う気持ちはゼロではなかった。私はこの先どうありたいんだろう、どうなるんだろう、この事務所にとって私は何なんだろう、そんな感情と向き合う時間だった。


2026年 今ここ

大きな変化がいくつもあった。
変化とともに、なくなったものもあった。
基礎を積み上げる時期から、応用へ進もうとしている。そんな年のような気がしている。


最後に

この数年間と並行して、もう一つ変わり続けていたものがある。

両親との関係だ。

彼らにはAV女優をやっていることを、ずっと伝えていなくて・・・・・・

この変化については何度も書こうとしてきた。ただそのたびに手が止まる。思い出すだけで胸が苦しくなって、書けなくなる。たぶんここが私の一番のウィークポイント。極端な話、もし私を脅したいなら、両親をテーブルに乗せれば、間違いないだろう。

書きたくないものは書かなくてもいい。事実ばかり書こうとするから苦しくなる。それは分かっている。でもここは避けては通れない。向き合わないと先へ進めないことも分かっている。

だからきっと書くのだろう。
事実だけじゃなく、そのときの感情も含めて。
今はただブラックボックスに見えているだけかもしれない。案外サラサラ書けるかもしれない。ただブラックボックスは蓋を開けるまでが億劫だ。


『はだかの白鳥』を書き終えて、そのあとからのほうが、「人を書く」ために必要な経験をたくさんさせてもらっている気がする。ここに並べた以外にも、きっとまだまだ、残したいものがある。

こうして振り返ってみて思う。まあまあ書いてきてるなって。ただ、いつか書けるだろうなんて悠長に考えていてはいけないとも感じる。明日も変わらない日常がくる保証なんて、どこにもないのだから。

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