毛虫博士 /ショートストーリー
ショーペンハウアーを愛する彼は、いつものように「なんだかなぁ」と呟いてみせた。
初夏。
その生命の拍動を最もリアルに感じる季節は、寧ろ彼を憂鬱へと誘う。
新緑、薫風。そうした美しさの象徴たちを眺める彼の眼は、文化祭の準備期間をずっと秘密の屋上で過ごしたあの時のままだ。
「彼ら彼女らは、この卑しく芽吹く黄緑色を称賛するばかりで、そこに潜む毛虫や芋虫を見ない。或いは見ないふりをする」
彼の日記には今日もこんな言葉が綴られる。
*
彼が道を歩いていると、近くの小学校から運動会の練習であろう音が聞こえてきた。
「みんなで心を1つにして…か。なんだかなぁ」
そんなことを心でポツリと呟いた時、近くにいた老人が誰に言うでもなく大声を出した。
「うるさいな!最近の学校は配慮がなってない!…ったく近頃のガキは…」
彼は視線を地面へと落とした。
貴方は正義の人か。それは卑しさを通り越し、実に醜い。せめて美しく絶望せよ。
その老人の醜悪さから逃れるように、彼は公園へ向かった。
気候だけは確かに過ごしやすい。
ベンチで読書でもしようと思った。
しばらくすると、子どもたちの声が聞こえてきた。どうやら運動会の練習は終わったようだ。
半袖を着て額に汗を滲ませながら子どもたちは遊ぶ。
子どもたちはやがて、木を足で蹴りつけて奇声を上げはじめた。
「うぇー気持ち悪!」
どうやら子どもたちは、枝先の小さな生命を地面へ叩き落として遊んでいるらしかった。
踏みつけそうな素振りもある。
彼は鼻から少し強めに息を吐きながら立ち上がり、笑顔で子どもたちに近づいてこう言った。
「お兄さんは毛虫博士なんだ。これはすごく珍しい毛虫だから、いじめるのはやめてあげてくれないかい?」
そうして毛虫をひょいとつまんで、安全な新緑の上へと戻した。
指先を少し気にしながら、公園で手を洗った彼は、夕飯を調達しようとコンビニに向けて歩き出した。
「なんだかなぁ」と呟きながら。
iさんの風まかせ文芸部に参加させていただきました。
