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光の海から #2「海の祈り」

一、満月の夜

月が満ちる夜、
レムリアでは祈りの歌を歌う習慣があった。

特別な儀式ではなかった。

月が出れば、
誰かが自然に歌い始める。
すると、誰かが加わる。
また誰かが加わる。

気づいたら、みんなが歌っている。

それだけだった。

その夜も、そうだった。

最初に歌い始めたのは、
誰だったかわからなかった。

レアが気づいた時には、
広場に仲間たちが集まっていた。

月の光が、水面を通して、
銀色に降り注いでいた。

珊瑚が、光っていた。

静かに、
呼吸するように。

ププが、貝殻を胸に抱えて、
目を閉じていた。

その口が、かすかに動いていた。

「ププ」

レアはそっと隣に座った。

「歌ってる?」

ププは目を開けた。

「歌ってるのかな。よくわからない」
「よくわからないけど、してるの?」
「うん」

ププは貝殻を見つめた。

「体が、勝手に動くから」

レアは、その言葉を胸にしまった。

歌が、広がっていった。

言葉のない歌。
でも全員が知っている歌。

月が、それを聞いていた。
珊瑚が、それに応えていた。
海が、一緒に歌っていた。

サラが、隣に来た。

何も言わなかった。
ただ、並んで、歌った。

パニーが、反対側に来た。

「ねえ、レア」
「うん?」
「こういう夜、好き」
「パニーも?」
「うん。なんか——全部つながってる感じがするから」

レアは、月を見た。

水面の向こうの、銀色の月。

全部、つながってる。

海も、
空も、
珊瑚も、
月も、
仲間たちも——

みんな、
同じ何かで、
繋がっていた。

それは、とても静かなことだった。

でも、確かなことだった。

どこか遠くで、
歌が響いていた。

その歌は、
夜の海の中を、
ゆっくりと漂っていった。


二、虹の下で

そして——

朝が来た。

朝の海は静かだった。

珊瑚の光はまだ淡く、
水の中には、夜の青が少し残っている。

レアは目を閉じた。

昨日、ププの貝殻から聞こえた旋律が、
まだ胸の奥に残っていた。

ゆっくりと目を開けると、
水面が、少しずつ明るくなっていくところだった。

光が上から差し込んで、
珊瑚の森が、一本ずつ目を覚ましていく。

ピンクが、オレンジが、白が、
淡い光の中で、じわりと色を取り戻していく。

虹が出た。

空の端から端まで、
鮮やかに。

水の中からでも、
はっきりと見えた。

レアはその虹を見るたびに、
胸の奥で何かが満たされる感じがした。

言葉では説明できない、
でも確かな、
ここにいていいという感覚。

「おはよう」

パニーが来た。

いつもの明るい声。
でも今朝は、少しだけ静かだった。

「おはよう」
「昨日の歌、まだ残ってる?」

レアは頷いた。

「うん。ずっと」

パニーも頷いた。

「パニーも」

二人はしばらく、並んで海を見た。

朝の珊瑚の森が、
ゆっくりと光を増していく。

魚が一匹、二匹、目の前を横切った。

虹色の鱗が、
朝の光にきらめいた。

——ねえ、レア。

パニーが、心で言った。

なんか、今日は特別な気がしない?

……うん。

レアは心で答えた。

なんでだろうね。

わからない。
でも、そんな気がする。

声に出さなくても、伝わる。

それがレムリアだった。

心と心が、
波のように触れ合う。

「ジョルジュ、今日も洞穴にいるのかな」
パニーが言った。

「たぶん」
「行ってみる?」

レアは少し考えた。

「……うん。でも、その前に」
「なに?」
「みんなで歌いたい」

パニーが、ぱっと顔を輝かせた。

「今から?」
「うん。今から」

珊瑚の広場に、
少しずつ仲間が集まってきた。

声をかけたわけでもないのに、
みんな同じように、
昨日の歌の余韻を引きずって、
自然とそこへ向かってきたようだった。

来て。

誰かが、
心で呼んでいた。

みんな、来て。

声ではなかった。

でも全員が、
同じ方向へ向かっていた。

サラが来た。

半透明のひれを、
朝の光に揺らしながら。

「昨日の歌」とサラは言った。
「まだ残ってる」
「みんなそうみたい」とレアは言った。

サラは小さく頷いた。

それだけで、十分だった。

ププが来た。

貝殻を胸に抱えたまま。
目がまだ、少し眠そうだった。

「ねえ」とププは言った。
「貝殻からも、聞こえてる」
「昨日と同じ歌?」
「うん。でも今日は、もっと近い」

レアはその言葉を、
胸の奥にそっとしまった。

広場の中心に、光の柱があった。

青白く、ゆらゆらと揺れている。

上へ伸びて、
水面を突き抜けて、
空の虹と繋がっているように見えた。

誰からともなく、声が出た。

最初の一音は、
レアだったかもしれない。
パニーだったかもしれない。

でも気づいたら、
全員が歌っていた。

言葉はなかった。

でも体が知っていた。

珊瑚が応えた。

一本ずつ、光を増していく。

ピンク。
オレンジ。
白。
紫——

それぞれが違うリズムで、
でも確かに呼応しながら、
呼吸するように輝いていた。

水面の虹が、揺れた。

七色がほどけて、
海の中まで降りてきた。

光の粒が、
全員の周りをゆっくりと舞った。

ふと横を見ると、
ププが目を閉じて、
貝殻を胸に抱えたまま、
口を少し開けていた。

歌えているのか、いないのか、
わからないくらい小さな声で。

でもその顔は、
今まで見たことがないくらい、
穏やかだった。

まるで、
海全体が一つの生き物として、
一緒に歌っているように。

歌が、静かに終わった。

誰も何も言わなかった。

言わなくて、よかった。

海が、さっきより明るかった。

珊瑚の花が、
一回り大きく咲いていた。

空の虹が、
少しだけ濃くなったような気がした。

しばらくして、
サラがぽつりと言った。

「ジョルジュに、会いに行こう」

誰も反対しなかった。


三、海の一番古い歌

洞穴の入口は、
いつも通り静かだった。

中へ入ると、
奥の穴から切り取られた海が見えた。

ターコイズブルーの海が、
額縁の中の絵のように、
そこにあった。

ジョルジュは、
いつもの場所に座っていた。

背筋を伸ばして。
両手を膝の上に置いて。
海を眺めながら。

「来たか」

振り向かずに言った。

「全員か?」
「全員じゃないけど」とパニーが言った。
「レアと、サラと、ププと、パニー」
「そうか」

四人は、
ジョルジュの周りに座った。

洞穴の奥から、
切り取られた海を、
全員で眺めた。

しばらく、誰も話さなかった。

それが、
不思議と心地よかった。

言葉がなくても、
心が、静かに触れ合っていた。

洞穴の外から、
波の音が届いた。

遠くて、
でも確かに。

「ジョルジュ」

サラが口を開いた。

「これから、何が起きるの」

老神官は少しの間、黙った。

波の音が、また届いた。

今度は、少し大きかった。

「それは」

ジョルジュはゆっくりと言った。

「まだ話す時ではない」
「なぜ?」
「今は、感じる時だ」

サラは黙った。

納得したのか、していないのか、
わからなかった。

でもそれ以上、聞かなかった。

ププが、貝殻を耳に当てた。

洞穴の中で、目を閉じて。

その顔が、
すぐに穏やかになった。

「聞こえる?」
とレアは聞いた。

ププは小さく頷いた。

「ここでも、聞こえる」

ジョルジュがそれを見て、
静かに笑った。

皺が深くなって、
目が細くなる、あの笑い方。

その目が、一瞬だけ、
愛おしそうに細くなった。

「その子は」

老神官は言った。

「生まれた時から、聞こえているんだ」
「何が?」
「海の、一番古い歌が」

ジョルジュは、また海を見た。

「あの歌は——私の母もよく歌っていた」
「ジョルジュのお母さんも?」
「そうだ。ずっと昔の話だ」

老神官は静かに笑った。

「歌は、消えない。聞こえる子に、また宿る」

レアは、ププを見た。

小さな体。
両手で抱えた白い貝殻。
目を閉じたまま、穏やかな顔。

この子は、
最初から知っていたんだ。

言葉にならないまま、
レアの胸の奥に、
温かいものが広がった。


四、光の泉

洞穴を出ると、
海はもう完全に眩しいほどの光の中にあった。

ターコイズブルーが、
どこまでも広がっていた。

虹が、
空の端から端まで、鮮やかにかかっていた。

パニーが大きく尻尾を振った。

「ねえ、光の泉行こうよ」
「うん」とレアは言った。

光の泉は、広場の外れにあった。

岩の割れ目から、
青白い光が湧き出している。

その周りにだけ、
陸の花に似た白い花が咲いていた。

水の中なのに、
花びらが濡れていないように見えた。

記憶が形になったもの、とレアは思っていた。

パニーが鼻先でそっと水面を触った。

泉の光が揺れて、
二人の周りに光の輪が広がった。

「……きれいだね」
「うん」

「ねえレア」
「うん?」

「今日の海、きれいなのに……
少しだけ、遠い感じがする」

レアは少し驚いた。

自分が感じていたことを、
パニーに先に言われた。

「……うん」
「なんだろうね」

パニーはいつもと違って、静かだった。

水面に映る虹の色が、
ゆらゆらと揺れていた。

泉の水面に、
レアの顔が映っていた。

人魚の顔。
ターコイズブルーのひれ。
金色に縁取られた、自分の姿。

手首で、白い貝殻が小さく揺れた。
パニーがくれた、あのブレスレット。
「絶対なくさないでね」
——あの声が、ふと胸の奥で響いた。

水面が揺れた。

その瞬間だけ、
自分ではない誰かを見たような気がした。

けれど次の瞬間には、
もう消えていた。

レアは水面から目を離した。

遠くの洞穴の方を見た。

岩山の影の中に、
ジョルジュがいる。

今もきっと、
海を眺めている。

波が、遠くで一つ、大きくなった。

珊瑚の花が、
その波に合わせて揺れた。

光の粒が、
また舞い上がった。

レムリアは、今日も美しかった。


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