お金について考える その5 =為替について考える 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
お金について考える=為替について考える
ということだと…
経緯
その1では、父が持って帰ってきた造幣局が作った貨幣の歴史に関する本がキッカケで、変動相場制、ニクソン・ショック(ドル・ショック)などをリアルタイムで経験しつつup to為替相場まで、これらの激しい変化も全てお金が仮想化されているからしなやかに吸収できているんだなぁと理解。そんな知識整理が人生の早い段階で整い始めたという経緯で、お金について考える時には仮想化ということを何時も意識する様になっているというお話でした。
その2は、経済という切り口でのお金への理解。仮想化されたお金というパラメータが日常生活から世界経済まで等しく機能しているという理解のお話でした。
そもそも経済とは市場が生産活動を調整するシステムこことで、古典ギリシア語の οικονομία(家政術)に由来するので日常生活からというのは当たり前過ぎなのですが、それこそ意識しなくなっていることでした。
その3は、お金について考え抜いたから基幹産業での人生を選び、その考え抜いた結果を確実に実践できたサラリーマン人生だったというお話でした。
その4は、国という概念や民族という概念が厄介で、自国通貨も国という概念から出てきていて、国内的には各人の能力に応じて納税という形で社会貢献に使われることが最大の機能の1つだと理解して居るというお話でした。
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今回は、世界のお金の総額は20~30京円の桁感で、各国通貨という仮想化された価値の総和。そこには仮想化の極みたる外国為替取引が必須というお話です。
金融のプロではないので物理屋らしくザックリ大所を理解する感じで行きますね。細かいこと言えば語弊がある内容だと思いますが、本質を捉えることが癖になっている物理屋の切り口もまた楽しからずや…ってな感じで(笑)
国という概念から来ている種類の通貨の場合、当然国の範囲を超えての価値の交換に際しては外国為替が関わってきます。
世界のお金の総額は20京円程度の桁感です。世界の株の時価総額は2京円程度の桁感ですから株は1割程度ですかねぇ。
そしてその世界のお金は、外国為替市場の相場取引に強く依存しています。
そして個別企業相手の株式の取引とは異次元の(最近流行している言葉なので無理して使ってみました(笑))規模の所謂FX取引が存在しています。
1年間の世界の外国為替市場の取引額は400京円程度の桁感です。仮想化で膨らませて空中戦していて、そこに実取引が巻き込まれている構図。
日本の国家予算の桁感が0.01京円ですから、
(外国為替取引の400京円から見たら無視できる。所謂Negligible Smallってヤツですかねぇ。もう塵(ゴミ)。)
まぁ異次元という表現も相当かと。
その外国為替市場を相手に各国経済を晒(さら)してマネーゲームしているのが現実です。何ともエグい。
(各国の経済を弄(もてあそ)んで、そんなことしていいんかいねぇ。でも現実社会の建付けはそうなっているんですよね。)
つまり物理屋的な視点では、桁感を考えると外国為替市場から見れば国家予算ですら無視できる規模ということです。詰まり…
お金について考える=為替について考える
物理屋的にはお金について考えるなら先ずは最大規模の外国為替を考えるということなのです。
つづく
蛇足
マジでこう思ってるんですけど、どうでっしゃろか…(笑)
