1995年。崩れる日常と、変わらない稽古場
仕事が一段落したので、最近は前回お伝えした僕のブログ「ライムライトの図書館」の全面改修をしています。
進捗はだいたい60%くらい。
思った以上にやることが多くて、
ウェブデザイナーでもない僕が、
AIと相談しながら一人で奮闘中です。
デザイン、導線、会員ページの設計。
朝から晩まで見直して、
あっという間に1日が終わります。
先は遠いけど、ひとつずつ進めていくしかありません。
「日常とは何か」
今日はその問いを、
1995年という年から振り返ってみたいと思います。
1995年、18歳の僕
1995年。
僕は18歳の浪人生でした。
大学受験に失敗し、予備校に通う毎日。
倍率7倍、8倍が当たり前の時代。
ゲームも映画も断って、受験勉強に取り組み、
ひとり三島由紀夫や島尾敏雄などの純文学を読む日々。
今振り返れば、A.T.フィールド全開でした。
A.T.フィールドは当時話題になっていた
アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」に出てくる強力なバリアのことです。
自意識のバリアを張り、キャンパスライフを楽しむ同世代を
見下すことで自分を守る。
重くて、中ぶらりんな日常。
そんな年のはじめに、阪神・淡路大震災が起きました。
震災と、祖母の背中
地震が起きた1月、僕はまだ高校生でした。
東京に住んでいる僕は、直接の被害を受けませんでした。
けれど、忘れられないのが祖母の姿です。
僕の祖母は兵庫県にある、宝塚歌劇団の出身です。
兵庫に知人が多く、方々に電話をかけ続けていました。
テレビに映される横倒しになった高速道路の映像と
電話をかける祖母の姿。
「日常が壊れる」ということを、
僕ははじめて知った気がします。
卒業式の季節に起きたこと
3月、地下鉄サリン事件。
卒業式の季節でした。
僕と同じように人生の門出を迎えるはずだった
若者たちも被害に遭いました。
テレビでは連日、教団幹部が映り、
村井秀夫氏の刺殺が全国に生中継される。
街からゴミ箱が消える。
西で震災、東でテロ。
日本の空気が、明らかに重く変わっていました。
「終わりなき日常」という空気
社会学者・宮台真司さんは、当時をこう表現しました。
「終わりなき日常」
ー輝かしい未来も、劇的な破滅も来ない。
今日と同じ明日が延々と続く社会
高度成長もバブルも終わり、
「頑張れば報われる」という物語が機能しなくなった時代。
退屈で、出口の見えない日常。
そこに、オウム真理教は
“ハルマゲドン”という劇的な物語を提示しました。
「終わらない日常から抜け出したい。」
実行犯は僕よりも少しだけ年上で、高学歴の青年たち。
もしかするとあの事件は、大きな物語で
若者が日常を拒絶する出来事だったのかもしれません。
エヴァンゲリオンがヒットした理由
大ヒットしたこのアニメでは、
主人公の内面世界と、外側の世界の崩壊が描かれます。
これまでのヒーローものとは一線を画す
自分に自信が持てない少年が主人公。
父は仕事人間、母は不在。近所付き合いもない。
このアニメもまた、高度成長時代が終わった日本の、
終わりなき日常を生きる若者の物語でした。
父が書いた「人生の友」
そんな1995年、
夏に開催されたバレエ教室の
発表会プログラムに父はこう書きました。
「バレエは自分の成長を自覚するための物差し」
外部の劇的な物語ではなく、
日々のレッスンの中にある物差し。
「昨日よりも少し脚が上がった。」
「今日は回転がブレなかった。」
受験や就職、結婚で一時離れても、
戻ってくれば「あの頃の自分」と「今の自分」を測ることができる。
それは、
終わりなき日常を生きるための技術であり、
外部の物語に依存しない生き方なのかもしれません。

ブログは2月28日まで無料公開
現在、「ライムライトの図書館」は
2月28日まで無料で公開しています。
今日のnoteで触れた、
1995年の発表会プログラムの挨拶文全文
が読める
「幕開けの足跡 -1995-」
という記事も公開中です。
そして本日の音声配信では、
なぜブログを有料会員制にすることにしたのか
について話をしています。
それもまた、
“終わりなき日常”の中でどう立ち続けるか、
という問いの延長かもしれません。
もし今日の話が気になったら、
ぜひ立ち寄ってみてください。
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