旅沼への船出は🚢鑑真号で🇨🇳【20世紀の終わりに旅をするなら#14】
1987年5月 北海道〜大阪〜上海(鑑真号)
文字通り船出をした。初めての一人旅。
大阪発上海行きフェリー 鑑真号 2泊3日48時間
もう止むに止まれぬ気持ちに駆り立てられての初めての海外一人旅。
どう見てもバックパッカーだが、それに気づいてもいない。
期限は決めていなかった。
それにしても鑑真号って…と、そのネーミングがちと不安。
いくら仏教に貢献した、中国と日本に深いつながりのある僧の名前としてもだ。
だって何度も唐から日本への航海に失敗して、5回目に日本に到着したものの失明までしている。
少々引きつつ、船旅、船出 という言葉に浮かれて不安を打ち消す。
現在は運行が中断されている鑑真号。
って、いつまで運行していたの?とさっき調べたら、現時点の情勢で中断はされているが、週一で定期運行はずっとある。知らなかった〜
横浜からの航路、そして神戸〜天津間の燕京号が廃止になっただけで、新鑑真号として続いていた。
日本からの直行便が安く、便数も増えまくり、あえての船旅を選ぶ人も少なくなっただろうが、また違う魅力も使い方もありそう。
その前の前の年、中国旅行のために訪ねた札幌のH.I.S.へ、今度は一人で行く。
直前でチケット買おうとした上、パスポートも取ってなかった私たちに
「それはそうとパスポートはあるの?」
とまず問題がどこにあるかを示してくれた、ベテランっぽい所長の男の人がいた。
心に決めたGW明けの上海までの鑑真号の片道チケットと、中国ビザを依頼する。
受け取りのため再び窓口に行き、現物を落手する。これで本当に一人で海外航路の船に乗るんだ。
そこに一本電話がかかってきた。窓口は所長一人なので
「ちょっと待っててね」
と電話に出ている。
「うん、うん、あっそう、決めたの?いいよ〜 でも1週間前の便にしたら? え?早い?いや絶対1週間前の船がいいって。ちょうど今一人同じくらいの歳の女の子が来てるんだよ。え? あー はいはい かわいいかわいい。だからいいよね?○日で」
なんだ今のは?
聞こえてくる会話に、自分も登場したような気がするが、気のせいか?
電話を終えた所長が
「今ちょうどね、北大生の男の子が休学して世界一周に鑑真号で出発したいって言うからね、同じ日に乗るようにしておいたから。何かと都合いいでしょう。よし、これで安心」
え?
ウインクでもしそうな具合。どうも咄嗟に按配してくれたらしいのだ。
「かわいいって言っておいたから」
ええ?
言っておいたって、どういうことだ。
とりあえず言っておいても、乗ってしまったら違ってても下船はできないだろう。それを見越しての話術。
実際乗船して程なく、その学生T君と会うと、何とある同級生の元カレであり、学生結婚した友人の歳上夫の教え子であった。そういう話をしているうち、かわいいかそうでないかどうでも良さげになりホッとする。
T君とはその後の旅程でも偶然関わることになった。
だから按配してもらった運と縁は、札幌のH.I.S.で既に始まっていたことになる。
乗船チケットがどんな物だったか覚えてはいないが、紙だったことは確か。
その頃もし往復の航空券など買おうものなら、横長の薄いペラペラ2、3枚に心許ないカーボン紙手書きチケットをずっと持っている必要があり、それよりは安心な片道チケットだった。
ただ前泊した不慣れな大阪の梅田で、迷いまくった記憶はある。
時間のやりくりがつかなくて、地理もわからないのに、当日銀行へ行ってお金を下ろして、CITIBANKのトラベラーズチェック(T/C)を作るのにようやく間に合わせる。またギリギリだった。
さて、何でいったい、あれほど悪夢のように不条理で、超絶汚くて、1ヶ月でも帰国が待ち遠しくて、感想を求められて「人は 悪い!」と言って土産話を期待した人々を絶句させた中国に、再び、それももっと長期に、一人で行くことにしたのだろう。
それも新卒で就職した公務員を一年で辞めてだ。無謀にも程がある。
若気の至りで傷つけたりついたりして、それをこじらせて、どうにかするためには旅に出るしかない、と思い込んだ。
どこをどうしてそうなるかはわからないが、とにかくそう思い込んだ。
今思うと元々ラテラルシンキング的思考グセが強いんだと思う。
いつもとんでもない方向から解決策を見出そうとする。
そこに未必の故意みたいなあわよくば的破滅願望がほんのちょっぴり加わって、好奇心で加速度つけたら止まらなかった。
うわー やだわー 今思うとめちゃくちゃ愚かな感じじゃん。
じゃあなぜ行き先を中国にしたのか?
それは突飛な事をしようとする割に、小心者で勇気も自信が全くないからだ。
海外と言えば中国しか知らないから
あのとんでもないとこに行けば、苦悩どころじゃなくなりそうだから
船旅なら、着くまで猶予とチャンスがあるかもしれないから
飛行機で一人で着くのは怖いから(香港でさえ単身でホテルの交渉をする勇気がない)
そして次にようやく少しはポジティブな理由がくる。
新疆ウイグル自治区やチベットには興味があったから
唯一のポジティブ理由は、一度中国に行ったからこそ生まれたもので、結局その後多大な影響を受けまくったから、最初から繋がっていた気もする。
まあ、端的には
若くて愚かでいたたまれなかったから
に尽きる。
鑑真号の船内では、先のT君をはじめ、自由旅行をする20代の日本人何人かと出会う。
T君の他にも、世界一周を目指す大学生のH君。京都出身だけどたいそう語調のキツいSさん。大阪のお菓子屋さんで働く女の人二人。仕事辞めたという温厚な東大卒の女性。元高校の先生と教え子という組み合わせの女性カップル。
乗船して早速、同じ部屋の中国人女性に言葉の指導を受け、皆で旅の予定なんかも語り合う。
フリーの食事バイキングで、油まみれの食事を取った夕方までは何とかなったが、外洋に出ると揺れはじめ、みんな黙り込んで部屋で寝たきりになった。
そうだった。学生の頃学割のきく長距離フェリー⛴️で沖縄本島、石垣島、小樽、舞鶴なんかに船を使ったら、バリバリ酔ったのを忘れていた。
そう言えば2012年に久しぶりに 鹿児島〜徳之島〜沖縄本島 への船旅をしたら、思ったより揺れないことに驚いた。
1980年代に比べ、スタビライザーが劇的に進化して、揺れが相当軽減されていたのだ。
気を良くしてその後、門司〜横須賀なんかの長距離フェリーに何回か乗ったが、やっぱり全然違う。
まあ87年に戻る。とにかく鑑真のように失明するかと思うほど揺れた。
後年思った。悪阻に酷似の感覚。

上海の街が見える頃
48時間のゲロゲロから立ち上がった一枚
これから長旅というのに
なんか迷惑な重いすずりみたいなのを
乗船記念にもらった気がするが
どうしたんだっけ?
よく考えると、現在スラングとしての「沼る」「旅沼」の意味のように、この一人旅から没入し、耽溺したに違いない。抜け出せずどんどん旅の深みにはまっていく。
しかし実際の語感からは逆だ。
自分としては、日本にいる時、濁ったどんよりしたものにまとわりつかれ、足を取られ、常にそこから抜け出して思い切り息を吸いたいと思う。もちろん実際は結構楽しくやってたりするけど、この環境は自分には感覚的に「沼」だ。
何とか這い出してはまた出かけていく。
そうやって息を吸いに出たアジアは、また「深みにはまる」という意味での「沼」。
どちらにしろ知ってしまった以上仕方ない沼 沼 沼。
しかしこの沼、五色沼みたいに結構明媚かも。
旅沼人生が始まった。
その最初が、飛行機ではなく航海だったことの意味は大きい。
