空風りさ〜まだ名前のない色〜|第29話 『 届かなくても…』
※ 本作はフィクションです。
登場人物・団体・出来事に実在の
モデルはありません。
※「正しい答え」を提示する物語ではなく、 “まだ名前のない感覚”を眺める作品として 読んで頂ければ幸いです。
※ この作品の最新話は、
毎週、月・水・金に掲載予定です。
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空風りさ〜まだ名前のない色〜
第29話『 届かなくても… 』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
パイプ椅子の軋む音が聞こえる。
誰かが咳払いをした。
マイクの位置を直す音。
資料をめくる音。
その全部が、妙に大きく聞こえた。
舞台袖で、りさは資料を抱えている。
手が冷たい。
喉も乾いている。
心臓だけが、やたら元気だった。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
(帰りたい……)
本気で思った…その時だった。
会場のスピーカーから司会の声が流れる。
「それでは最後に、本日の特別講師を
ご紹介致します」
りさの肩が跳ねる。
「心理カウンセラーとして長年活動され、
英国の心理学教育機関で学ばれた知見を
基に、数多くの実践経験を積まれてきま
したーーー」
(やめてぇ〜……)
「現在は予約が困難なほど
多忙な先生であり――」
(知らない、知らない、知らない!!)
「本日は特別にお時間を頂いております」
会場がざわつく。
りさは自分のことを説明されている
気がしなかった。
まるで、どこか別の誰かの話を
聞いているようだった。
「それでは――空風りさ先生です」
盛大な拍手が起こる。
りさは一瞬だけ目を閉じた。
(ミホ……)
助けて。
(夏帆……)
代わって。
(瀬戸くん……)
無理。
誰も助けてくれない。
当たり前だった。
自分で歩くしかない。
りさは小さく息を吸った。
そして舞台袖から一歩踏み出す。
照明が眩しい。
壇上までの距離は短いはずなのに…
今日は妙に遠く感じた。
拍手は続いている。
期待や好奇心。
そして不安。
様々な感情が混ざり合った視線が、
自分へ向いているのが分かった。
演壇へ立つ。
目の前にはマイク。
そこで…客席の中に、一人の姿を見つけた。
瀬戸悠真。
後方の席で静かに座り、こちらを見ている。微笑みながら…いつものように見ていた。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
鼓動が高鳴る。
吐き気を感じる…目の前が真っ白だ。
りさはマイクを見つめる。
そして、手元の資料を開く…。
「あっ…」
資料は裏返し。
最後のページが開いた。
「……!」
間違って開いた最後のページ下の隅に…
ミホの手書きが目に映る。
『私は、りさの言葉が好きだなぁ…』
あれほど高鳴っていた鼓動が静かになる。
痛かった腹痛が…治まった。
そして…不思議な程、視界がクリアになる。
演壇でフリーズするりさの姿に、
会場から小さなザワつきが起こる。
瀬戸悠真も、りさの異変に気付く。
しかし、何かしてあげられることもない。
その時…。
ゆっくりと、静かにマイクから…
りさの声が会場へ染みる。
「え〜っと、あたしの名前は空風りさです」
キーン。
ノイズと共に自己紹介するりさ。
会場には、小さな囁きがチラホラ聞こえる。
「あたしの講座に期待して来られた方が…
もしいらっしゃったら…ごめんなさい。
多分、期待に添える話は出来ない……
っと思います」
今度は、ハッキリ聞こえるどよめきが…
会場に広がる。
「司会の方が、紹介していただいた内容…
あたしは、心理カウンセラーではなくて
有名な売れない画家に訂正します」
どよめく人の中には、席から立ち上がり、
会場から出ていく人が数人いた。
それでも、りさは話続ける。
「本日、この場に立つにあたって…
あたしは、ミホ……親友に講座の資料を
作ってもらったんです」
そう言って、資料を掲げた。
「彼女は、明け方まで仕事して…
そらから、あたしに付き合って…
お昼まで、この資料を一緒に
作ってくれました」
りさは、会場をゆっくり見渡す。
欠伸している人。
呆気に取られてる人。
隣同士話す人。
寝ている人……。
「親友はヘトヘトで…
本当は、すぐにでも横になりたかったと
思います」
資料を握る手に力が入る。
「この資料は、とても素晴らしいです。
多分…これを読めば、御列席の皆様は
大変満足していただける内容です」
演壇を舞台の袖から眺める若草紗奈は深く
頷く。
そして、会場の視線は手元にある資料に
集まるのが感じられる。
「でも、この資料は読みません。
使いません」
そう言って、りさは資料を講壇に置いた。
会場のざわめきが高まる。
「何の話をしてるんだ!」
「ふざけてるのか?」
「期待させやがって」
様々な声が混じりあって聞こえる。
明らかに、憤慨して会場を後にする人も
居る。
「あれだけ苦労して作り上げたものを…
親友は言ったんです。
りさの言葉が好きだって!」
声を張り上げた。
今や、会場を出る人で出口が溢れてる。
それでも、りさは続けた。
「だから、あたしは自分の言葉で綴るんです
全員に届かなくてもいい……。
あたしの言葉を好きって言ってくれた…
親友みたいに。
聞いてくれる人へ届けば…
そう願って話します」
瀬戸悠真は、自分の膝を強く握る。
……何故か分からない。
分からないけど、熱く滾る何かが…
胸から込み上げて止まらない。
瀬戸悠真の近くの席に立つ、中井美樹は一切表情が変わらない。
しかし、りさの言葉に集中している。
「心理学は万能で…
魔法なんかじゃありません。
あたしは、それで他人を傷つけたことも…
傷付いたこともあります」
若草紗奈は、自身の胸ぐらをグッと握る。
「人には、どんな言葉が届くのか…
そんなことは分かりません。
何が届くのかなんて……
分かるはずない」
りさは小さく、ふーっと息を吐く。
「でも!
届いたって"感覚"があるのは……
確かなんです。
だって!
それを感じているのが私だから!」
今や会場に残っているのは数える程…
しかし、りさは力強く言葉を紡ぐ。
「……だから、あたしは届ける為に…
言葉を紡ぐんです」
りさの話には…
講座の要素は一切なかった。
心理学の話もないし、新都市に触れない。
ただ、出会った人と交わした会話を話す。
田中さんや西川真紀。
老夫婦や若草紗奈、庭野樹。
町田兄弟に、白石奏と竜誠。
朝比奈灯と小鳥遊悠。
りさは、チラっと瀬戸悠真見た。
「安心や居場所なんて…
もうそこに在るのかもしれないし……
無いのかもしれない。
だけど、あたしはそれ自体より、
大切にしたいものがあります。
それは、受け取ってくれる存在。
まだ名前のない色を愛したい…です」
そう言って、講壇から一本下がり頭を下げた。
パラパラと、まばらで小さな拍手。
今や、会場の席には8人程しか居ない。
「おいおい!
こりゃ〜事故じゃねぇか?」
演壇袖の控えで、赤坂真実が毒づくように
言い放った。
「会長の面目、丸潰れだなぁー」
演壇から戻るりさの姿を一瞥して
出口へ向う。
出口に立つ中井美樹と信孝の所へ歩いてくる赤坂の姿を確認した信孝は黒縁眼鏡の位置を直しながら呟く。
「夏帆さんが親友と呼ぶのも分かる…」
微かに微笑んだあと、近くに立つ中井美樹に会釈をして会場を出た。
入れ替わるように、中井美樹の近くへ赤坂が
来た。
「会長!
彼女の実態は、私めがリカバリーするので
ご安心を!」
胸を叩いて力強く言った。
中井美樹の表情は一切変わらない。
ひとつの感情も浮かべず、赤坂を見る。
「失態?
誰が失態を犯したの?
もし、失態としすなら…
彼女意外の登壇者ね」
「え?
……会長、おっしゃっている意味がーー」
「赤坂くん。
配達員はね…届け先を間違えるなら、
まだいい方。
でもね……
届ける意味自体、分からないなら…
配達員とすら呼べないわ」
そう言って、赤坂から離れ。
登壇者の控え室へ向う。
りさが、若草紗奈と話していると、
中井美樹が近いてきた。
「あっ、中井さん」
「お疲れ様です。空風先生」
「あたし……、ブチ壊してしまいました」
「えぇ。見事に壊しましたね」
中井美樹の表情は動かない。
その顔からは感情が読み取れない。
「空風先生。
先生は、やはり素敵ですわ。
これからも末永いお付き合いを
お願いします」
ぽか〜んっとするりさを余所に、
中井美樹は腰を折ってお辞儀をした。
それから、会場から出ていく。
りさと若草紗奈は、その後ろ姿を…
ただ見送っていた。
ブー。
ブー。
りさのポケットから、
スマホの着信を知らせる振動が響く。
通知はLINE。
相手は夏帆だった。
その通知に、りさは目を大きく見開いた。
『ミホ倒れた。今、病院にいる』
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