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お母さん、自信を持って①


「お母さん、自信を持って」


今も昔も、私が母に言いたいのは、それだけだ。
たとえ、もう変わらないと思っていても。

これは、母を免罪するための文章ではない。
母が私にしたことを、なかったことにするためでもない。

ただ私は今、母という人を「母」という役割だけではなく、ひとりの未熟な女性として、少し離れた場所から見つめ直している。



母は、幼稚園児のような人だった。

幼稚園児、というのは心の話である。

母は、心のどこかがとても幼い人だったのだと思う。

僻んだり、拗ねたり、競ってきたり。
悪口が酷かったり、お酒を飲んで暴れたり。

そんな自分の醜い部分を、娘である私に存分に見せてきた。

そんな幼い心のまま、結婚して、子どもを産んだ。
それはあまりにも、いろんな経験や段階を
すっ飛ばした流れだったのではないか。

好きか嫌いかもよくわからないまま、
神輿に担がれるようにして、
あれよあれよという間に、結婚、妊娠、出産。


母は、いわゆる奥手女子だった。


自ら恋愛をして、自分の意思で結婚へ
進んでいくタイプではなかったようだ。




守られすぎた末娘


母は旧家の末娘だった。

お嬢様として育てられ、花を習い、ピアノを習い、大切にされていた。
祖父母からの援助もあり、短大を卒業して資格を取り、手に職をつけて働けるよう守られてきた。
どこか世間の荒波に直接さらされずに済んできた人だったのかもしれない。

その資格とは、当時人気だった
幼稚園教諭の免許である。

幼稚園児のような心を持った人が、
幼児教育の資格を持っていた。

短大卒業後、母は二、三年ほど幼稚園に勤めたという。
けれど働くこと自体が性に合わず、その後の人生で幼稚園教諭として働くことは一度もなかった。

それでも、子どもたちの純粋な言葉には心が和んだらしい。
母がそう話していたことを、私は今でも覚えている。

母は子どもたちを見守る側にいた。

けれど母自身もまた、誰かに見守られる必要のある人だったのではないか。


お見合いという名の追い立て


「自分で立つ」と書いて、「自立」と読む。
けれど母は、自力で働いたり、恋愛したりするのが難しいタイプだった。

祖父母はそんな母を、とても心配していた。

昭和四十年代。
恋愛結婚もお見合い結婚も普通にあり、結婚適齢期は今よりずっと早かった。「行かず後家」などという言葉もあった。

恋愛経験ゼロの母のもとには、当然のようにお見合い話が持ち込まれた。
祖父母は釣書を持ってきては、母にお見合いをさせた。断られても、次、また次。母が落ち込む暇もないくらい、話は進んだらしい。

けれど断られるたびに、母の心はすり減っていったのではないかと思う。

祖父は「二十七歳までには嫁にやらなくては」と焦っていた。
母本人は、まだ実家にいたかったという。けれど、いさせてもらえる雰囲気ではなかった、と。


もう少し、心が熟すまで待ってあげてもよかったのではないか。
おとなになった私は、本気でそう思う。

お見合いで、あてがわれてしまった。

乱暴な言い方かもしれない。
でも、私にはどうしてもそう見えてしまう。




祖父母の善意と、時代の重さ


祖父母は、たぶん健全な人たちだったのだと思う。
孫の私にとっては、避難所のような存在でもあった。

彼らにとって、子どもを結婚させて、自立させることは親としての大きな役目だった。
娘を嫁に出して、ようやく一人前。
そういう時代の、そういう価値観の中にいた人たちだった。

当時は今よりずっと選択肢が少なかった。
特に女性は、結婚して、子どもを産み、家庭に入ることが当たり前の道として用意されていた。

多様性や発達の特性、目に見えない生きづらさが、今のように言葉にされることも少なかった。

祖父は戦争の時代を生き抜いた、誇り高い人だった。
だからこそ、自分の娘が「結婚しないまま実家にいる」未来など、想像しにくかったのだと思う。

結婚さえすれば、しっかりする。
嫁に行けば、なんとかなる。

祖父母たちはきっと、本気でそう思っていた。
悪意ではなかった。けれど、その善意と焦りが、母には重すぎたのかもしれない。


「可愛い」というキラーワード


そして、ついに母の結婚相手が決まった。

その相手こそが、後にモラハラと暴力性を発揮する、私の父である。


母は父のことを、有名大卒で、スマートで、
少し強引だけれど何でも決めてくれる頼もしい人だと思ったらしい。

お見合いのあと、二人は何度かデートをした。
そのとき父が、母にこう言ったのだという。

「可愛いと思った」

たったそれだけの言葉だったのかもしれない。
けれど、恋愛経験がゼロで、あまりにもウブだった母にとって、その一言は強烈なキラーワードだったのだと思う。

誰かに選ばれた。
誰かに可愛いと言われた。

すり減っていた母の心に、それはどれほど甘く響いたのだろう。

そう考えると、私は少し苦しくなる。


母に似なかった私


幸か不幸か、私の外見はどちらかというと、父に似ている。

だから私は、母独自の悩みを、本当の意味ではわかっていなかったのかもしれない。

容姿のこと、勉強のこと、恋愛経験のなさ、自分に自信が持てないこと。
そういうものが、母の中でどれほど大きかったのか。

傲慢に言いたいわけではない。

ただ、子どもにとって母親とは、本来、完璧な人でなくてもよかったはずだと思う。
子どもを理解し、愛してくれる人であれば、子どもはどんなお母さんでも大好きなのだ。

けれど、精神的に未熟なまま親になると、子どもは「愛する対象」ではなく、「自分の不足を埋める存在」になってしまうことがある。

思い通りにいかない人生のなかで、自分の子どもだけが、無条件で自分を慕い、気にかけ、心を砕いてくれる。
コンプレックスの強い人にとって、それはとても甘くて、都合の良いものに見えてしまったのかもしれない。

その甘さに溺れると、子どもは「愛する存在」ではなく、
「自尊心を保つための道具」になってしまう。

そこに、いわゆる毒親と言われる人たちの真髄があるのではないか。



認めることからしか、始まらない



母の中で、「自分自身に問題がある」と、一瞬でも感じたことはなかったのだろうか。

人は、自分の至らなさを認めるところからしか、回復の一歩を踏み出せないのだと思う。

母の依存体質や他力本願、他責思考の背景には、本人の資質も大いにあるが、親が与えすぎてしまったこと、そしてモラハラ夫に侮辱され、けなされ続けたことも要因の一つだと思っている。


母に、少しでも自分の人生を切り開く力があったなら。
「自分で、立とう」と思う気持ちがあったなら。


「お母さん、自信を持って」


ーーいつだって、私は応援していたのだ。



長くなったので、続きはまた書く。

つづきはこちら ↓


ここまで、お読みいただきありがとうございます。





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いつもありがとうございます。
この場を借りてお礼申し上げます。
また、改めてご紹介させていただきます。


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