『わたしの生きづらさ 私への手紙』
春野ましゃこさんのこちら↓の企画に参加させていただきます。
私はどちらかというと明るめな投稿が多いかと思いますが、
今回は『私の生きづらさ』を正面から考えてみたので、少し重い内容かと。
数ある投稿の中からこちらを覗いていただいて、とてもありがたいのですが、明るくいたい方はまわれ右でお願いします!
師走だからなのか、最近ずっと心がざわざわしている。
色んな想いが交錯する。
毎日、毎日、忙しい。
体調を崩しても、38度の熱がでても、私の生活ルーティンは変わらない。
というか、子どもが生まれてから、変えられない環境になった。
それなのに、師走。
年末・年始の予定も、年内に終わらせる会社の仕事も。
考えることがたくさん。
お正月なんかなければいいと心から思う。本当に。
なくなってしまってほしい。
大事な人には大事に思っている気持ちを、ちゃんと伝えてる。
感謝の気持ちはいつも伝えているつもり。
それなのに、忘年会・お正月の準備・夫と私の家族へのあいさつ。
私はいつも平坦な心でいたい。
それなのに、年中行事は私の心をざわつかせる。
相手のあることがとても苦手。
こう思うのが、私の生きづらさ。
そして、この生きづらさを考えて、自分のことをまた考え始めた。
私はなかなか『普通』ではないと思う。
でも、『普通』を装うことはできる。
話したことはないけれど、noteなら書けるかな。
「生まれてきて嬉しい」と思ったことは一度もない。
だからといって苦しいとか、そういうことはないのだけれど。
ただただ、そう思ったことがないだけ。
ドラマや小説で「生まれてきて嬉しい」「産んでくれてありがとう」
というワードがあるけれど、なにも響かないのだ。
そしてこれからも響かないだろう。
環境が悪かったとかそういうものではないと思う。
環境でいえば、おそらく私は恵まれている方だと思う。
お金持ちというわけでは決してないけれど、親は大学院までだしてくれた。両親に愛されている自信は、毎日息をするように当たり前にある。
だからこんな思考の私でも、自分を卑下することはない。
でも小さな頃から、人は生まれて死ぬことを考えている子だった。
普通を装って。
なぜ生まれて、なぜ死ぬのだろう。
死ぬのに、なぜ生まれるのだろう。
毎日の生活は楽しくても、生まれてきて幸せではない。
生まれてきた中で幸せなのだ。
人は社会で生きなきゃいけないから、
その想いは隠したまま、装って生きてきた。
そして、私は強くはない。
家族を捨てられない。
前にも書いたが、私は家族が大好きで大切。
大切すぎて辛くなることもある。
だから大学を機に家をでた。
子どもの頃に、自分はこの家族と縁をきれないという事実に気づき、
ぞっとしたことがある。
(小さい頃は、色んな世界があって、成長とともに家族を卒業できる
感覚がどこかにあった。)
カモメのジョナサンのジョナサンだと思うけれど、
その他のジョナサンと一緒にいる。
一人で生きる自信も力もなく。
*カモメのジョナサンについて
それでも苦しくなって、自分を取り戻したくて、
今手放した自分を少し取り戻している。
でもそうなると、本当の自分と、昔の自分と、今の自分の間で揺れる。
生きる感覚も、
性的指向も、
たぶん人とは違う。
(これはまた別の機会に書けたらと思う。)
本当は一人が好き。
食事も映画も一人で行くのが好き。
ただただ考え込むことが好き。
日常で社会の中で『普通』を演じていても、心だけは自由で、
一人違う世界で、考えを巡らせている自分も好き。
でも、たぶん師走は特にその時間をとれない。
だから心がざわつく。
一人が好きなのに、子どもとずっと一緒。
私が体調を崩しても、師走で夫もバタバタ。
それなのに、年末年始にお互いの実家を訪れる。
その家族の時間で、息が止まりそうなんだ。
子どもが成長するまで、毎年、この季節に、
生きづらさを感じるかもしれない。
でも、子どもが成長したらしたで寂しさも感じるのかもしれない。
一人が好きと書きながら、家族は大事だから。
子どもという存在は奇跡だけれど、
抱えきれないことを運んでくることもある。
今は手探り状態。
年末年始を乗り切るまで、心を保てるように頑張ろう。
平坦な心でいたい私に気づいてあげよう。
まとまりきっていませんが、書くことでなにかヒントをもらえた
気がします。
長文になってしまいました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
*ましゃこさん、今回の企画をありがとうございます。
書いていて心の整理や、なにが必要かが分かった気が。
ただコメントしづらい内容かと思うので、すみません。
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読んでいただきありがとうございます。
少しでもあなたの心に響くものがありますように。
応援していただけると嬉しいです。