『かもめのジョナサンと私』【読書記録①】
『かもめのジョナサン』
知人から勧められて大学生の時にかもめのジョナサンを読んだ。
うすい文庫本で、あっという間に読み終えた記憶がある。
知人はおそらく『ジョナサン』に同調して勧めてくれたのだろう。
ただ私は『他のカモメ達になれたらよかったのに、』と思った。
読んだ感想はそれ以上でもそれ以下でもない。
初めて読んでから20年程経つだろうか。
詳細はもう覚えていない。
でも私は『ジョナサン』ではなく、『ほかのカモメ達』が羨ましかった。
ジョナサンは他のカモメ達と違って『ジョナサン』だった。
そのことはそんなに素晴らしいことだろうか。
この世界で『自分』を考え抜く力がある人々は、ほんの一握りの人々だと思ってしまった。
私はジョナサンになれるほど強くはなく、世界もまだ変わっていない気がする。
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上の文章は、私が子どもを産んで、子どもが6か月の時に仕事復帰し、1年くらい経った頃に書いた文章。
私は大学・大学院時代に国際政治を学び、性的指向も普通の人とは違うと思う。
『普通』がよくわからない変わった女の子、女性だった。
でも、HSP気質もあるのだろか、周りが求めること(ジェンダーロール、娘・妻・若い女性etc)が嫌というほど分かった。
親に金銭的迷惑をかけ続ける罪悪感に勝つ強さも、周りが求めることに反する強さも、持ち続けるには結構な力がいる。
結局『自分』を通すまでの強さはなく、就職し、今の夫と結婚し、不妊治療の末に子どもを産み、復職し、今にいたる。
(*夫のことは人として好きになったので、今も大好きだし、子どもも大好き。)
だからよく『普通』を真似ていた。
「普通にやってみて~」、という気軽な言葉にも、
『自分の普通』でやったら間違えるから、いつも気を付けていた。
今までの反動がきたのか、就職氷河期で就職したのはかなり昔気質の会社。
そこで驚愕するほどのジェンダーギャップ。
息ができなくなっているときに、私の微かなHELPに気づいてくれる人がいて、noteと出会って、今また『自分』を取り戻している。
子どもの頃の私は『ジョナサン』だった。
数年前の私は『その他のジョナサン』でいたかった。
でも、今は『ジョナサン』にもなりたいとも思う。
今、こうも気持ちが変化したことに、びっくりした。
きっと決めつけなくていいんだよね。
ジョナサンがたくさんいれば、『違うことが当たり前』の世界になるし、
その他のジョナサンだって、もちろんいい。
みんなが認め合える世界になりますように。
それが、「カモメのジョナサン」を通して『今の自分』が思うこと。
『ジョナサン と その他のジョナサン』が分かる方がいらっしゃいますように。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
*「風と共に去りぬ」でも同じようなことを思いました。
そちらの投稿もできれば。
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