【前編】記憶が飛びかけた1ヶ月|極限のワンオペで壊れかけた話
いつも読んでくださりありがとうございます。
のぶパパです!
今回は妻の第2子妊娠をきっかけにはじまった、
ワンオペで記憶が飛びかけた一か月の話です!!
人生の中で、ある意味一番過酷だった期間の話です。
妻は妊娠が分かってすぐに、重度のつわりで動けない状態になりました。
そのタイミングで、
・引っ越し
・育児
・娘の療育の対応
・仕事
・家事
・妻の入院のお見舞いや対応
これらがすべて同時に重なり、
結果的に、ほぼワンオペで回さざるを得ない状況になりました。
本当は
「あの時こんなことがあって大変だった!」
と、少し笑えるような気持ちで書くつもりでした。
ただ、整理してみると私自身が壊れかけるまで
走り続けていた話になってしまいました。
あの時の自分には、「よく頑張ったな」と伝えたいです。
そして今、
同じように限界の中にいるパパやママがいたら、
立ち止まって、一呼吸おけるきっかけに
少しでもなればいいなと思っています。
第二子妊娠が分かった日!
第二子の妊娠がわかった時、
正直とても嬉しかったです!!
※妻からの連絡を会社で聞いて、非常階段で興奮しすぎて大声で「やったー!」と叫んでいました💦
娘には希少な遺伝子疾患があったため、
事前に親子三人で遺伝子検査を受けていました。
その結果、遺伝的な心配はしなくても大丈夫と分かっていた中での妊娠でした。
ただ、その喜びの直後から、
私たちの生活は一気に大きく変わり始めます。
ここから、
人生で一番過酷だった1か月が始まりました。
引っ越し準備と、妻のつわり
娘が1歳4ヶ月の頃、
春から通える保育園が決まりました。
娘の受け入れをしてくれる保育園自体がほぼなかったので、
※医療的ケアが部分的に必要だったので
保育園の近くに引っ越すことになり、
準備が一気に動き出しました。
ただ、娘がいる中での引っ越しは、
想像以上に大変でした。
この頃の娘はハイハイで自由に動き回り、
少しでも離れると泣いてしまいます。
そのため、日中はほとんど準備が進みませんでした。
さらに、医療的ケアに必要な物品も多く、
荷物の量自体もかなり多い状況でした。
平日は仕事、土日はどちらかが育児。
時間だけが過ぎていき、準備は思うように進まない。
そんな状態が続いていました。
そして、引っ越し直前。
妻のつわりはだんだんと悪化していきます。
固形物はほぼ食べられず、水分のみしかとれず。
ベッドから起き上がることもできない状態。
匂いにも強く反応するようになり、
シャンプーや洗剤も無臭のものを探し回りました。
気が付くと引っ越しまで、残り1週間
それにも関わらず、
荷造りはほとんど終わっていませんでした。
ここから、ほぼ完全なワンオペでの準備になりました。
正直、引越し前のぐちゃぐちゃの部屋を見て、
これ。。。本当に終わるのかなと思っていました。
日中は仕事。
帰宅後は、妻と娘の食事・お風呂・寝かしつけ・家事。
その合間に、引っ越し準備と家具の手配。
そして夜、娘が寝たあとに
段ボールに荷物を詰め続ける日々。
最終的に、50箱近くを自分で詰めたと思います
この時点で、正直かなり限界に近づいていました。
それでも、
「自分がやるしかない」
そう思い込んでいました。
引っ越しはなんとか乗り切りましたが、
本当にきつかったのはその後でした。
引っ越し後に、妻が入院
引っ越し後すぐに、
妻のつわりがさらに重症化し、
そのまま入院となりました。
ここから、
完全なワンオペ生活が始まります。
片付かない部屋。
未開封の段ボールの山。
当時の平日の流れは、こんな感じでした。
09:30 娘の療育送迎
送迎後、そのまま仕事開始。
09:30〜15:30 仕事・移動・面会
在宅と出社を織り交ぜながら仕事。
出社日は片道1時間かかるため、実質稼働は4時間ほど。
合間を縫って妻の病院へ向かい、
15分ほどの面会で必要な物の受け渡し。
15:30 娘帰宅(ここで自由時間は終了)
そこからは育児と食事の準備。
夜はお風呂と寝かしつけ。
その後、夜な夜な荷ほどき。
この頃の娘は夜泣きも多く、
思うように作業は進みませんでした。
仕事は営業職で、
ある程度の裁量はありましたが、
寝不足の中、限られた時間で成果も求められる状態。
正直、この期間は
仕事も何一つうまくいきませんでした。
それでも、
「ミスだけはしない」
それだけを意識していました。
限界は、静かに近づいていた
ある日、会社で言われました。
「目のクマがすごいし、死んだような顔してるよ」
その時、自分ではまったく気づいていませんでした。
でも、周りから見たら、
すでに限界だったんだと思います。
この頃の自分は、誰にも頼れていませんでした。
第二子が生まれる。
父親としてちゃんとしないといけない。
妻も入院しながら頑張っている。
退院までに部屋を整えて迎えたい。
そう思うほどに、
「なんとかなる」
「自分でやらなきゃ」
という考えに縛られていきました。
でも実際は、
全然なんとかなっていませんでした。
ある時、やることが多すぎて、
何から手をつけていいのか分からなくなりました。
そして、
完全に思考が止まった瞬間がありました。
目の前にやるべきことはあるのに、動けない。
今振り返ると、
このタイミングで完全にパンクしていたと思います。
娘の寝かしつけの時も、
「おやすみ」じゃなく、
「今日もお疲れ・・」
そんな言葉が自然と出ていました。
可愛い気持ちはあるのに、余裕がなさすぎて、
「1秒でも早く寝てほしい」
そう思ってしまう自分もいました。
娘が寝たあとも夜の時間は少しだけありましたが、放心状態。
やらなきゃいけないことは山ほどあるのに、
ただ座っているだけで、何も考えられない。
気づいたら時間だけが過ぎている。
そんな時間がどんどん増えていきました。
今振り返ると、
明らかに自分のキャパを超えていたと思います。
長くなってしまったので、後編に続きます⬇️
(※書くにあたって明らかに記憶がつながらない箇所があったり、思い出せない部分がありました。うまく書けない部分もあり何度も書き直しました。一人の父のリアルな記録として見てもらえると嬉しいです。)
⬇️療育に通うパパ目線の話まとめてます。
