いまだ、自分の可能性を狭めようとしていたのかもしれない。 -詩を創作する企画に参加して気づけたこと-
きっかけは、一編の詩との出会いでした。
情熱的な女性の感情が読み手の心にも流れてきて、とても惹き込まれました。読後に残る余韻、改めて文章の力を「体感」したような気がしました。
そして、こちらの素敵な詩が「ガラスの手」からはじまるお題に沿った作品であることを知りました。
私はこのお題を目にした時に、「ガラスの手」からはじまる一文と、とある物語が思い浮かびました。
私もこれを文字にしてみたくなりました。
せっかくなら、私もこの企画に参加してみようかな…。
ですが、ここで思います。
いきなり真染が「詩」を投稿したら、noterとしての軸というか、読者さんからは発信していきたい方向性がブレて見えるのではないか?
そして私自身も、小説や詩といった「文章での創作」に対してはジャンル的には遠いものと捉えていました。
私には向いていないと思っていました。
…ん?「私には向いていない」?
この思いはデジャヴを感じます。
noteをはじめる前、文章を書くことは向いていないって思ってたよね、真染よ。
…まぁ、つぶやきならば、許容範囲かもしれない。
そう思って一度書いてみました。
まずはラフ案を書き出してから
こういう表現がイメージに近いかな。
この文字の意味合いは合っていただろうか。(検索)
この言い回しを変えよう。
私が残したい余韻はもっとこう…
完成して、読み直します。
…やっぱり、記事にしてみようかな。
「直感に従って、やりたいと思ったことをやってみる」
そうだ、これは私の発信したい「主」テーマとも繋がるではないか!
そんなこじつけられる理由を見つけたので、意気揚々と投稿をしました。
この記事への反応は薄いものだろうと想定していました。
ん?予想外に、スキをいただけている…?
少しほっとしていた時、この詩にコメントをいただきました。

このような美しい解釈をしていただけたことが、そして樹立夏さんの心に響いたことが、とてもとても嬉しく思いました。
この感覚は、初めてのものかもしれません。
読んでくださった方が、この詩をどのように解釈されたのか実は気になっていました。
書いた私の中でも、解釈が複数個あったためです。
そういえば、で思い出したことがあります。
私の母には「俳句」を嗜む趣味があります。
帰省の時にちらと日記を見せてもらうのですが、日常で感じたことをゆるい俳句にして残していたりするのです。
私は小さい頃から絵ばかり描いてましたので、母からは創作好きな血をもらったのかなぁ(ジャンルは違うけど)というふうに思っていました。
今になって、私もなんだか文章に目覚めてきています。
こ、これは…?受け継いだ血…?
私は「文章での創作」を考えてみてもいいのだろうか…?
一つ言えるのは、
「物語」を書くなんて向いてない。
というブロックは、外したい。ということです。
長文の小説というよりは、読んだ方の想像を膨らませる文章、まさに「詩」というジャンルに少し興味が出てきました。
こんなに常々思考に意識を払っているのに、それでも潜在的ブロックがあったことを知る機会が、ここ1ヶ月を振り返ってもたっくさんあります。
この気づきの多さは、noteの影響も多大です。
人間とは、思い込みで「自分」を形作っています。
生まれた時から決まっていることは実は僅かなもので、常日頃から全部自分で自分を設計してるようなものです。
素敵な詩を書いてくださった山根あきらさん、コメントをくださった樹立夏さん、ハッシュタグから読んでスキを押してくださった読者さん、いつもの真染の記事を知っていて、今回の記事にもスキを押してくださったnoter仲間の皆さん、ありがとうございます🙇♀️
皆様のおかげで、真染はまた新しい自分に出会いつつあるかもしれません。
ちなみに、以下の記事で決めたメインテーマとサブテーマに関しては今後も2トップ事項で発信していきます!
メインテーマは「自身の幸せ(エネルギー)を向上させる&保つ思考法」
サブテーマは「読まれる(ビューの集まる)note、心を動かす(スキの集まる)noteの秘密」
-思考整理の先に"メインテーマ"と"サブテーマ"がありました-
真染がときおり創作を投稿していた時は、温かい目で見守っていただけたら幸いです🥳
🌷オススメ🌷
「noteをはじめる前、文章を書くことは向いていないって思ってた」時期を書いたエッセイです。
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