月と文社 私の孤独な日曜日
読みたくても買えなかった一冊。
重版情報を得たので、書店で購入。
問い合わせが多いのか「在庫8冊」
品出し前の1冊を取り出してもらった。
売り場担当者は、おそらくこういった、わたなべ的な客対のために
8冊も仕入れたのだろう。
コラージュで書いている人たちは、編集者が選定した人たち。
プロもいれば、素人もいる。
文章は、その人をあらわす。
ただの記号ではない。
まっすぐ進んでいこうとする読者の道のりを、
直角に曲げたりする「ひっかかり」がどこかにある。
それは小説の伏線とはちがい、
編集者のいう「不安定」に近い。
誰しも、順風満帆ではない人生。
ひたすらに努力しても結果が出なかったり、
大きく失敗したり、
病気だったり、介護だったり、
それを毎日ひた隠しに生きて生きた。
どこかで、誰かにわかってほしいと願いながら。
ふと、日曜日に「肩の荷」をおろした孤独な瞬間は、
筆者にとっての「ひっかかり」かもしれない。
その通りな言葉たち
言葉を紡ぎだす人たちは「語録」がおおい。
私は自分の親族の集まりでさえ疎ましく感じてしまう。
そう思っていても、そう感じていても、言いにくいことである。
まったくもって「同感」なのだ。
言ってはいけないかもしれない「ひっかかり」は、文章に引き込まれる。
社会人の日曜日は平日ゼロ日目である。
そうだよ。その通りだよ。
孤独な日曜日を切り取った「ほんの一部」でしかないが、
「ひっかかり」は伝わってくる。
そしてわたなべの方向を直角に曲げる。
わたなべの孤独な日曜日は、少しだけ明るくなった。
