痛いのに座りたくなる椅子
祖父の書斎には、黒い革張りのハイバックチェアがあった。背もたれには祖父の体を写し取ったようなくぼみが残り、細かなシワがいくつも走っている。肘に当たる木の部分だけが磨かれたようにつるつるで、そこだけ色が濃い。あの椅子は、祖父そのものだった。
大学3年の夏。人の出入りで家の中はざわついていたのに、書斎だけがとり残されたように静まりかえっていた。本棚も、机の上の古い電卓も、窓から差す光も、いつものまま。ただそこに座るはずの人だけがいない。私が書斎の前で立ちつくしていると、祖母が言った。
「座ってごらん」
ずっと座ってみたかった椅子。大きくてかっこよくて、ここに座れば祖父みたいになれる気がしていた。けれど、実際に腰を下ろしてみると、おしりが痛い。祖父の体に合わせて沈んだ座面は、「おまえなんて知らない」と言わんばかりで、そのあと二度と座ることはなかった。
椅子の記憶を少しずつ遠ざけているあいだに、私は大学を卒業して就職し、やがて会社を離れた。ひとりで仕事をするようになって、最初につまずいたのが確定申告だ。数字を追っているうちに、体が無意識に机へ近づいていく。その姿勢になったとき、同じように前のめりで数字を追っていた祖父の背中が、ふいに浮かんだ。
ああ、これを毎日やっていたんだ。
そう思ったら、あの椅子にもう一度座りたくなった。広くもない私の部屋にやってきたのは、それから数日後のこと。座ってみると、ギシッと鳴る。やっぱり腰が落ち着かない。それでも、祖父が近くにいるようで嬉しかった。
背もたれにそっと体を預けると、革の匂いがあの頃を連れてくる。祖父の視線の先にはいつも本棚があり、「財務」だの「会計」だの「原価計算」だの書かれた本ばかりが並んでいた。祖父が毎日この椅子に座って見つめていた世界。数字の向こう側に何が見えていたんだろう。少しだけ触れてみたくなった。
タブレットに手を伸ばして「簿記」と打ち込む。目についた簿記3級のテキストをダウンロードして開いてみるが、数行も読まないうちに後悔した。借方や貸方といった、なじみのない言葉が当たり前みたいな顔をして並んでいたからだ。
「確定申告やってるし、簿記3級ならなんとかなるだろう」と思っていた自信はあっさり崩れた。問題を解けば間違え、ノートは赤字だらけになる。思わず天井を仰いだ日も少なくない。それでも勉強をやめようと思わなかったのは、分厚い会計の本を行ったり来たりしながら読み解いていく祖父の姿を思い出すからだ。その背中に押されるように、「じゃあ私も」とペンを握り直す。
そうして勉強を続けていたある日、座面の革に亀裂が入っているのに気づいた。「まあ年季が入ってるしな」と張り替えの値段を調べたら、余裕で新品が買える額が表示され、思わず固まる。直すか、買うか。椅子に身を沈めて唸っていると、祖父の声がよみがえった。
「使えば傷むのは当たり前。傷んだら直せばいい」
そう言って業者を呼び、「まだまだ一緒にいられる」と椅子を撫でていた。祖父にとって、直すというのは、それまで積み重ねてきた時間を否定しないことだったのかもしれない。椅子は体に触れるぶん、気持ちや記憶がより強く結びついて、座るものから一緒に時を重ねる相棒に変わっていく。だから祖父は、傷んだから捨てるのではなく、手を入れて使い継いできたのだ。
そっと亀裂に指をあててみる。かさついた革の感触の向こう側に、祖父がここに座り続けた時間と、私がここで数字と格闘してきた時間が重なっていくように思えた。
簿記の世界では、この椅子も減価償却され、時間とともに価値は減っていくのだろう。でも、私にとっての価値は違う。祖父と私がここで過ごしてきた時間のぶんだけ、増していく。
この椅子を手放したくない。直して、使い続けよう。
そう決めたら、欠点だと思っていたことが、むしろ個性に思えてきた。おしりに合わない椅子。ギシッと鳴る椅子。腰が痛くなる椅子。修理代がかかる椅子。けれど、座りたくなる椅子。
今日も私は、この椅子に座って簿記のテキストを開く。合格できるかどうかはわからない。でも、この椅子と一緒なら頑張れる気がする。祖父がそうしていたように、ちょっと前のめりになり、つるつるの肘置きに腕をのせて。

