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職場やSNSで疲れたあなたへ。人生という”仮面舞踏会”での生き方

私たちは日々、さまざまな「仮面」を使い分けて生きている。

  • 職場では頼れる上司の仮面

  • 家庭では父や夫の仮面

  • 友人といるときには気の置けない仲間としての仮面

  • SNSではまた違った仮面

私は人生とは、まるで「仮面舞踏会」のような場だと感じている。

人は誰しも、自分を守るために、あるいは相手との関係を円滑にするために「仮面」を身につけている。

それは悪いことだとは思わない。
むしろ、社会の中で生き抜くためには必要な知恵だと思っている。
けれど、その仮面で「本当の自分」を隠しすぎてしまっているから、私たちは生きづらさを感じているんだと思う。

私は、人生における仮面舞踏会という比喩を通して、自分というペルソナをどう大切にしながら生きていくかを考えてみた。


なぜ人は仮面をつけるのか?

人が仮面をつける理由はシンプルだ。
「その場にふさわしい自分を演じる」ことで、安心や信頼を得られるからだろう。

例えば、仕事中に本音をすべてさらけ出してしまえば、トラブルの元になることもある。

本当はめんどくさがりな私。
仕事中に「めんどくさい」と素の自分を出せば当然…問題になる。
そして仕事の仮面を家庭で使うと、妻から「家は仕事ではない!」と怒られたりもするだろう。

人は誰しも、役割ごとに言葉遣いや受け答え、人との対応など使い分けているはずだ。それをここでは”仮面”と称している。

心理学者ユングは「ペルソナ」という概念を用いて、人は社会の中で役割を果たすために仮面をつける存在だと説明しているらしい。
調べると…出てきた。私と同じ考えだ。
やるじゃないか、ユング!

仮面は人間関係を円滑にするためであり、また自分という人間を守るための盾と言えるだろう。

しかし問題は、仮面を長くかぶり続けることで「自分でも自分の素顔を忘れてしまう」ことにある。
それこそが私がnoteを始めた根本的な理由でもある。


仮面舞踏会のような社会で生きる私たち

現代社会は、まさに大規模な仮面舞踏会。
SNSを見れば、誰もが自分をよく見せようとする。仕事の場では「できる人」を演じ、家庭では「良き親」「良き伴侶」として振る舞う。

もちろんそれは否定されるべきことではない。
私だって、そうあるべきと行動している。
ただ…問題は「仮面が自分の本質を蝕み、苦しくなってくる」ということだ。

例えばこういうことはないだろうか。

1.SNSなどに投稿するたびに「いいね」の数で自己価値を測ってしまう。
note記事でもスキがつかないことで「自分って誰からも求められていないのかなぁ…」とか感じてしまう。
結果として無理やり事実を拡大解釈したような投稿をして承認欲求を満たすための投稿を連発する。

2.職場で「完璧な上司」を演じ続けるあまり、心の中では疲弊している。
ミスができない、何でもわかっていないといけない、正しく判断しなくてはならないなど…100%であり、完璧であることを求められているようで毎日プレッシャーを感じている。

3.「良き父親・母親」像が大きすぎて、毎日息苦しさを感じている。
本当の父・母はこうあるべきという「べき」論に支配されていたり、モンテッソーリ教育が良いと聞けば、今の自分の選択が正しかったのか?と不安になる。
また子どもに対して強く叱ってしまったり、または叱れなかったりと、親としての行動に自信がない。
総じて、父・母として自分の子供の人格や経験を決める自分の選択に不安を感じる。

これらの行動は、私は「なにか一つに仮面に拘ること」や「自分には一つの仮面しかないと思っていること」から起こっていると考えている。
つまり、「本当の自分」がどこにいるのかわからなくなってしまったということが原因だと思うのです。


自分というペルソナを大切にするということ

ここで大切なことは、「仮面を否定すること」ではなく、「仮面の自分と素顔の自分のバランスを取ること」だと私は考えている。

仮面は必要だ。
けれど、その裏にある「自分の核」となるペルソナを見失わないことが、心を安定させて、仮面に振り回されない自分という軸を持つことになると思っている。

本当の自分を大切にするというのは、こう考えることじゃないかと。

  • 誰にでも同じ顔・良い顔を見せる必要はない。

  • でも、自分の核となる価値観や信念は、仮面の下でちゃんと守っている。

  • その核を大切にしているから、どんな場でも仮面を「自分らしく」使い分けられる。

仮面はあくまで仮面。
仮面をつけるのは「自分」であり、仮面を付けた自分は本当の自分ではない。あくまで社会的な役割の自分であるということです。


だからこそ…仮面を外す時間の大切さ

自分というペルソナを大切にするために、最も簡単で効果的なのは「仮面を外す時間」を意識的に作ることだと思う。

・一人で散歩をする時間
・趣味に没頭する時間

こうした瞬間に、私たちは「素顔の自分」に戻ることができる。
ただ、1日が24時間あり、仕事に8~10時間、睡眠に8時間使うと残りは約6~8時間。
家族があれば当然家族の時間もあるので…そうすると私の場合は「仮面を外した時間」は1日に1~2時間程度ということになる。

その1時間~2時間は私にとって「自分という存在を思い出す」貴重な時間だ。こういう時間は、時の流れが早い。あっという間に1時間2時間経ってしまって、ワクワクして…結局寝付きが悪くて寝不足になったりする。

でも、それは心が欲しているんだと思う。


人生という舞踏会を楽しむために

人生が仮面舞踏会だとしたら、私たちはその場のルールに従いつつも、自分らしい踊り方を見つけなければならないのだろう。

誰かに合わせて踊るだけでは疲れるし、素顔をさらけ出してばかりでは場の空気を壊してしまうだろう。
だからこそ大切なのは、「仮面をかぶる自分」だけの時間ではなく、「素顔の自分」になれる時間を増やすことだと思っている。

そのためには、自分の価値観や大切にしたい軸を明確にする必要がある。

・自分は何を大事にしているのか?
・どんなときに心が満たされるのか?
・逆に、どんな場面で仮面をかぶりすぎて苦しくなるのか?

これらを見つめ直しておくと、社会という仮面舞踏会で自分がどの仮面を付けているときが苦しくて、どの仮面は「自分の軸」と近いから楽しいのか?ということもわかるだろう。

仮面をつけている自分と自分の素顔が近ければ、それが一番いい。
友達といる自分が「友達と過ごすことが自分の素顔」であれば、それは仮面ではなくて素顔の自分という意味ですからね。
※言っている意味わかるかな…わかりにくいなぁ…


まとめ

自分というペルソナをしっかり持ち、そのうえで仮面を自在に使い分けること。そして、仮面を外して素顔に戻れる時間を確保すること。

それこそが人生という仮面舞踏会を踊り切るために必要なことだと思う。

あなたは今日も、どんな仮面をかぶって生きていますか?
そして、その仮面の下にある「本当の自分」を大切にできているだろうか?

私は「誰かに届く文章を書くこと」という自分の好きなことをこのnoteで実施している。つまりこのnoteは「素顔の自分」に限りなく近い状態だということです。
あなたも「本当の自分」のやりたいことを考えてみてはどうだろうか?


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