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子どもに選択権がないのなら、せめて大人が先に閉じてはいけない


はじめに

「うちの子には、そこまでしなくていい」

この言葉は、一見やさしく聞こえます。
無理をさせたくない。お金の心配をさせたくない。危ない思いをさせたくない。親としては、むしろ愛情から出てくる言葉でしょう。

けれども、その一言が、子どもの未来の選択肢を静かに狭めてしまうことがあります。

最近、朝日新聞EduAで「地方女子」の大学進学を阻む壁を扱った記事が出ました。そこで示されていたのは、大学進学が単なる「本人の努力」や「学力」だけでは決まらず、どこに生まれたか、どの性別であるかが進学機会に大きく影響しているという現実です。寺町晋哉・宮崎公立大学准教授への取材でも、都道府県別・男女別の進学率を見ると、地域と性別の条件が複合的に進学に作用していることが示されています。

しかも、この問題は「昔の話」ではありません。
地方に住む女子は、首都圏や都市部の女子、あるいは地方の男子とも違う形で、進学のハードルに直面しやすいことが近年も繰り返し指摘されています。地方では、偏差値の高い大学に進学するメリットを「有利だ」と感じる女子が男子より少なく、背景には資格志向、自己評価の低さ、浪人回避、そして保護者のジェンダー観などがあると報じられています。

ここで大事なのは、子どもに「もっと頑張れ」と言うことではありません。
未成年の進学は、本人だけでは決められないからです。お金を出すのも、県外進学を許すのも、住まいを決めるのも、最後は大人です。

子どもに選択権がないのなら、問われるべきは親の側です。
娘の進学を止めているのは、本当に学力でしょうか。
それとも、私たち大人の「当たり前」でしょうか。


1| 親はなぜ、娘の進学に慎重になるのか

まず、はっきり言っておきたいのは、親を一方的に悪者にしたいわけではないということです。

地方から大学に進学する。
とくに県外へ出す。
これは、親にとって決して軽い判断ではありません。

学費に加えて、家賃、生活費、引っ越し費用、受験のたびの交通費。
しかも女の子なら、防犯面の心配もある。知らない土地で一人暮らしをさせる不安もある。近くに親戚がいない地域ならなおさらです。

だから、「地元で通える範囲でいいのではないか」と考える。
これは、ある意味では当然です。親なのだから心配する。そこまでは自然です。

問題は、その“自然な心配”が、息子には向かわず、娘にだけ強く向いていないかということです。

「男の子なら一人暮らしでも何とかなる」
「女の子なんだから、そこまで遠くに出さなくても」
「女の子は安定した資格が取れればいい」
「浪人はかわいそうだからやめたほうがいい」

こうした言葉は、露骨な差別のつもりで言われるわけではありません。
むしろ、ほとんどは善意です。心配です。愛情です。

でも、善意であっても、進路を狭める力は持ってしまう。
そこが厄介なのです。

親はたいてい、「反対した」という自覚を持ちません。
ただ「現実的な話をしただけ」と思っています。
ただ「心配だから言っただけ」と思っています。

けれども、子どもから見れば違います。
大人の「現実的」は、そのまま進学断念の圧力になることがあるのです。


2| 地方の女子にだけ、進学コストは重くのしかかる

都市部と地方では、大学進学の意味がそもそも違います。

都市部の家庭であれば、自宅から通える大学の選択肢が多い。
親にとっても「とりあえず受けてみればいい」が成立しやすい。通学圏内に複数の大学があり、比較もしやすい。オープンキャンパスにも行きやすい。

しかし地方ではそうはいきません。
大学進学は、しばしば「家を出ること」とほぼ同義になります。

つまり、大学に行くかどうかは、単なる受験の話ではないのです。
家計の話であり、住まいの話であり、家族の覚悟の話になります。

ここで最も見落とされやすいのは、子ども本人がその重さを敏感に感じ取っていることです。

親が「お金のことは気にしなくていい」と言っていても、子どもは見ています。
家計の空気を見ています。
下のきょうだいがいることも分かっている。
親がため息をつきながら学費の話をしていることも知っている。

だから、言わなくなるのです。
「本当は県外に行きたい」
「この大学を受けてみたい」
「浪人してでも挑戦したい」

そういう本音を、口にしなくなる。

これは立派な自己規制です。
しかも厄介なのは、親の側には「うちの子が自分で選んだ」と見えてしまうことです。

でも、その選択は本当に自由だったのでしょうか。
最初から、選べない空気の中での“選択”だったのではないでしょうか。


3| いちばん怖いのは、反対される前に諦めること

親としては、「そんなつもりはなかった」と思うかもしれません。

「聞かれたら応援したよ」
「本気で行きたいと言えば考えた」
「本人がそこまで言わなかったから」

しかし、子どもは反対されるかどうかを、言葉になる前から察します。

家庭には空気があります。
何にお金をかける家なのか。
何を“もったいない”と感じる家なのか。
娘に何を期待しているのか。
どこまでを“普通”とみなしているのか。

子どもは、その空気を読みながら育ちます。

だから、親がはっきり「ダメ」と言わなくても、
「これは言わないほうがいい」
「これは迷惑になる」
「ここまで望むのはわがままだ」
と、自分で線を引くようになります。

この状態になると、親子の会話は表面上とても平和です。
ケンカも起きない。揉めない。
でもそれは、納得しているからではありません。
最初から諦めているだけです。

親にとって扱いやすい子ほど、実は危ない。
文句を言わない子、空気を読む子、家計を気にする子ほど、自分の希望を先に引っ込めます。

そして数年後、本人ですら「自分は本当にそれを望んでいたのか」が分からなくなる。
これが、いちばん深い傷になります。

反対された傷は、まだ見えます。
でも、口に出す前に諦めた傷は、見えにくい。

見えにくいからこそ、親は気づけない。
気づけないまま、「本人が選んだ道」として処理してしまう。

ここに、この問題の根深さがあります。


4| 「女の子だから」の一言は、今も進路を左右している

時代は変わった、とよく言われます。
たしかに、表向きにはそうです。昔のように露骨に「女の子に大学はいらない」と言う親は減ったでしょう。

でも、言い方が変わっただけで、中身は案外残っています。

「女の子なんだから、安全なほうがいい」
「堅実に資格が取れるところがいい」
「わざわざ遠くへ行かなくても」
「そこまでして難関大を目指さなくても」

こうした言葉には、共通する前提があります。
それは、娘の人生を“広げる”より、“危なくない範囲に収める”ことを優先するという前提です。

実際、近年の研究紹介でも、親の伝統的な性役割意識や、女子の大学進学に対する経済的便益の見積もりが、難関大学受験を勧めるかどうかに影響することが示されています。女子が「女子向き」と見なされる学部や大学を選ぶと親の評価は高まりやすい一方で、男子向きのイメージが強い進路では勧めにくくなる傾向も報じられています。

つまり、問題は学力だけではない。
親の中にある「女の子らしい進路」のイメージが、知らないうちに進学先の幅を決めてしまっているのです。

もちろん、親に悪気はないでしょう。
ただ、その“悪気のなさ”が問題を見えにくくします。

「女の子だから無理」とは言っていない。
でも結果として、女の子のほうが先に候補が消えていく。

これでは、差別がなくなったのではありません。
差別が、もっと日常的で、もっと気づきにくい形に変わっただけです。


5| 地方女子の問題は、家庭だけの話でもない

ここで、親だけを責めて終わると、話を間違えます。

この問題は、家庭の価値観だけで起きているわけではありません。
地方では、そもそも選択肢が少ない。進学情報も限られる。近くにロールモデルが少ない。県外進学が“普通”ではない地域では、それ自体が高い心理的ハードルになります。首都圏大学受験では、情報格差や予備校環境、身近なモデルの少なさが壁になるという指摘もあります。

さらに、地方女子には「高偏差値大学へ行くことが将来に有利だ」と感じにくい傾向があることも報じられています。これは本人の能力不足ではなく、周囲の期待、見える進路、将来像の描きやすさが違うからです。

つまり、親が慎重になるのも、ある意味では社会構造の結果です。
近くに大学が少ない。生活費が高い。情報も薄い。支援も乏しい。
その中で「無理をさせない」という判断に流れやすくなる。

だからこそ、この問題を「意識の低い親」のせいにして終わらせてはいけません。
本質は、子どもの努力や家族の善意だけでは埋められない構造的な格差にあります。

ただし、それでもなお、最後に子どもの進路を現実に狭めるのは、家庭の中の判断です。
制度が不十分でも、地域に選択肢が少なくても、親が最初から扉を閉める理由にはなりません。

社会が悪い。制度が悪い。地域格差がある。
全部その通りです。
でも、その現実のしわ寄せを、いちばん弱い立場の子どもにそのまま乗せていいわけではない。

そこを、親世代は真正面から考えなければならないと思います。


6| 親が本当に守るべきなのは、「安全」だけではない

親は子どもを守りたい。
それは当然です。

でも、ここで一度立ち止まりたい。
親が守るべきものは、本当に「危ない道に行かせないこと」だけなのでしょうか。

子どもが自分で選べること。
やってみたいと言えること。
少し背伸びした進路にも手を伸ばせること。
それもまた、守るべき大事なものではないでしょうか。

安全を優先しすぎると、挑戦の芽は消えます。
失敗しないことを優先しすぎると、成長の機会は減ります。
地元に置いておくことを優先しすぎると、世界は広がりません。

もちろん、何でも希望通りにさせればいいと言っているわけではありません。
家庭には限界があります。予算もあります。事情もあります。

でも、そのときに親がやるべきことは、「無理」と切ることではなく、
どうすれば少しでも可能性を残せるかを一緒に考えることです。

奨学金は使えないか。
寮のある大学はないか。
家計の線引きをどこまでできるか。
国公立と私立でどう違うか。
受験校の組み方を工夫できないか。
地元から一度外へ出る価値を、どう見積もるか。

こうした話を、最初からあきらめる前に、ちゃんとテーブルに乗せる。
それが親の役目です。

子どもに現実を教えることは大切です。
でも、現実を理由に夢を切ることと、現実を共有しながら道を探すことは、まったく違います。

前者は制限です。
後者は支援です。

この違いは、とても大きい。


7| 娘の未来を「善意」で縮めないために

親は、子どもの人生を全部引き受けることはできません。
でも、最初の扉を開くか閉じるかには、大きく関わっています。

地方の女子が大学進学で不利になりやすい。
その背景に、地域格差、情報格差、家計負担、ジェンダー観がある。
これは、もう「気のせい」ではありません。複数の報道や研究紹介が、地域・性別・保護者の価値観が重なって進学選択を左右していることを示しています。

だからこそ、親世代はもう、「本人次第」で済ませてはいけないのです。

子どもは、親が思う以上に空気を読みます。
親が思う以上に、お金のことを気にします。
親が思う以上に、期待されていないことを感じ取ります。

そして、親が思う以上に、
「言わなかっただけ」で、たくさんの可能性を手放しています。

もし親として本当に子どもを大切に思うなら、
最初にかける言葉は、

「無理じゃない?」
ではなく、
「どうしたら行けるか、一緒に考えよう」
であってほしい。

地方に生まれたこと。
女の子であること。
それが、進学の壁になる社会はおかしい。

でも、そのおかしさを変えていく最初の一歩は、案外大きな政策ではなく、家庭の中のたった一言かもしれません。

「心配だからやめなさい」ではなく、
「不安はある。でも、選択肢は消さないでおこう」

親にできることは、全部を与えることではありません。
ただ、子どもが自分の未来を語ったときに、
その扉を先に閉める側に回らないことです。

子どもに選択権がないのなら、
せめて大人が、先回りして可能性を削ってはいけない。

それが、この問題を前にした親世代の最低限の責任だと思います。

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