「サルに恋する5秒前」7「泣かないで」


給湯室のアリスのティーパーティーで、あおいが言った。
「くるみん。嘘ついたことある?」
あおいは悟流に「バイクに乗ったことある?」と聞かれて、
「乗ったことない」と嘘をついた。
バイクに乗った後日、借りた服を返すために、カッキーとお酒を飲んだこともある。
心の底の本音を言えば、服を返す理由があって良かったと思う。
「大きな嘘をついちゃった」
くるみは言った。
カッキーはくるみと恋人だと思っているけど、くるみにとっては「恋人ごっこ」で、恋する悟流と話をしたくて、彼の親友のカッキーに近づいたのだ。
「大きな嘘?」
あおいが知りたがったが、くるみは答えなかった。
「あおいさんも嘘ついたの?」
あおいも答えなかった。
「お茶にしましょうか」
「アリスのティーパーティーにようこそ」
ファンタジーで可愛らしい世界に似合わない溜め息を、二人はふうっとついた。
✨✨✨


くるみはカッキーのバイクでツーリングした後、彼の家の最寄り駅のカフェに行った。
カッキーと恋人ごっこを始めた時、大学生の時に恋もどきをした卓球サークルの部長Xにばったり会って、一緒に入った店だ。
「くるみんが美味しかったって言ってたから、一緒にケーキ食べたいなと思ったんや」
くるみがケーキを真剣に迷っていると、
「両方食べたらいいやん。残したら任せろ」とカッキーは言った。
2つのケーキが運ばれると、「わあ。どっちから食べたらいいか迷う」とくるみは言った。

くるみが嬉しそうなので、柿本潤平は嬉しくなった。
カフェの窓からテイッシュ5個セットを持った男がちらちら見ているのに、柿本潤平は気づいた。
あいつはくるみが言ってた卓球サークルの部長Xではないかと、柿本潤平は直感した。
「ああ最高に美味しかった。カッキーご馳走さま」
くるみがトイレに席を立った時、柿本潤平はカフェの外に出た。
Xは慌てて離れようとした。
「夢を見た。あなたは絵だ。また夢に見るだろう」
くるみから聞いたXから言われたというポエム?を、大きな声で言った。
Xは振り返った。
「既婚者が俺の彼女に何の用や」
柿本潤平は見据えた。
「○月○日にくるみちゃんはあなたの家に行きましたか?」
「それがなんや」
「あなたはくるみちゃんの好きな人の親友ですね?」
「は?」
「好きな人の親友の家に行くと言ったから」
「聞き間違いやろ」
「聞き間違いではないです。なんで好きな人の親友の家に行くのかな?ってずっと気になっていたから」
「既婚者がくるみの言葉をいちいち気にすんな。あっち行け!」
柿本潤平は追い払った。
けれどXの言葉が胸の奥に暗闇をつくった。
聞き間違いに決まっている、と思い直してカフェに戻った。
席に戻ったくるみは「カッキーどうしたの?」と聞いた。
「わけわからん奴がいたから追い払ってきた。昼間っから夢でも見たんやろ」
柿本潤平は笑顔をつくって、おかしな男の戯言だと忘れることにした。
✨✨✨
あおいは有給休暇で姉の緑子と旅行に行った。
くるみは一人ぼっちのアリスのティーパーティー。
自分の課と、あおいの課のお茶をいれた。


定時で仕事を終えて、くるみは久々に画廊へ行った。
髭のオーナーは「くるみちゃん、久しぶり!」と喜んでくれた。
くるみを奥に手招きして、一枚の絵を見せてくれた。
森のサル、悟流の自画像だ。
「良かった! 売れてなくて」くるみは喜んだ。
オーナーは絵をくるみに手渡した。
「これは悟流からくるみちゃんに」
「え、でも裸体画のモデルをできなかったから」
震えてしまい、悟流が描くのをストップしたのだ。
「描いたんだって」
「描いたの?」
「すごい作品に仕上がったって言ってたよ。でも、くるみちゃんを傷つけたくないからコンクールに出さないって」
「…」
「絵に対する情熱が一段あがったから、この絵をお礼にプレゼントしたいそうだ」
感情が整理できない。今すぐ木山悟流に会いたい。
「また来ます!」
くるみは画廊を出た。
公園を走る。
大木の上で木山悟流はスケッチしていた。視線が合う。


「くるみの裸体画を描いたの?」
木山悟流は頷いた。
「今すぐ見たい」
躊躇する木山悟流の手を握ったくるみは、公園を一緒に出た。
そのまま手を繋いで悟流のアパートへ行った。
玄関先で悟流は「散らかっているから」と、くるみを待たせて先にあがった。
悟流のスマホに電話がかかった。
「あおいちゃん?」
あおいが旅行先から電話してきたのだ。
その間に、くるみはさっと中に入った。
絵を描く部屋に入ると、隅っこにギターが置いてあり、二枚のカンバスの絵が並んで中央に置かれていた。
一枚はくるみの裸体画だった。
小柄な身体に豊満な胸が中央に描かれ、絵のくるみの表情は情熱的な色気があった。
圧倒的な才能を放出する素晴らしい絵で、モデルが自分であることに、くるみは感動した。
隣の絵は、鈴村朔の裸体画だ。
海を背に、引き締まった身体の鈴村朔は、美しく男らしい色気のある表情で、飛車の駒を握って立っていた。
電話を終えた悟流が来た。
「見つかっちゃった」
「コンクールに出したい気持ちで、二枚の絵を見ていたの?」
悟流は素直に頷いた。
「どっちを出したいの?」
「迷いがあって」
悟流は座布団をくるみにすすめた。
「鈴村くんは画家としての俺を認めてくれている。でも本当は水着を着てモデルになって、裸体画を承知したわけじゃないんだ」
「この絵に水着は描かれてないけど?」くるみは悪戯っぽく笑った。
「勝手に裸にしちゃった。でもコンクールに出すなら、彼の許可を取ってから出すよ。くるみちゃんの絵も許可なく出さないから安心して」
「くるみは許可します。くるみの絵を選んでくれるなら、どうぞ出品して欲しい」
「ありがとう。まず鈴村くんだけど、彼の魅力は端的に言えば『甘いマスクで理知的』なアンバランスさだ」
くるみは頷いた。

「彼はこの世に二人といない逸材だ。引き締まった身体に、美しく整った目鼻立ちの顔がどこか甘くアイドルのような可愛さがあって、彼の東大将棋部主将の理知的な個性が加わると、外見の甘さと内面の鋭さと気品が絶妙に合わさって、とてつもなく魅力的だ。画家として興奮する」
「完璧に表現してる。こんな絵は見たことない」
くるみは本心を言った。
「鈴村くんは飛車の駒を持っていろんなポーズを取ってくれたんだ。あの日、あの海で、俺は何枚もスケッチした」

くるみは目をつぶって、海に立つ鈴村朔を想像した。
「コンクールに出すなら、鈴村朔らしさがよく表れてる飛車の駒を持った理知的な表情の美青年。海を背にした立ち姿の絵だ。この絵に魂をこめて仕上げれば、一番上の賞を取る自信がある」
「鈴村くんの絵を出すなら、彼に私からもお願いしたい。悟流さんのために役に立ちたい」
「ありがとう。くるみちゃんの絵も、鈴村くんの絵に匹敵する美しさだと思ってる」
くるみは感動して言葉が出ない。
鈴村くんのことを熱く語ったのに、その絵と同じくらいと言われたのだ。
「くるみちゃんのあどけなさと色気と謎めいた情熱が、アンバランスな魅力となって類い希な個性と美しさがある。魂を込めて仕上げれば、コンクールのトップの賞をとる自信がある」

「できればくるみは自分の絵を選んで欲しいけど、なんのしがらみもなく画家の木山悟流として、直感と感性に従って決めて欲しい」
「くるみちゃん」
木山悟流はくるみの手を握った。
「この絵を描いた時、彼女は何て表情をする女の子だろうと不思議に思った。秘めた情熱を感じたんだ。俺のことを好きだったんだよね?」
「悟流さんのことは何回も好きを塗り直しているの。あの日は、一番最初の好きを感じていた」
悟流は深呼吸して真剣に言った。
「もし、くるみちゃんの絵をコンクールに出すなら一緒に生きていきたい」
「ちょっと待って。プロポーズみたい」
「その気持ちで言ってるんだ。くるみちゃんの裸体画を世間に出すなら、君を放っておきたくない」
「くるみの裸を世間にさらしたら責任をとるってこと?」
「その気持ちが半分。あと、君にひかれている気持ちが半分」
「そんなんじゃ嫌だ。半分なんて」
くるみは握られていた手を振り切った。
「くるみを選んでくれるなら百パーセントの気持ちじゃなきゃ嫌だ」

くるみは部屋を出て、冷蔵庫に手をついて立った。
感情が忙しすぎる。
いったん落ち着きたかった。
「コーヒー飲む?」
悟流に聞かれて、くるみは頷いた。

悟流はハンドドリップでコーヒーをいれてくれた。
くるみは初めてブラックで飲んだ。
置かれた状況の複雑な苦さの内側に、ときめきの香りがあった。
「ごめんね。変な言い方して。あれからずっと君のことを考えている。くるみちゃんに、ひかれているのは本当なんだ」
「お願いがあるの。コンクールの絵は恋とか責任とか、そういうの無しにして画家として選んでください」
悟流はくるみの心を覗くような目をした。
「まず木山悟流には、画家としてコンクールに向き合って欲しいの」
「でも、くるみちゃんの絵を選んだら、その先は?」
「その先なんて、その時、改めて考えて欲しいの」
「くるみちゃんの裸体画を出して、結局、あおいと結婚してもいいの? 君は傷つかないの?」
「めちゃくちゃ嫌だけど、裸体画の責任をとられるのはもっと嫌。コンクールが終わってから、絵とは関係なく答えを出して欲しいの。その結果ふられたら思いっきり泣くだけ!」
「すごいな、くるみちゃんは」
「ギターがあったけど、悟流さんも弾くの?」
「くるみちゃんの歌を聴いて、久しぶりに押し入れから出してみたんだ。あの歌、もう一度聴きたいな」
「サルに恋する5秒前。歌うね」
くるみはギターを持ってきてリビングで歌った。


歌い終えたくるみと悟流は見つめ合った。
キスしちゃいそうな5秒前という気持ちを、ぎりぎり自制していた。
ドアベルが鳴った。
インターホンのモニターを見た悟流が振り返って言った。
「カッキーが来た」
くるみと悟流は共犯者のように狼狽えた。
「おーい電気ついてるからいるんやろ?」
カッキーの声。
くるみは深呼吸して、悟流の脇をすり抜け、自分で玄関を開けた。
カッキーは目を見開いて驚いた。
「悟流さんの絵を見たくて押しかけちゃったの。もう帰るとこ」
悟流はその間に、二枚の裸体画を奥に隠しに行った。
「悟流さん、お邪魔しました。絵を見せてくれてありがとう」
くるみは奥に声かけ、アパートを出て行った。
柿本潤平は追いかけた。
「くるみん、なんで?」
「絵を見たくて押しかけたって言ったでしょ?」
「悟流の絵がそんなにいい?」
「カッキーと付き合ったらカッキーの絵が一番好きじゃなきゃダメなの?」
「好きなのは絵だけ?」
彼のまっすぐな目で見つめられると、嘘をつきたくない気持ちになった。
本心を前に出そうと決心すると、柿本潤平は慌てて笑顔をつくって言葉を挟んだ。
「そんなに悟流の絵が見たいなら、言ってくれれば良かったんや。連れて行ったのに」
「ごめんね」
「謝るようなことやない。今度は二人で悟流の絵を見に押しかけような」
「ごめんね」
くるみはもう彼を見ているのが苦しくなって、走って行った。
柿本潤平はさすがに感じるものがあり胸が痛くなって、遠くなるくるみを見つめた。
柿本潤平は悟流のアパートに戻り、玄関先で立ったまま話した。
くるみと二人でいた空間を見たくなかった。
軽く聞こえる感じでラフに話した。
「悟流の絵の熱狂的なファンなんやな、くるみんは」
「……」
「恋人だからって、趣味を束縛する気はないしな。また絵を見せてやってくれないか? でも、次は俺と一緒の時にしてくれ。くるみん一人の時に部屋にあげないでくれ。約束やからな」
「……」
「なんか言ったらどうや」
柿本潤平は、サルのくせにポーカーフェイスの悟流にムカついてきた。
「あおいちゃんも俺の家に来てバイクに乗せたし、おあいこやな」
悟流は表情を変えなかった。
「ずいぶん余裕ぶっているんやな! 俺みたいにやきもちやいたりしないってか」
「そんなことないよ」
悟流はずっと、あおいとカッキーのことが気になっているのだった。
「今日は帰るわ」
柿本潤平は一歩もあがらず、悟流のアパートを出た。
混乱したままバイクを走らせた。
運転に集中できず車に接触しそうになって、柿本潤平は心臓を押さえた。
✨✨✨
その夜、あおいは柿本潤平に電話した。
旅先の旅館から浴衣姿でくつろぎながら。
いつものようなユーモアの調子が出ない柿本潤平に、あおいは心配した。
「カッキーどうしたの? 元気ないね」
「そんな日もあるやろ」
「声が変よ」
「俺なんかに電話せんで彼氏に電話したほうがいいよ。しっかりつかまえとかないと。じゃあな」
柿本潤平は電話を早々に切った。
あおいはなんだかカッキーが気になった。
翌日、悟流や会社の人たちに買うお土産を選ぶ時、試食してめちゃくちゃ美味しかったお菓子をカッキーに選んだ。
二人で会うこともないのに買ってしまった。
✨✨✨


くるみは鈴村朔と将棋を教えてもらう約束をして、公園で青空将棋となった。
「まさか、さっくんがライバルだなんて」
くるみは鈴村朔をいろんな角度から眺めた。
「ほんと。どの角度から見てもかっこいい。甘いマスクと理知的なアンバランスね」
「なんだよ、ライバルって?」
「秘密」

二人は丸太をテーブル代わりにして、将棋の準備をした。
「指導料代わりにお菓子と飲み物を持ってきました」
くるみがピクニックシートを敷いて、鈴村朔と並んで座りながら、
「おにぎりもつくってきたよ。よかったらどうぞ」とすすめた。
おにぎりは形が不格好だったが、鈴村朔は嬉しくなって頬張った。
「鮭のおにぎりか。美味しいな」
木山悟流もシャケのおにぎりが好きなのは言いたくなくて黙っていた。
「さっくんの将棋盤を汚したくないから、くるみが持ってきた将棋盤でやろう」
「え、買ったのか?」
「子供が使うような安い奴よ。あとで家で駒を動かして復習したくて」
「へえ」
真面目なんだな、と鈴村朔はくるみに好感を持った。
鈴村朔は右四間飛車の飛車落ち定石を教えてあげた。
悪手があると戻して考えさせたり、くるみの思考力を伸ばすように丁寧に教えた。
「ありがとう、さっくん」
「思ったより上手くてびっくりしたよ。思考力も柔軟でセンスあるな」
「ねえ、さっくん。『俺がくるみの飛車になる』って、どういう意味なの?」
くるみに見つめられ、鈴村朔は照れて飛車の駒に視線を逃した。
「好きなように受け取ればいいよ」
「わかんないから聞いてるのに」
「わかんなくていい。それより悩みを聞いてやるから」
くるみは悟流の家に行ったことを話した。
二人で話した内容は自分たちだけの秘密にした。悟流に絵を見せてもらったとだけ話した。
「カッキーとの恋人ごっこは?」
カッキーが悟流の家に来て鉢合わせしたことを話した。
「カッキーはなんにも悪くないのに、冷たい言い方しちゃったの。どんどん自分が嫌になる」
「悟流さんの家に行ったのがバレたのか」
鈴村朔はきっぱり助言した。
「カッキーとは一刻も早く別れた方がいい」

自分が感じていたことをズバッと言われて、くるみはズキンとした。
「情だのなんだの言ってる余裕はもうない。状況が変わった。これ以上引き伸ばしたら修羅場になるぞ」
「…」
「今すぐ恋人ごっこは解消した方がいい」
カッキーへの思いがあるので、くるみが心を砕いていると、
「悟流さんを選ぶ? カッキーを選ぶ? 他にも選択肢はあるよ」
「他の選択肢?」
「一人になって、いつか別の男を選ぶ選択肢だ。三択」
三番目の選択肢に、自分が入っていることは鈴村朔は黙っていた。
「答えは決まってる。悟流さんが好きなの」
「それならカッキーとは別れろ。でもバカ正直に恋人ごっこなんて言っちゃダメだ」
「…」
「他に好きな人ができて心変わりした線で押し通すんだ。悟流さんの名前は出さない方がいい。悟流さんが迷っている間に巻き込んだら、くるみを選ぶことはなくなるぞ」
「でも悟流さんの家に行ってるのよ?」
「そんなのは絵のファンだって押し通せばすむ話だ。いいか。1、恋人ごっこを言わないこと。 2、心変わりしたと言って謝ること。3、恋の相手はカッキーの知らない人と言うこと。4、電話で別れ話を言わないこと。一人暮らしの家に押しかけてくるからな。5、喫茶店で話すこと。人目がある場所で別れるんだ。6、その日は俺に連絡しろ。離れた場所で見守るから」
「さっくん、心配してくれてありがとう」
✨✨✨
くるみはもうカッキーに嘘をつきたくなくて、23時55分を待たず自分から電話した。
「珍しいな! くるみんから電話くれるなんて」
嬉しそうに言われて胸が痛んだ。
「カッキー。明日、会ってくれる? 大事な話があるの」
くるみの声は固くなった。
カッキーの溜め息のような息遣いが聞こえる。
「喫茶店で待ち合わせしたいの。来てくれる?」
「プロポーズかな? 今の時代は男も女もないから、それやったらびっくりやけど嬉しすぎるな」
カッキーの声は震えていた。
無理して明るく冗談にしている。
「ラインにお店を送るから」
電話を切ろうとすると、カッキーの声がした。
「ヒントくれる?」
「え?」
「突然なに言われるか明日まで不安やから、どんな話かヒント欲しい」
くるみは思わず言った。
「恋人ごっこ」
「恋人ごっこ? なんや、それ。さっぱりわからん」
「くるみが仕掛けた恋人ごっこだったの。カッキーとは」
くるみはいろんな感情が溢れて涙がこぼれた。
なんでこんなに温かく真っ直ぐな人に意地悪を言ってるんだろう。ひどいことをしてしまったんだろうと自分が嫌になった。
「他に好きな人がいるの」
しばらく無言が続いた。
「今から行くわ。顔見て話そう」
くるみは泣きながら「カッキーの顔見たら話せない。ごめんね。落ち着いたら連絡する」
と電話を切った。
✨✨✨
柿本潤平は部屋で呆然とスマホを放り出した。
不安に思って嘘にしたかったことが、現実になって差し出された。
「恋人ごっこ」という言葉で。
電話が鳴った。
「あれは嘘」とくるみから電話かと思って飛びつくと、あおいからだった。
柿本潤平は電話に出なかった。
✨✨✨
くるみが泣きながらカッキーを思っていると、電話が鳴った。鈴村朔からだ。
「…もしもし」
「泣いてたのか」
声でばれた。
「カッキーに言っちゃった」
「何を?」
「恋人ごっこ」
「何でそれを!」
くるみが静かに泣く気配がして、鈴村朔は溜息ついた。
「会って言ったのか?」
「電話で」
恋人ごっこを言うな、電話で別れ話をするなと言ったのに、くるみは突っ走ってしまう。そんなアホな女の子を自分はどうしようもなく好きになってしまった。
「カッキーが来てもドアを開けちゃだめだ。ごめんなさいと言って開けずに帰すんだ。いいな」
「うん」
「ほんとにほんとだぞ」
「会う自信がないから」
「今日は寝ろ。寝れなくても布団に入って休むんだ。くるみが寝る5分前に電話するから」
「だめ! 23時55分はカッキーの時間なの!」
好きな人は木山悟流だ。
彼と向き合っていきたい。
たとえ振られて一人になっても。
それとは別にカッキーへの情が苦しいほどに心の真ん中にある。

✨✨✨

あおいは旅先から電話した時のカッキーの元気ない様子が気がかりだった。
あおいは電話した。
「もしもし」
やっとカッキーが出た。
「元気ないから心配なの」
「俺なんか気にしたってしょうがないやろ」
カッキーの声が震えていた。
「ちょっと会えない? 旅先でお菓子買ったの。渡すだけ」
「会えるわけないやろ。悟流を…彼氏を離すな。俺なんかほっとけ」
「やっぱりなんかあったのね?」
あおいはくるみが言った大きな嘘というのが気になっていた。
それがカッキーを苦しめているのかも。
「気晴らしにバイク乗ってくるわ。じゃあな」
「だめ!」
あおいは切られそうな電話に叫んだ。
「そんな日はバイクに乗っちゃだめ! お菓子を食べるの」
あおいは心をこめて伝えた。
「泣かないで。カッキー」
柿本潤平は我慢してこらえていた涙が、「泣かないで」でスイッチが入って泣けてしまった。

泣く声が聞こえたあおいは言った。
「待ってて。お菓子を持って行くから!」
あおいはお菓子を持って部屋着のまま玄関へ走った。
「あおい。こんな夜にどこ行くの!」
緑子が声かけてきたが、あおいはマンションを飛び出した。
あおいは慌てて足がもつれて転びそうになりながら通りに走って行き、タクシーを止めて乗り込んだ。


柿本潤平は、くるみとの楽しかった日々を思い出し、涙が溢れるまま床に座っていた。


(8話へ続く)
イラストを描いてくださったクリエイターさんです。


