「サルに恋する5秒前」1「サルの彼女はストレイシープ(恋の迷子)」
「あらすじ」
サルに似た画家、悟流に恋する23歳の恋の初心者、くるみがヒロイン。
悟流の藝大の同級生で親友の画家の柿本潤平、悟流の恋人で美女のあおい、東大将棋部主将の経歴でイケメンの鈴村朔、二十代の男女5人の恋愛小説。
心理を丁寧に描いたラブコメ風。

桜野くるみ23歳は会社帰り、画廊に通っている。
木山悟流の描いた情熱的な絵に魅了されてしまった。

自画像の森のサル似の男の絵は、くるみの1番のお気に入りだ。
顔馴染みになった画廊の髭のオーナーに、木山悟流の写真を見せてもらったら、サルにそっくりで愛嬌のある笑顔に恋してしまった。
「オーナー、今日も木山悟流のエピソード聞かせて」
✨✨✨
25歳のあおいは、姉の緑子40歳とマンションで二人暮らし。
緑子は隠し撮りした会社の後輩の写真を、あおいに見せて紹介したい。
「東大卒のホープなの。鈴村くん」
「お姉ちゃん黙っててごめん。彼氏がいるの」
「彼氏…サルじゃないよね?」
あおいの目が泳いだ。
「サルのこと、笑えないお笑い芸人みたいって言ってたじゃん」
「楽しい彼氏に格上げしちゃった」
「動物に例えたら百人のうち99人がサルって言うよ」
「チンパンジーとか言う人もいるよ」
「鈴村くんは人気俳優レベルよ。一度だけ見て」
「嫌だ」
あおいは逃げた。
✨✨✨
あおいとサルの出会い。
あおいは会社帰り、公園を抜けて駅へ出る。その方が気分が良い。

数か月前、あおいは大阪支社から期間限定で東京本社に異動になった男と、恋に落ちた。
男が大阪支社に戻る前日、公園を歩いた。
男は実は妻子持ちだということを告白し、逃げるように去った。
あおいが呆然とすると、大木からスケッチブックを抱えたサルが飛び降りて言った。
「ドンマイ」
「あなた誰なの?」
「通りすがりの絵描き」
サルはスケッチブックを見せた。
男が大あくびした絵が描いてある。
「男はあんな話をする前なのに、この通り」
「嘘よ」
あおいは頭にきて歩き去った。
翌日、会社帰りのあおいが通ると、スケッチブックを抱えたサルが大木から飛び降りた。
「サルに恋する5秒前🎵」
サルは1,2,3,4,5とリズムに乗って、広末涼子のマジに恋する5秒前の替え歌で、サルに恋する5秒前を歌って踊った。
サルは、ぱっとスケッチブックを見せた。
サルが膝まずいて花束を差し出す絵が描いてある。

あおいがきょとんとすると、現実のサルが芝生に膝まずいて、花一輪をあおいに差し出した。


その花は家の一輪挿しに飾られた。
あおいがむかつくと言いながら飾ったのだ。
「サルに5秒で恋するかっての」
「サルって若い男?」緑子が聞くと、
「27歳だって」
「なんで年まで知ってるの?」
あおいは笑ってごまかした。
あおいはサルと会社帰りの公園で何度も会ううち、好きになった。
緑子はサルに文句を言うため会いに行き、モデルになって欲しいと口説かれ、木登りモデルになった。

✨✨✨
悟流は木に食らいつく木登り女、緑子の絵をアパートでカンバスに夢中になって描いていた。
あおいはふくれっ面をして、悟流の顔を見つめている。
「なに? 可愛いんだけど」
「可愛いんならほっとかないでよ、お姉ちゃんばっかり」

悟流はあおいのほっぺの右左に素早くキスし、本格的にキスしようとしたら、ドアベルが鳴った。
玄関へ行くと、
「おっす。遊びに来たぞ!」
と明るく元気な声が聞こえた。
悟流の藝大時代の同級生で親友の柿本潤平が、筋トレで鍛えた長身の体で入ってきた。
「あおいちゃん来てたんや? ラッキーやなあ」
「こんにちは、カッキー」
「あおいちゃんにカッキーって呼ばれるとテンションあがるわ」
悟流はカッキーを親友、あおいを恋人として紹介し、三人で何度か食事した。
よく喋るお調子者なので、あおいはこの人が親友?と意外だった。
出会った時の悟流はお笑い芸人みたいに笑わせてきたが、ロクデナシの男にフラれて傷ついたあおいを笑顔にしたくてやったことで、悟流のキャラではない。
カッキーをイメージして、お笑い芸人を演じたそうだ。
カッキーはお寺の次男で、長男が寺を継ぐので自由な身で画家だ。
「お茶でもいれますね」
あおいが席を立つと、「コーヒーが飲みたいなあ」カッキーが声かけた。
「あおいちゃん微妙な感じやけど、キスの最中やったか?」
よく通る声なので、キッチンのあおいに丸聞こえだ。
そして⋯勘が良すぎる。
「え、あおいちゃんを描かないの? 胸が小さいから?」
あおいはコーヒーを運びながら咳払いし、カッキーを睨んだ。
「胸が小さいって、なんの話?」
「 若手画家の登竜門のコンクールがあって、今年のテーマは裸体画なんや。金賞を取れば立身出世が約束される。悟流、あおいちゃんは描かないって言うから」
あおいは、そんな話は聞いてない。
「俺なんてヌードになってくれる彼女もおらんから、先輩画家の紹介でヌードモデルを雇ったんや。次の日曜日の十時からやけど、悟流も一緒にどうや? 実家のアトリエ」
あおいは混乱した。
私を描かないって決めたのは、モデルのあてがあるんだろうか?
「そろそろ帰るわ。じゃあな」
喋るだけ喋ると、カッキーが玄関へ行った。
あおいは忘れ物のジャケットを渡しに行った。
カッキーはあおいを見つめた。
「あおいちゃん。 裸体画のコンクールは真剣に挑んで勝ち取んなくちゃいけないものやし、応募条件が商業活動して五年以内やから、俺も悟流もラストチャンスなんや。こんなんでやきもちやいたら画家の彼女はつとまんないよ」
「わかってる」
「なら、いいんやけど」
わざと忘れたジャケットをカッキーは着た。
「けど不思議やな。俺、彼女があおいちゃんなら絶対描くわ。なんで悟流は描かないんやろう?」
あおいも気になっている点だ。
いつも悟流のモデルをしているのに。
「悟流に直接聞いてみたら? それより俺のモデルやらない?」
あおいは悟流の靴をつかんで、おなかを狙って投げた。
カッキーは素早く避けて、
「ヌードとは言ってないじゃん。じゃあね。キスの続きをどうぞ」
と投げキッスして帰って行った。
騒がしいカッキーが帰った後、ギクシャクした雰囲気になった。
悟流はプロとして合格点の絵なら難なく描くけど、勝負をかけた本気の絵は情熱が無いと描けない。
コンクールのモデルにあおいを選ばないのは、あおいに対して情熱が薄れたんじゃないか、という疑いがある。
「カッキーにモデルやらないかって、玄関で口説かれちゃった」
「あいつはああいうキャラだからな」悟流は笑う。
やきもちをやかないのはカッキーを信じているのか、あおいを信じているのか、情熱が薄れたのか、あおいは不安だった。
✨✨✨
日曜日になって、あおいは変装をして、カッキーの実家(お寺)の向かいの木陰に隠れた。
帽子を目深にかぶって黒のメンズのカットソーに、ゆるっとしたパンツ姿だ。
悟流がカッキーの雇ったモデルの絵を描くのか知りたかった。
目の前を肉感的な可愛くて色っぽい女性が、歩いて行く。
彼女はカッキーの実家のドアベルを鳴らした。
カッキーが頭をペコリと下げて、中に通すのが見えた。
悟流が走って来るのが見えた。画材用のリュックを背負っている。
悟流はドアベルを押し、カッキーに中に招かれた。
これで、はっきりした。
悟流はあの肉感的な色っぽい女の子をモデルに描くのだ。
勝負のかかったコンクールで、あおいを外し、よく知らないあの娘を選んだ。
隠れて見ている自分が、愚物のように感じて泣きたくなった。
電話が鳴った。緑子だ。
販促イベントなのに会社のパソコンを忘れたので、届けて欲しいと言う。
✨✨✨
姉の勤める会社にあおいは行き、受付で呼び出した。
チェーンを全国に持つ一部上場のスーパーマーケットで、本社は都内で自社ビルだ。
緑子が現れ、「迷惑かけてごめん! タクシー代と食事代ね」
とパソコンを持って戻って行った。
あおいは用事がすんで途方に暮れ、ビルの外へ出た。
「あおいさん!」
振り返ると、人気俳優みたいにカッコよく甘いマスクの男性が、息をはずませて立っていた。
「7階から階段を走ってきました。会えて良かった。鈴村と申します」
「あっ、お姉ちゃんが写真を見せようとした鈴村くん?」
「ってことは写真を見てないんですね」
あおいがぼおっとしていると、鈴村は心配そうに見つめた。
「どうかしたんですか?」
「え?」
「普段のあおいさんを知らないので見当違いかもしれませんが、どうかしたらしく見えるので」
「……」
「良かったら少し話しませんか? この先に羊雲っていう喫茶店があるので待っててください」
鈴村は階段を駆け上がった。
✨✨✨


羊雲であおいがコーヒーを飲んでいると、鈴村はやって来た。
「販促イベントなのに大丈夫なんですか?」
「体調が悪いので早退します!って体育会の選手みたいな元気いい声で上司に言って帰りました」
「なんで体調悪そうに言わないんですか?」
「嘘を演技してそれらしく見せるのは卑怯だと思ってるんで。わかりやすく嘘ついてますって表現したわけです。まだ25歳だけど俺、仕事できるんで、いくらでも取り返してやりますよ」
キラキラした鈴村の生命力が今のあおいには眩しく見えた。
鈴村はコーヒーをブラックで飲んで、あおいを見つめた。
「真面目に本当のこと言うね」
急にタメぐちになった。
「緑子さんが見せてくれた写真のあおいさんに一目ぼれしたんだ」

「隠し撮りに気づいてたけど、緑子さん、あれから妹の話をしてこないから、おかしいなって考えていた」
「拒否されたとは思わなかったんですか?」
「拒否される選択肢は無かった」
「すごい自信ですね」
「拒否された経験ないので。あ、女性と付き合った経験が多いわけじゃないよ。緑子さんは写真を見せたがった?」
「マンションの狭い中をスマホを持って追いかけてきました」

「あおいさんは見たくなかった。ていうことは彼氏がいる?」
あおいは今の微妙な状況を思って、首を傾げた。
「彼氏がいた? 過去形?」
あおいは首を傾げた。
「微妙なところか。それで元気ないのかな?」
あおいは鈴村をきつく睨んだ。初対面で立ち入り過ぎだ。
「嫌われそうだから、これ以上は聞かない。彼氏がいたら写真も見ないっていう真面目な性格が知れただけで、自分の立場は複雑だけど感動している」
すごくわかりやすく喋る人だな、とあおいは感心した。
カッキーもお調子者だけど、ちゃんと説明してくれる。
本音を語ってくれない悟流が憎らしくなった。
「あおいさん、この後時間ある? ボウリング付き合ってくれない?」
「めちゃくちゃ苦手なの。1ピン、ガーターの繰り返し」
「俺が教えれば5ピンは倒せるようになるよ」
「絶対無理よ」
「やっとタメぐちになった。5ピン倒せなかったら髪を坊主にするよ」
はあ? あおいは呆れた。
坊主にするわけないじゃん。
「俺は嘘が嫌いなんで本当に坊主にするよ。そのくらい真剣に誘ってる」
「……」
「どう? この生意気な男を坊主にするのも気か晴れるんじゃない?」
「坊主頭で出勤できるの?」
「びっくりされるのはせいぜい初見だけ。人間なんて、他人の無鉄砲にいつまでも付き合わないよ」
面白い人だな、とあおいは思った。
✨✨✨
あおいはボウリングについて行った。
鈴村は投げるフォームとか角度とか立ち位置とか目線とか指導し、2ゲームやって一度も5ビン倒せなければ髪を坊主にすると約束した。

彼を坊主頭にするのは気の毒なので、あおいはアドバイス通り真剣に投げた。
けれど運動センスも腕力も無く、ボールも軽いので勢いが無く、最高で3ピンしか倒せずに終了した。
鈴村はめちゃくちゃ上手くて、ストライクかスペアだった。
「帰りに床屋へ行く」
鈴村はショックを隠せない様子だ。
「指導が下手くそだった。俺が悪い」
あおいは真顔で鈴村を見つめた。
「私とあなたはもう会わないんだから、約束を守らなくても私にはわからないです」
「会いたい。どんな形でも」
鈴村は鞄から文庫本を取り出して、あおいの手のひらに乗せた。
夏目漱石の「三四郎」だ。
「次に会えるための小道具として渡している。俺は二度読んだ本なので、感想など言い合えたら嬉しい。読まないなら、読んでない報告を直接聞けたら嬉しい。緑子さんから返されたら、きっぱり諦める」
真剣な申し出にあおいは戸惑った。
「好奇心でいいから、俺が本当に坊主にしたか確認するため、もう一度会ってほしい」
「お借りします。読むか読まないか直接返すか、今はお答えしません。もう一ゲームやりませんか? なんかコツをつかみかけた気がするんで」
鈴村は喜んで応じた。
「アドバイスすると逆効果な気がするので黙るね。倒したいって気持ちで投げて」
あおいは鈴村が坊主頭にならなくてすみますように、と願いをこめて投げた。
よろけたピンに当たって他のピンが倒れ、奇跡的に一度だけ5ピン倒すことができた。
腕を突き上げ飛び上がって喜んだ鈴村と、あおいはハイタッチした。
✨✨✨
悟流はカッキーの家でヌードモデルを描いた後、お墓参りをしていた。
二年前に交通事故で亡くなった祖父の命日だ。
祖父の好きな日本酒とこしあんの最中を供えて、悟流は手を合わせた。
あおいという素敵な彼女と、一年近く付き合っていることを報告した。

祖父とは絵を描く公園で将棋を教えてもらった。
飛車落ちで何度も負かされて、たまに勝てた時は祖父は悟流の髪の毛をくしゃくしゃにして、
「強くなったな」
悔しがりながら喜んでくれた。
悟流は空にいる祖父に見えるように、大木の上で今も絵を描いている。
✨✨✨
緑子が家に帰ると、あおいがソファーに座って読書していた。
「珍しいね。あおいが読書なんて」
文庫本の表紙を覗き込む。
「三四郎? 会社の鈴村くんも昼休みに読んでいたけど」
「鈴村くんに借りたの」
「え?」
「今日、お姉ちゃんの会社で声かけられたの。ボウリング教えてもらったよ」
「鈴村くん、体調不良で早退します!って大きな声で言って帰ったけど」
「嘘をそれらしく演技したら卑怯だから、嘘とわかるように言ったんだって。会社で問題にしないでよ。元気ない私を心配してくれたんだから」
「あおい、元気が無かったの?」
「そういう日もあるでしょ」
あおいはうるさがってシッシッと手で払った。
「ストレイシープ(迷子)」
あおいは呟いた。
なんかの呪文か?
「カシスオレンジ飲む?」
あおいのお気に入りのお酒を言うと、あおいは「飲む」と言った。
緑子はカシスオレンジを持って行き、悩みを聞き出した。
裸体画のコンクールがあり、若手画家の登竜門でラストチャンス。
悟流はあおいを描かない。
カッキーの雇ったヌードモデルを描く。何も言ってくれない。
「鈴村くんとはまた会うの?」
「会って感想とか喋ってもいいかな」
つまり、あおいは悟流に不信感を持ち、鈴村に興味を持っているんだ、と緑子は解釈した。
✨✨✨
ドアベルが鳴り悟流は玄関へ行くと、緑子が立っていた。
「ちょっと飲まない?」
緑子は座布団に座って、買ってきた缶ビールを出した。
「話があるんでしょ? 飲まずに話したい」
「ストレイシープって知ってる?」
悟流は本棚から夏目漱石の三四郎の文庫本を出してテーブルに置いた。
「迷子って意味」
「あおいがそれ読んでストレイシープって呟くの。うちの会社の鈴村くんが、あおいに本を貸したんだけどね」
「……」
「あおい元気ないの。理由わかる?」
「裸体画のコンクールのことでしょ」
「なんであおいを描かないの?」
「想像してみて。俺があおいちゃんを描いてコンクールに出して、最終選考に残ったらネットにも画像があがるんだよ」
緑子はハッとした。
「たくさんの人の眼に裸がさらされて審査員に点数をつけられてさ。金賞とってプロポーズできるならいいよ。落選したら? あおいちゃんの人生は?」
「じゃ、あおいのために描かないってこと?」
「それだけじゃない。自分のためでもある」
「どういうこと?」
「俺には画家としての矜持がある。それが唯一、自信を持ってあおいちゃんを愛せる理由だ。しかし情熱を持って描きたいあおいちゃんを、描けない自分は画家として失格じゃないか? あおいちゃんを描いて確実に金賞をとる自信がないのか? そんな自分の弱さをあおいちゃんに知られたくない」
緑子はポカーンとした。
頭がチカチカする。
キョウジという言葉がわからない。
正直ごちゃごちゃして、半分くらいしか理解できなかった。

そう言えば三四郎も若い時に読んたが、主人公の三四郎がごちゃごちゃ考えるので、めんどくさくなって途中で投げ出した記憶がある。
ストレイシープの場面まで、たどり着いてない。
悟流のごちゃごちゃした自意識は置いといて、あおいのことを真面目に考えてくれているとわかって、緑子は姉として嬉しかった。
「さっき金賞をとったらプロポーズとか言ったけど、賞をとれなかったら結婚しないってこと?」
「……」
「なら金賞とらないと! ヌードモデルは上手に描けたの?」
「知らない人で情熱がわかないから金賞どころのレベルじゃない」
「私、裸で木に登ろうか?」
悟流が思わず吹き出した。
「裸体画って男を描いてもいいの?」
「性別の指定は無いから構わないはず」
「じゃあカッキーはどうなの? あおいの話ではお調子者だけど、見た目は割とカッコ良いって聞いたけど?」
「確かにカッキーは絵になるかもな。背が高くて筋トレで鍛えた体で、表情が豊かで男の色気がある。でもカッキーはライバルだからモデルを承知するわけない」
「銭湯とか温泉に誘ったら? よぉく観察して描いちゃえばいいよ」
「やっちゃダメでしよ。許可もなく」
「やっちゃえばいいじゃん。私なら描くよ」
悟流は緑子を見据えた。
「それは人としてやったらダメです」
「人として」ダメだしされて緑子は落ち込んだ。
これまで恋を幾つかしてフラれたりフラれたりしたのも、「人として」欠落していたんだろうか?
緑子はしょんぼりして帰ろうとしたが、缶ビールを腰に手をあてて一気に飲んで、缶をつぶして帰った。
✨✨✨
あおいは悟流と土日に連絡も取らないで過ごし、月曜日の会社帰り、彼が絵を描く公園の入り口にいた。
いっそ明るく聞いてみようか。
カッキーのモデルを描いたの?って。
「あおいさん!」
振り向くと、カジュアルな服装の鈴村がいた。
「イベントの代休だったから、あおいさんと会えたらなって思って。会社帰りに公園を通るって聞いたから」
あおいはかたまった。
「ごめん。引くよね? 三四郎は読んでますか?ってラインしたら、途中まで読んだって返信くれたでしょ。感想言い合えたらなって」
悟流と鉢合わせになってしまう。
「迷惑だよねアポ無しは。俺、なんか焦ってるな。帰るね」
鈴村は帰ろうとした。
「待って」あおいは呼び止めた。
やきもちをやかない悟流に、めちゃくちゃカッコ良い鈴村と一緒なのを見せたらどんな反応をするだろうか。
「駅まで歩きながら感想言う?」
鈴村は喜びを表情に表し、あおいと並んで歩いた。
「どこまで読んだの?」
「ストレイシープ」
「あれは美禰子が三四郎を好きになった日だと思うよ」
「私は美禰子に感情移入しちゃった」
「……」
「ストレイシープの余韻にひたっちゃって、本を読み進めたくなくなったの。自分の答えを得てから読みたくなって。変かな?」
鈴村はあおいをじっと見つめた。
彼女は今、ストレイシープ(迷子)なんだなと思った。
「俺もよく本を寝かせるんだ。その空間に、自分の思考を育てることができる。そんなところが読書の素晴らしいところでもあると思う」
あおいは鈴村と歩くのが思いのほか楽しくなった。
第一印象では隙のない自信家だと思ったが、意外と「すき間」がある人だなと思った。


並んで歩くうち大木のところへ行った。
木の上で絵を描いていた悟流が、二人を見下ろした。

サルみたいな男が木の上から見下ろしているのを見た鈴村は、きょとんとした。

サル似の男はあおいと視線を交わし合っていた。

「お姉ちゃんの会社の鈴村くん。本の感想を聞きたいって来たの」
悟流はするすると木から降りて、鈴村の前に進み出た。
鈴村は悟流に名を名乗って名刺を渡した。
悟流も名刺を渡し、挨拶した。
「あおいさんとどんな関係ですか?」
鈴村は悟流を見据えて切り込んだ。
「どんな関係って聞かれてるよ」あおいは言った。
「あおいちゃんの知り合いだから、あおいちゃんが答えたら?」
「私の自由にしろってこと?」
「あおいちゃんは自由だよ」
「わかった。鈴村くん行こう」
あおいは歩きながら涙ぐんでいた。
鈴村が心配して話しかけられずにいると、ぱっと二人の前に、悟流がスケッチブックを持って走って現れた。
「一枚描かせてくれる?」
悟流は二人を木の前に立たせてスケッチした。
あおいは冷静に描く悟流が憎らしくなって、鈴村の腕に自分の手をからませた。
鈴村は驚いてあおいを見た。
あおいは悟流を見ている。
「カッコいいですね」
悟流は鈴村に言った。
「よく言われます」
「あおいちゃんと絵になるね」
悟流は色を使って丁寧に仕上げた。
嫉妬の感情が筆に乗って、迫力が上乗せされた絵を二人に見せる。
女が男の腕に手をからめ、男が女の顔を熱く見つめ、女はこちら(画家)を熟視している。
静かな、しかし凄まじく愛がばらばらに飛び交っている絵だ。
「凄い絵だな」鈴村は息を吐いた。「幾らですか?」
悟流は絵を引っ込めた。
「これはスケッチなんで、描いてほしければ正式に依頼してください。またね、あおいちゃん」
悟流は木に登った。
あおいは何も言わず歩き出した。
鈴村はあおいに寄り添い、公園を駅の方へ歩いた。
✨✨✨
暗くなってきた公園で、悟流はスケッチブックを画材用のリュックに入れて帰り支度した。
鈴村がやって来た。
「あおいさんと駅で別れました。一人で帰りたいって言われて」
「それで?」
「あおいさんはストレイシープです。意味わかりますか?」
「三四郎。迷子。了解」
「何が了解?」
「彼女の今の状況を理解したという意味。それで何?」
「さっき描いてもらった絵を正式に依頼します」
悟流は呆れたように鈴村を見つめ、息を強めに吐いた。
「木山悟琉を検索したので、絵が安くないことは知っています。あの絵がどうしても欲しい」
「無鉄砲だな。あおいちゃんがストレイシープを抜け出してから依頼したら?」
「無鉄砲は親譲りで」
「無鉄砲な男に、あおいを渡したくない」
「描いてくれないわけ?」
「依頼したらキャンセルできないよ。もし鈴村くんが振られたら絵はどうするの?」
「買ったものは燃やそうが押し入れに突っ込もうが客の自由でしょ」
「ああ、そういう性格か」
「そっちこそ振られても絵を仕上げることができる?」
「描くよ。プロだから」
「じゃ正式にお願いします」
「了解。後で絵の大きさをメールして」
鈴村は帰って行った。
悟流は草に大の字にひっくり返った。
「挑発に乗ってしまった」
悟流は寝っ転がったまま、空に向けて吠えた。
「描きたくねえ!」
✨✨✨
あおいは悟流と連絡を取らないまま、次の土曜日になった。
鈴村からラインが来たが、
「羊は夢の中を彷徨っています。メエメエ」
と書き、後は既読無視した。
鈴村は每日一文ずつラインしてきた。既読無視した。
「あの絵を木山悟琉に正式に依頼しました」
と書いてきた日は思わず返信しかけたが、既読無視した。
「お姉ちゃん、ボウリングでも行く?」
あおいが緑子を誘った。
「わあ久しぶりにあおいとボウリング」緑子は喜んだ。
「悟流と会わないの?」
「連絡ないから知らない」
緑子はいそいそと出かける準備をした。お気に入りのレモンイエローのワンピース。
緑子が悟流に会いに行った時、言い合いになり、怒って帰る緑子に、
「こういう服が似合うと思うよ」と絵に描いてくれたのと似たワンピースを見つけて買ったのだ。


緑子は鏡に自分の姿を映した。

よし綺麗。
鏡に微笑んだ。
バッグに携帯を入れようとした時、緑子は考えた。
おせっかいだけど放っておけないのが私だ。
✨✨✨
悟流のスマホの電話が鳴った。
緑子だ。
「今からボウリングやろうよ。必ず来てね」
ボウリング場の名前を伝えて切った。
必ずと言うので、あおいと一緒なんだろうと悟流は思った。
あおいと一緒だと言わないのは、あおいに内緒にしているんだろう。
✨✨✨
緑子とあおいは姉妹で久々にボウリングをした。
あおいはガーター、1ピン、2ピン。
「あれ? コツがわかんなくなっちゃった」
一ゲーム目が終わって、緑子はキョロキョロした。
「誰か来るの?」
緑子は言葉を濁した。
悟流を呼んだ、と言って彼が来なかったら、あおいが傷つくからだ。
あおいは「私、帰る」と察して立ち上がった。
悟流から連絡してこないのは会いたくないのだと、認めざるを得ない。
緑子が呼んでも来なければ、もう恋人でもないのかもしれない、とあおいは哀しくなった。
その時、悟流がやって来た。
悟流は緑子のことだから自分を呼んだことは隠せないだろうし、行かなければあおいが傷つくと読んでいた。
あおいにゆっくり一人で考える時間をあげたかったけど、来るしかない。
本音はあおいに会いたかった。
張り詰めた感情を抱えるあおいに、悟流は悪戯っぽく笑った。
「下手くそでびっくりするなよ」
「私もすごく下手くそ。まだ最高で3ピン。私より運動音痴はいないと思う」
緑子は安定したストライクを出した。
あおいは1ピン倒した。
悟流の番になり、スムーズに投げた。
そのフォームは緑子には綺麗に見えた。
しかし一直線にガーターとなった。
その調子で緑子はストライクかスペア、あおいはガーターか1ピンか2ピン、悟流はガーターを連発して0点だった。
あおいが投げる時、緑子は悟流の背中をバシッと叩いた。
「いつまで道化を演じるつもり?」
ゲームのラスト、10回が来た。
あと3投だ。
悟流は綺麗なフォームで投げ、ダイナミックにストライクを出した。
あおいが驚いてハイタッチしようとしたが、悟流は無視した。
次も集中して流れるような動きでストライクを取った。
あおいを見ないでボールを取る。
ラスト一球。
悟流は投げた。3球連続のストライク。
席にいるあおいの前に戻り、両手を掲げた。
あおいも応じて両手を出した。
悟流は真顔であおいの手に思いっきりハイタッチした。
手が痛くて、あおいは驚く。
「じゃあね、あおいちゃん」
悟流は帰って行った。
「またね」と言わなかった。
「追いかけたら?」
緑子は言った。
あおいは立ち上がり、駅へ走った。
✨✨✨
駅のホームで悟流のアパートへ向かう電車を待っているとラインが来た。
鈴村からだ。
「既読がつくと嬉しいし哀しい」
見ちゃったのでまた既読無視になる。
私はずるい、とあおいは思った。
電車が来て乗ろうか迷うと、
「乗らないなら邪魔!」と男の人に突き飛ばされた。
あおいはよろけながら電車を見送り、反対側のホームへ走った。
行く場所の変更。
あおいは衝動的にそこへ向かった。
お寺の隣の隣にその人の家はある。
ご両親が建ててくれた家に一人暮らしをしている。
男っぽい見た目に似合わず花を愛し、花壇に色とりどりの花が咲いている。
その人は出て来た。
昼過ぎまで寝ていたのか、声かけようとするあおいに気づかず、半分くらいしか眼を開けてなくて、髪がパンクロッカーみたいに寝癖で爆発し、しゃがんで金物のジョーロにホースの水を入れた。
スウェットのズボンのゴムがゆるゆるで、しゃがんだ後ろから下着のパンツが見えていた。
その人は眠そうに目をこすりながら立ち上がり、あおいを認めた。
わあ! 悲鳴をあげて飛び退いた。
「あおいちゃん、何でや?」
「カッキー、来ちゃった」
カッキーはジョーロを落とした。
ぽちゃんと水があおいにはねた。
年季の入ったヨレヨレのスウェットの袖口をクンクン臭って、ヤバ!と叫んで家の中にすっこんで行った。
あおいはジョーロを拾って、花壇に水をあげた。
ジョーロが空になって振り返ると、カッキーがお洒落な普段着を着て戸惑い立っていた。
寝癖はピョコンとはねている。
「あおいちゃん。花に水をあげに来た?」
あおいは笑って首を横に振った。
「モデルになりに来たんや?」
ヌードのイメージがあるので、軽く睨んで首を横に振った。
「じゃあ」
カッキーの表情が切なく一変した。
いつもおちゃらけてばかりいるカッキーが、真剣な眼であおいを熱く見つめる。
その時、あおいはカッキーの気持ちに気づいてしまった。
ストレイシープを抜け出すために来たのに、また新たなストレイシープの森に迷い込んでしまいそうだ。
戸惑うあおいに見つめ返されて、カッキーは照れてそっぽを向いた。
「デートしに来たんや?」
悟流がカッキーのことを男の色気があると言ったが、あおいは今気づいてドキッとした。
✨✨✨
くるみは今日も画廊で悟流の絵を眺める。
サルに似た愛嬌のある悟流の笑顔の写真も見る。
(サルに会いたいな)
くるみは思った。

(2話に続く)
イラストを描いてくださった方々です。




