「サルに恋する5秒前」2「恋がくるくる回ってる」
(あらすじ)
木の上で絵を描くサルに似た画家、悟琉に恋する恋の初心者、くるみ23歳。
悟流の藝大の同級生で親友の画家の柿本潤平、悟流の恋人で美女のあおい、東大将棋部主将の経歴でイケメンの鈴村朔、二十代の男女5人の恋愛小説。



カッキーは照れてそらした目をあおいに向けて、答えを求めて来た。
あおいはカッキーの気持ちと魅力に気づいて動揺した。
ストレイシープ(恋の迷子)から抜け出したくて来たのに、新たなストレイシープの森を彷徨いそうだ。
最初の目的(カッキーから悟流の本心を聞き出す)が気軽にできなくなった。
カッキーを小道具に思えなくなったからだ。
「カッキー。一番が正解です。花に水をあげに来たの」
あおいはジョーロを返して帰ろうとした。
「そんなわけ無いやろ」
「ベタなツッコミやなぁ」
へんてこな漫才になって二人は笑った。
「あおいちゃん、気分転換にバイク乗せよっか」
「え、振り落とされないかな」
「しっかりつかまれば大丈夫や」
カッキーはあおいのワンピースを見て、隣の長男宅へ行った。
「お義姉さん、すみませーん」
カッキーは女性用のデニムを持ってきて、「ダサいけどはいてみて」
とあおいに渡した。
「誰がダサいって?」
メガネの女性が現れ、カッキーを冷やかすように笑っている。
「わあ綺麗な人ね。潤ちゃん、彼女できたの?」
女性の後ろから、カッキーの小1の姪っ子が現れ、あおいに体当たりした。
あおいは不意打ちを食らって花壇に転んでしまった。
「こら」お母さんに追いかけられて、姪っ子は隣の家に帰った。
「大丈夫?」
カッキーがあおいを起こそうとして、わあ、と叫んで後ろを向いた。
あおいの薄手のワンピースがふわっとまくれあがって、ももの上までむきだしになっていた。
あおいは真っ赤になりながら、スカートを戻して立ち上がった。
下着が見えちゃった可能性が高い。
「姪っ子がごめんな。やきもちやいた」
「花の上に転んでごめんね」
二人はぎこちなくなった。
「俺、ここにいるから中に入って着替えて。バイクにスカートじゃ⋯めくれちゃうから」
めくれたスカートを思い出し、カッキーは耳まで赤くなった。
あおいはカッキーの家に入った。
花壇の前で深呼吸するカッキー。
✨✨✨
あおいは借りたデニムをスカートの中にはいた。
奥の部屋を覗くと、女性の裸体画のカンバスが眼に入った。
画の女は、あおいがカッキーの実家の前で見たグラマーなモデルだ。
裸の上半身を起こし、足を投げ出して斜めに横たわり、豊満なバストが画の真ん中を美しく支配し、女の片手が下の前部分を隠していた。
画の女の表情は演じているような白々しい感じがした。
美しい絵だがカッキーは気に入らなかったのか、女性の顔の近くに黒でバッテンを描いていた。
✨✨✨
「お待たせ」
あおいが家から出てきた。
「バイクは風があたるから」
カッキーは自分のパーカーを脱ぎ、あおいのワンピースの上に羽織らせた。袖まくりもしてくれた。
あおいはバイクの後ろに乗り、カッキーの腰に手を回し体を密着させた。
風を切って走ると周りの景色が流れ、清々しい気分になった。
不思議と怖さが無く、カッキーの背中の体温に安心を感じた。
見晴らしの良い高台にバイクを止めた。
「俺の膝の上に座る?」
カッキーはふざけたことを言ってきた。
あおいは草の上に直に座った。
「何か話がある?」
カッキーがあおいの目を覗き込んだ。
この人に全部話しちゃおうと思い、あおいは語った。彼と共有したくなった。
「私ね、カッキーがヌードモデルを頼んだ日、変装して見に行ったの」
「えっ」
カッキーはさすがに驚いていた。
「ああ、この知らないモデルの方が私より描きたいんだなって。覗き見してる自分が愚かで涙が出ちゃった」
その日、姉の会社の鈴村と出会い、夏目漱石「三四郎」を借りて、感想を聞きに公園に来た彼と悟流が鉢合わせし、気まずくなったことを話した。
カッキーはムカついた顔をして腕組みした。
「鈴村、いらんやろ。鈴村わくには俺が入る。本命悟流、押さえカッキー、これでよし!」
「押さえって思ってないよ」
「既読無視はキープやろ。鈴村のどこがいい?」
「人気俳優レベルのイケメン」
「ふん。あとは?」
「笑顔が爽やか。約束守る。嘘が嫌い。ちゃんと説明してくれる。頭がいい」
「あおいちゃんはアホやな。後半、全部俺に当てはまるの気づかなかったか?」
「あ、そう言えば」
「俺が負けてるのは顔だけだ」
カッキーって笑顔は爽やかだっけ?
でもカッキーは楽しくて面白い。
こんな人はそうそういない。
「あおいちゃんはサル似の悟流が好きなんやから面食いじゃないやろ。イケメン俳優レベルの顔いらん。豚に真珠だブー」
「私ブタなの?」
「俺だって三年に一人はイケメンって言ってくれる女の子が現れるから、イケメン枠でいい。そう言えば今年三年目だ。誰か俺にイケメンって言ってくれないかなぁ」
期待した目で見られて、あおいはそっぽを向いた。
「これだけは言う。悟流はあおいちゃんに夢中」
「本当に?」
「夢中じゃなかったら、とっくに俺が奪い取る。あいつはあおいちゃんの幸せを願ってる。ヌードを描かない理由も、約束したから言えないけど、あおいちゃんのためだ」
あおいは嬉しかった。
親友のカッキーがそこまで言い切るのだから本当なのだろう。

あおいの顔が晴れやかになるのを見たカッキーは、自分の頭をポカポカ叩いた。
「言い過ぎた。アホやな俺は」
カッキーは突然、あおいの手をぎゅっと握った。
あおいはきゃっと悲鳴をあげた。

「鈴村に奪われるなら、悟流は俺に奪われる方が納得するよ。あいつはカッキーが大好きだから」
カッキーの笑顔に、あおいは手を握られているのも嫌じゃなくなった。
確かに今日の笑顔は爽やか⋯かも。
鈴村と交換したなら俺も当然、とカッキーとライン交換をさせられた。
「代わりに鈴村はブロックしろ」と無理やり指切りさせられた。
「あおいちゃん。スケッチさせてくれる?」
座ったまま空の雲を見てほしいと言われた。
空には羊雲があった。
鈴村と入った喫茶店の名前が羊雲だ。
あんなに返事を欲しがっているのに、既読無視なんてズルいと思った。
「今、悟流のこと考えてる?」
「ううん。違う」
カッキーは絵を描くのを止めて自分が主人公になったようにカッコつけて見つめてきた。
「俺のこと考えてた?」
「違う。羊雲。メエメエ」
カッキーはがくっとしながらスケッチを中断して、並んで羊雲を見つめた。
「あんな高い場所にいる奴がライバルじゃ叶わねえな。メエメエ」
しばらく並んで羊雲を見た。
✨✨✨
「家まで送ろうか?」
カッキーに言われて、あおいは「さとるんの家に行く」と言った。
カッキーは溜め息ついた。
「悟流のアシストしたアホな奴」
「カッキー。私を好きみたいに言っていいの?」
「いつも言ってたけどな。あおいちゃんに会えてラッキーとか」
今日は違って聞こえるのは自分の心の問題なの?
「悟流の家には送らない。自分の足で行ってくれ」
カッキーはあおいを自分の家の最寄り駅まで送った。
あおいがお礼を言うと、カッキーは嬉しそうな淋しそうな顔をしてバイクで去った。
✨✨✨
悟流のアパートに向かう電車であおいは鈴村にラインを送った。
「お会いして本をお返しします。ごめんね。それで最後です」
今度は鈴村が既読無視した。
車内でカッキーに借りたパーカーを着ていることに気づいた。
なぜカッキーはさよならする時、何も言わなかったんだろう?
これを着て悟流の家には行けないから、あおいはコインロッカーにパーカーを預けた。
✨✨✨
あおいは久しぶりに悟流のアパートに行き、ドアベルを鳴らした。
彼はドアを開けて笑顔になった。
「ストレイシープは抜け出した?」
「メエメエ」
あおいは靴を脱ぎ捨てて揃える間もなく、悟流を手で押して行った。
「メエメエ」
あおいは彼を押して行った。
「メエメエ」
悟流は奥の部屋の壁に押し込まれた。
あおいは自分から熱烈なディープキスをした。
いつも悟流にされるままだったが、一年近く付き合って初めて、自分から主導権を握って仕掛けていった。
たっぷり長いキスをした後、あおいは悟流の胸に顔をくっつけた。
ずっと会えなくて寂しかった。
悟流はあおいをぎゅっと抱きしめた。

✨✨✨
緑子が会社で残業していると、鈴村が目の前を通って廊下を指した。
ついて来い、という意味らしい。

ついて行くと、鈴村は周りに人がいないのを確認し、緑子の耳に口を寄せた。
「会社と反対側の北口駅前の店、〇〇で待ってます」
鈴村は帰って行った。
緑子は鼓膜が熱をおびて、心臓がはねた。
きっと妹のあおいの話だろうと左脳ではわかっていても、カッコ良い鈴村に、耳に口を寄せて囁かれて店で待ってると言われたら、右脳が勝手にドキドキしてしまう。
早く残業終わらせて店に行かないと、と緑子は焦った。
今日はお気に入りのレモンイエローのワンピースを着てきた。
まるでデートみたいだ。

しかし仕事を片付けながら、緑子は気づいた。
北口しか覚えていない。

なんでメモを取らなかった?
忘れっぽいから、すぐメモしろって言ってるじゃん。何やってんの私。
しかし緑子はさらに気づいた。
ぽおっとして、そもそも北口しか聞いてなかった。
緑子は残業を片付けると北口へ急いだ。
北口駅前にはビルが並び、地下から高層までたくさんの店がある。
鈴村の携帯番号を知らない。
緑子はあおいに見せるため隠し撮りしたスマホの鈴村の写真を、ファミレスから大人のバーから洒落たレストランまで、
「この彼、来てますか?」と聞きながら二十軒位も鈴村捜しをした。
念のため牛丼屋まで覗いたが鈴村は見つからず、緑子はへとへとになった。
「鈴村のバカ! なんでメモ渡してくれないの? なんで耳に口を寄せるの?」
緑子は道で叫んだ。
「カッコいいからってカッコつけてんじゃないよ!」
もう知らん、緑子は電車に乗って帰った。腹ペコ。
✨✨✨

23歳の桜野くるみは、会社帰りに画廊に寄るのが楽しみだ。
絵を観るのが好きで美術館によく行くが、たまたま立ち寄った画廊でお気に入りの絵を見つけ、画廊のオーナーとお喋りして帰るのが日課となった。
その絵は「猿」という題で、猿そっくりな男の自画像だ。
森の中で木々のすき間を鳥が飛んで日光が差し込み、猿に似た男が木の上で絵を描いている。
色使いといい画風といい猿の表情といい、くるみは情熱的なその絵に心を奪われた。
くるみは父の亡き後、一人暮らしをしている。
アパートの家賃があるため普段の生活はカツカツだが、ボーナスが出たら「猿」の絵を買いたいと思った。売れちゃわないか心配だ。
画家の名は木山悟琉。
毎日寄るので髭のオーナーと顔馴染みになり、くるみは木山悟琉のエピソードを一日一つ聞いて心をときめかせた。
エピソードは他愛ない小話で、例えば子連れのお客の子供が猿の絵と、画廊に来た木山悟琉を見比べて、
「この人、この猿だ」と言って、母親が困った時、木山悟琉は猿の物真似をして親子を笑わせたという。
ある社長が応接室に飾る風景画を、木山悟琉の絵と他の画家の絵と迷った時、悟琉はその客に丁寧に希望を聞き、そういう意図ならこちらの絵がよろしいと思います、と他の画家の絵を推薦したという。
その社長は木山悟琉に絵を依頼した。
どのエピソードの木山悟琉も魅力的だった。
くるみは動物の中で一番好きなのは猿だ。

くるみが大学一年の時に亡くなった父とは、一緒によく動物園に行った。
くるみは毎回、猿山の前で長く眺めた。
父はそんなくるみを急かさず自由にさせる人だった。
父が亡くなって、くるみは天涯孤独となった。
今は一人で時々動物園に行き、猿を眺めている。
木山悟琉の絵を画廊に観に来るのは、くるみにとって二つの意味があった。
木山悟琉の絵が好き。
そして見た目もエピソードから感じる人物像も木山悟琉が好き。
オーナーに木山悟琉の写真を見せてもらったが、今まで出会った男性の中で一番タイプだ。

その日もくるみは会社帰りに画廊へ行き、「猿」を眺めていた。
その時、猿に似た男が絵を抱えて入ってきた。
くるみは息を呑んだ。
木山悟琉だ。
悟琉はオーナーに、木登りする女の絵を渡した。
「彼女、大木に食らいつくいい表情してるね」
木山悟琉の絵をくるみは丁寧に見ていた。
木登りシリーズも、愛という文字が題に入った美しい女性の絵も、おじさんと洗濯機の絵も全て好きだ。


正直言うと、美しい女性の絵には嫉妬を感じる。
くるみは耳が良いので、オーナーと木山悟琉の内緒話が聞こえた。
「あの子、くるみちゃん、悟流の絵を毎日観に来るんだよ。悟琉のエピソードを聞きたいってねだられて話してる。他愛ない話」
「彼女、大学生? 」
「23歳、会社員だって。猿の絵がお気に入りで、ボーナスで買いたいからお願い売らないでって言われてる」
悟流がこっちを見る気配があり、くるみは目をそらした。
「コンクールの裸体画は? ヌードモデルは見つかった?」
「画家の友達の雇ったモデルを描いたけど、知らない人で情熱がわかなくて」
「木山悟琉の絵は情熱があるか無いかで違うからな。恋人を描けば良いのに」
「それは嫌だ」
木山悟琉はきっぱり言った。
恋人がいることは残念ながら確定した。
木山悟琉は画廊を出た。
くるみは迷ったが画廊を飛び出した。
通りを歩く木山悟琉を見つけ、なんて話しかけるか考えながら後をついて行くと、突然、木山悟琉が走り出した。
くるみは追いかけて走った。
木山悟琉は軽やかに走って行き、小柄なくるみは全速力で追いかけた。
人波に隠れて見失い、がっかりするくるみの脇から、木山悟琉が目の前にぱっと現れた。
「俺を捜してる?」
くるみは驚き、息が切れてはあはあしながら、木山悟琉を見上げた。
小柄だが豊満なバストが、くるみの呼吸で服の内側で揺れていた。
「追いかけたから逃げたの?」
「違うよ。いつも走る」
「⋯喉がかわいちゃった」
くるみは少し離れた自動販売機を見つけ、躊躇した。
「買ってくれば?」
くるみは訴えるような目で木山悟琉を見た。
「逃げられちゃう」
「逃げないよ。ここにいる」
くるみは自動販売機の方へ歩きながら何度も木山悟琉を振り返って見た。
自動販売機の前に行って選んでも、ハッとして何度も振り返る。
頻繁に振り返るくるみの真剣な表情と動きがコントみたいでおかしくなり、悟流は走りだす仕草をした。
くるみがハッとして走ってきた。
「ごめんごめん」
悟流はくるみの方に戻って笑った。
「ちょっと意地悪した」
くるみは怒ったようなほっとしたような顔をして、木山悟琉の手首を握った。
「一緒に」
自動販売機の方へ連れて行く。
くるみは飲み物を二種類買い、
「好きな方をどうぞ」と悟流に見せた。
「逆にどっちが飲みたいの?」
「どっちも好き」
じゃあ、と悟流が一つ取ると、「あっ! 私もこれ一番好き」
悟流はふざけてそれを高く上げると、くるみはジャンプして取ろうとした。
悟流はそれをかわす。
くるみは笑った。
「お父さんがよくそれやってた。でも結局、いつも私にくれる人だったな」
過去形で言うので亡くなったのだと悟流は推察し、彼女の一番好きな飲み物を渡した。
悟流がもらった飲み物を勢いよく飲むと、「だめ!」と言われた。
「一緒にどこか座って飲んで」
「俺の絵のファンなの?」
「ファンじゃない。敬語あんまり使ってないでしょ?」
そう言えば4つも年下で初対面なのに、さっきからタメぐちだ。
「ファンって妄信するでしょ。その人が何をしても応援します!みたいな。私は妄信しない。ちゃんとその人を見ていくから」
面白い子だな、と悟流は思った。
画廊近くの公園のベンチに悟流とくるみは座って、飲み物を飲んだ。
「一気に飲まないで。ちょっとずつね」
「了解」
「私、話すのめっちゃ苦手で。小説書くから文にするのは得意だけど話すとポンコツ」
何から話そうか、くるみは迷った。
でも一番気になることを聞いた。
「さっき聞こえちゃった。恋人がいるの? 絵のモデル?」
悟流は頷く。
「木登りじゃない方の人でしょ?」
悟流は吹き出して頷いた。
「すごく綺麗な人。会社の先輩があの絵のモデルに似てるけど、会社の先輩はふわふわした感じのおっとりした人。絵のモデルはドキッとするような研ぎ澄まされた色気があって、愛の凄みを感じる」
悟流は絵の評を嬉しそうに聞いた。
「彼女にヌードになってもらうのは嫌って言ったでしょ。 裸体画のコンクールがあって、知らない人は情熱がわかないから描けないって」
「小声で話したのに地獄耳だね。そうだね、彼女は描きたくない」
「裸をさらしたくないんでしょ? コンクールで点数つけられて」
悟流は驚いた。
可愛い子だけど鋭い。
「恋ってどんな感じ? 甘くて美味しい? 不安になったり寂しかったりするの?」
「どっちもかな」
「羊雲」
くるみは空の羊雲を見上げた。
つられて悟流も見た。
「恋がくるくる回ってる」
くるみは空に向けて、人差し指でくるくるっとした。
それから悟流の顔にくるくるっとして微笑んだ。
サルに恋する5秒前♫
1.2.3.4.5

悟流はくるみの不可思議な魅力に当てられながら、
「どんな感じって、君は恋したことないの?」と聞いた。
「恋は未経験。名前、聞いてほしいな」
「くるみちゃんってオーナーから聞いた」
「桜野くるみ。会社のふわふわの先輩はくるみんって呼んでくれる」
「可愛いからモテるでしょ?」
「見た目で寄ってくるような人はバッサバッサと斬り捨てる」
くるみは刀で斬る仕草をした。
「一度だけ恋もどきはしたことあるの。大学のサークルの先輩で密かにずっと好きだった」
「その人と付き合ったの?」
「ふられた。先輩が大学卒業すると同時に同級生と結婚が決まって、私、好きです結婚しないでくださいって告白したの。そしたら、くるみちゃんは可愛くて気になってたけど、ほとんど二人で話してないよね。集団でいる時の自分と、二人でいる時は違うんだ。そんなのもわかってなくて好きだと言われても、結婚を白紙にはできないよって」
「……」
「好きな人の本質も知らずに恋だと思って突っ走っただけ。その時思ったの。好きな人のことは知っていこう。彼女がいても、どんな形でもいいから近くにいてたくさん話そうって」
くるみは悟流のことを見つめた。
急にドキッとする大人っぽさがあり、悟流は戸惑った。
「もう1個話すね。私、今年の新卒で部内で既に孤立したの。お茶を頼まれると笑顔でほいほいいれるから、女性社員に反感を持たれたの。そしたら例のふわふわの先輩が、一緒に全員のお茶いれようって言ってくれて。毎日十時と三時の二回、先輩とお茶いれるの。お茶にしましょうかって先輩が微笑んで、アリスのティーパーティーへようこそって、私が言うの」
くるみは立ち上がり、不思議の国のアリスのドレスを着たつもりで挨拶のポーズをした。

微笑ましくて悟流は笑った。
二人の女性の給湯室での楽しいティーパーティーが、絵として浮かびあがってきた。

「少しは興味持ってくれた?」
何を言い出すのか悟流が戸惑うと、彼女は驚くことを言いだした。
「私のヌード、描いてください」
悟流はびっくりしすぎてベンチから飛び退いた。
くるみは彼の前に立って見上げた。
「情熱持てる? 色気が無くってだめ? 修学旅行では脱ぐとすごいって女子たちに言われたけど」
「恋が未経験なのに、ヌードなんて無謀だよ」
「描いてほしいの。好きな画家に。好きな男の人に」
「よく考えな。悲しむ人がいるよ」
「天涯孤独で恋人もいない。私は自由に生きていく」
「将来、恋人ができた時にその絵が暗雲になるかもしれない」
「そんなんで暗雲がたちこめるなら、そんな男はいらない。くるみを甘く見ないで」
悟流は正直すごく迷っていた。
小柄だが服からも豊満なバストが見てとれる。
ときおり見せる大人っぽい表情も魅力的だ。
彼女ならコンクールの金賞に相応しい絵が描けそうだ。
でも、あおいは恋人だから守って、恋に未経験の彼女は踏み台にしていいのかと思った。
「ヌードモデルの経験も無くて無理だよ」
くるみは嘘をつくことにした。
「ヌードモデルの経験あります。バイトで美大に呼ばれて」
「え、そうなんだ。じゃ頼んでいい? 今からでも大丈夫?」
くるみはたじろいだ。
今からとは思っていなかった。
下着の上と下がばらばらなのが恥ずかしいと思ったが、ヌードだから全部脱ぐんだ、と気づいた。
「大丈夫です」
悟流は画廊のオーナーに電話した。
電話を切って、くるみに向き直った。
「画廊の離れにアトリエがあって、今の時間あいてるって。いい?」
「日にちおくより⋯今がいいです」
「じゃ行こうか。あ、報酬はどうしよう」
「猿の絵が欲しい。だめ?」
「いいよ」
画廊へと歩く悟流に、くるみはついて行った。


画廊に戻って、悟流はアトリエの鍵をオーナーに借りるため中に入ったが、くるみは外で待っていた。
嘘までついてヌードになるのが後ろめたくて、毎日のように楽しくお喋りした髭のオーナーと顔を合わせたくない。
悟流は猿の絵を持って出て来た。
「後で渡すね」
くるみは、ついに大好きな絵が手に入るのだと嬉しかったが、緊張の方が勝っていた。
画廊の裏手にアトリエがあり、悟流は鍵を開けてくるみを中へ通した。
「さっそく描いてもいい?」
「お願いします」
「じゃあ脱ぎ終わったら声かけて」
悟流は脱ぐところを見ないように、後ろを向いて画材を準備した。
くるみは深呼吸し、服を脱いでいった。
下着姿になりドキドキが加速したが、心臓を押さえて気を静め、全て脱いで裸になった。
「あの⋯脱ぎました」
悟流は振り返り、くるみの想像以上に豊満なバストに圧倒されながら「そこに座って」と言った。
ソファーがあり、くるみは足を斜めにして座った。
美術館で裸体画を幾つも観ているので、ポーズの感覚的なことはわかっていた。
「腕の動きを出してみて」
くるみは片方の腕を頭の後ろに持っていった。
悟流は真剣な眼差しでくるみを見つめて描いていった。
くるみは胸をドキドキさせながら、画家を見つめた。
23年間生きて初めておとずれた恋の予感にふるえ、熱がこもった。
悟流には、くるみの感情までわからないが、訴えかけるような、ベビーフェイスに似つかわしくない大人っぽい情熱が伝わった。
悟流は夢中でデッサンし、
「次は立ってみて」と言った。
悟流が近くで描くため、くるみのそばに来た。
くるみは震えが止まらなくなった。
「どうしたの?」
くるみは気を落ち着かせるため深呼吸したが、震えが止まらない。
「まさかヌードモデル未経験?」
くるみは観念して頷いた。
悟流は羽織っていたシャツを脱ぎ、くるみの裸の身体にあてがった。
「やめよう。ふるえてる」
悟流は画材をまとめると、出口の方へ行った。
「服を着たら出て来て」
悟流がいなくなると、くるみは自分が愚かで涙があふれた。
嘘ついてまでやると決めたのに、なんでちゃんとできないの?
悟流のシャツに顔をうずめて泣きじゃくった。
✨✨✨
悟流はアトリエの前で、くるみを待っていた。
感情と思考がまとまらない。
くるみをデッサンした時の画家としての気持ちは、今まで経験したことのない高揚感があった。
必ず素晴らしい画に仕上がるに違いない感触に歓喜した。
しかし、ふるえる彼女を見た時は、画家ではなく一人の男として、描くことはできない結論に至った。
まだ泣いているのだろうか?
時が経ち、くるみは泣きはらした目で出て来た。
悟流の貸した青いシャツをお守りみたいにぎゅっと胸に抱いていた。
「嘘ついてごめんなさい」と頭を深く下げた。
「もういいよ。気にしなくて」
悟流はアトリエの鍵を閉めた。
「描くのをストップしたの俺だから。貰ってください」
悟流が猿の絵を差し出したが、くるみは顔を横に振って、借りたシャツを返して走って行った。
もう画廊には来ないかもしれない。会うことはないのだろう、と悟流は思った。
✨✨✨
アパートに帰り、悟流はくるみのデッサン画を見つめていた。
カンバスを出し、くるみの裸体画を夢中で描いていった。
豊満なバストを中央に描き、女のあどけない表情の中に匂い立つ色気がある。
心が動き、描かずにはいられなかった。
ふるえていたくるみの絵をコンクールに出すつもりはないが、スイッチが入ったように筆が加速して止まらなくなった。
✨✨✨
翌日、午後三時になり、会社の同じ営業部で隣の課のあおい先輩が、くるみと笑顔で目を合わせてきた。
給湯室で十時と三時、一日二回の待ち合わせ。
あおいが「お茶にしましょうか?」
ふわふわな笑顔で言うと、
「アリスのティーパーティーにようこそ」
くるみがアリスのドレスを着ているつもりで、挨拶のポーズをする。
二人は笑顔でハイタッチ。
ティーパーティー(全員のお茶をいれる)の始まりの儀式だ。
くるみにとって癒される時間でもある。


「くるみん。元気ないよね。良かったら話してごらん」
「ボーナスで買いたいものがあるって話したでしょ。だめになっちゃった」
「どうして?」
「お気に入りの絵を買いたかったけど、その絵の画家に失礼なことをしちゃったの。もう画廊に行けない」
「可愛いくるみんの失礼くらい許せないなんて、ずいぶん偏屈な画家ね」
「失礼のレベルが最低だから」
くるみは嘘で木山悟琉を振り回した自分を許せなかった。
「私の彼氏も画家なの。さとるんなら失礼なんて気にしないけど」
くるみはびっくりした。
「もしかして木山悟琉?」
「なんで知ってるの?」
木山悟琉の愛の題の美しい女性は、あおい先輩だったのか。
会社のあおいはふわふわのおっとりで、絵の色っぽさや愛の凄みが感じられないので別人だと思っていた。
「失礼した相手ってさとるんなの?」
「ごめんなさい」あおいに頭を下げた。動揺して泣きそうになる。
「えっ私にまで? 思いつめちゃったのね。せっかくのファンを悲しませて。もぉ、さとるんは何やってるの」
ファンじゃないです、ただ好きなんです、とくるみは心の中で呟いた。
あおいからすれば、くるみは軽々しく失礼をする女の子ではないので、きっと猿とか言っちゃって思いつめているのだろうと、軽く考えた。
「くるみん。次の土曜日、暇?」
「暇です暇です! どこでも参上します!」
子犬みたいにあおいにじゃれた。
「可愛いんだから」
あおいはくるみの髪をぐちゃぐちゃにした。
「次のお休みの土曜日、さとるんと彼の親友のカッキーと私と四人でおでかけしましょう」
くるみはボサボサの髪のすき間からあおいを見つめ、大好きな先輩に見惚れた。
それとともに木山悟琉の素敵なエピソードが、今度は最上級の尊い宝石が宝箱に加わった。
木山悟琉はあおいを射止めた!
やっぱり木山悟琉は素晴らしい人だ、と思った。
再び木山悟琉に会うのは情けなくて不安で恥ずかしくて厚かましくて迷惑かもしれないが、嬉しさが勝利した。
木山悟琉はあおいの恋人だから諦めるほうが良い?
くるみはそうは思わない。
くるみにはくるみの恋と人生がある。
木山悟琉の近くへ行きたくさん話して、彼が(例えばあおいと)結婚を決めた時に「ちょっと待った」を言えるポジションをキープすることが重要だ。
そのために、どんな形でも木山悟琉と親しくなりたかった。
彼の親友にまで会えるなんて素敵すぎて興奮した。
あおいより好きになってもらえず振られたとしても、相手があおいなら納得できる。
けれど、それは木山悟琉の近くにいて、ちゃんと告白して振られた場合の話だ。
✨✨✨
土曜日、くるみはあおいと河原の土手で木山悟琉を待った。
くるみは緊張して、あおいの後ろに隠れていた。
木山悟琉が走ってくるのが見えた。
野生の猿みたいにすばしっこく走る彼に、くるみは素敵すぎて感動した。
悟琉があおいの前に現れ、くるみは後ろからピョコンと顔だけ出した。
悟琉が驚く表情になった。
くるみは照れながら、ぱっと姿を現した。
「会社の後輩のくるみん。一緒にティーパーティーしてるの。お茶にしましょうか?」
「アリスのティーパーティーにようこそ」
アリスのドレスを着たつもりでスカートをふわっとして挨拶し、あおいとハイタッチした。
悟流はあのエピソードかと微笑ましく見た。
「さとるんの絵が好きで画廊で会ったんでしょ? くるみん、失礼なことしちゃったって気にしてるのよ」
くるみは木山悟琉の前に進み出て、
「失礼なことをしてごめんなさい」
と頭を下げた。
「恋人があおいさんとは知りませんでした。失礼について、あおいさんに話さないでください」
「あおいさんに話さないでください」と言ったことで、私はあおいさんに何も話してないですよ、と伝えたことになる。
木山悟琉にしたら、恋人とくるみが同じ会社で親しいと知れば、ヌードのことはむしかえしたくないはずだ。
くるみは自分の嘘で迷惑をかけた上、それが原因で二人の仲にヒビを入れるのは嫌だった。
恐らく悟琉も恋人の前では穏便にすませたく、「気にしてないですよ」とか当たり障りなく返してくるのではないかと、くるみは予想した。
しかし、くるみの前に進み出た木山悟琉は、軽く想像を超えてきた。
「失礼とは思わないよ。画家として良い経験になりました。ありがとう」
と、くるみに頭を下げたのだ。
当然、あおいは「何のこと?」と気になってくる。
くるみは木山悟琉の振る舞いに感動した。
くるみが役立たずで途中でストップしたのに、何が画家として良い経験になったのか知らないが、恋人に不信感を与えるリスクを覚悟の上で、伝えたいことをまっすぐ伝えてきたのだ。
この時、くるみは恋心を確実に持った。
画廊のオーナーにエピソードを聞いて人物像をイメージしたり、先日も二人で話したけど、まだ恋になりそうな予感だった。
でも今は違う。
生まれて初めての恋。
木山悟琉は想像以上に素晴らしい人だと、くるみは思った。
「何のこと?」
あおいが木山悟琉に聞くが、
「言わないでくださいと言われたから言わないよ」と答えていた。
その時、もう一人来た。
柿本潤平だ。
長身の筋肉質の体でわざとスキップするような、ふざけた動作をいれながら三人の前に来た。
この人が木山悟琉の親友、とくるみは背筋を延ばした。
悟琉の恋人の席にあおいが座っている以上、悟琉と親しくなるにはカッキーの関心を得て、四人のグループを強固なものにしたい。
くるみはカッキーの前に進み出た。
木山悟琉には素の自分を知ってほしくて自然に振る舞うが、カッキーには可愛い女を演じようと決意した。
23年間生きてきた経験で、八割の男の人が関心を持ってくれる表情をつくって挨拶した。
「はじめまして。あおいさんの会社の後輩の桜野くるみです」
まず可愛らしく微笑む。
そして髪に手をやり真顔で大人っぽく見つめ、ギャップにドキッとさせる。
「カッキーと呼んでもいいですか?」
カッキーはドギマギした表情になった。
くるみは(良かった。関心を持ってくれる八割の方の人で)と思った。
「なによ。カッキー赤くなっちゃって」
あおいがふくれた。
「テンションあがるなあ」
カッキーがふくれたあおいと、くるみを見て照れながら言った。
くるみはこっそり木山悟琉を見た。
彼はくるみを見ていた。
心を覗くような目だ。
くるみは目をそらした。
カッキーに対して演じたのがバレたのだろうか?
でも木山悟琉の近くの席を確保するため、親友のカッキーに好かれるしかない。
恋とは難しい。
「くるみちゃん」カッキーがカッコつけた表情と立ち姿になった。
「俺をイケメンですねって言ってくれないかな? 三年目なんや」
三年目というのが何かさっぱりわからないが、くるみはこの親友の気持ちをつかみたかった。
「カッキーってイケメンですね」
くるみは微笑んだ。
「ほら!」
カッキーが勝ち誇ったように、あおいを見た。
(3話に続く)

絵を描いてくださった方々です。

