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「米百俵の精神」が今も息づく街、長岡

長岡で勤めていた頃、関東から転勤してきた課長が上司だった。

幼いお子さんがいるため家族総出で引っ越してきたが、全国転勤族の宿命で、いずれは単身赴任になるのだろうと誰もが思っていた。


案の定、わずか2年で課長の関東へ帰ることが決まった。

関東にマイホームを持つ課長は、「これでやっと自宅へ戻れる!」と大喜び。

……のはずだった。


転勤から2ヶ月ほど経った頃、既に引っ越したはずの課長と、長岡で会ったという話を聞いた。

どうしてか不思議に思って、同僚に聞いたところ、事情を明かしてくれた。


課長には長岡勤務の際に、ちょうど小学校に入学したお子さんがいたのだが、その学校の教育方針に奥様がかなり感動したという。


異動が決まった時にも「絶対にここを離れたくない!」と言い出し、関東へ戻るのを拒否したらしい。

結果、家のある関東へ課長が「逆単身赴任」することになったのだ。


奥様をそこまで魅了したのは、長岡に深く根付く「米百俵の精神」だった。



幕末の敗戦で極貧だった長岡藩に、救援の米百俵が届いた際、小林虎三郎は「米は食えばすぐ消えるが、教育に使えば百年の財産になる」と、それを売って学校を建てた。
この学校へは身分を問わず、学ぶことができ、生徒一人一人の才能をのばし、情操を高める教育がなされた。

山本五十六も輩出したその精神は、いまも地元の学校教育、さらには長岡という街の人材育成や未来づくりの中に、脈々と息づいている。


また、自然豊かな環境も相まって、奥様には何より魅力的に映ったのだろう。



その「人を育てる精神」は、街の日常にも溢れていた。



ある冬の仕事帰り。

日が暮れた猛吹雪の中、地元の高校生たちが大きな雪かき道具の「ママダンプ」を亀のように背負い、一列になって歩いていた。

部活動の一環として、連日一人暮らしの高齢者宅や歩道の雪かきをして回っていたのだ。

皆、楽しそうに雪をかいている姿にとても感動した。


ちなみに、湿った豪雪についてあまりよく理解していなかった私は、車に積もった雪を放置していたら、隣のおじさんが黙って雪下ろしをしてくれていた。

「湿った雪を放置するとタイヤがやられるぞ~」と笑うおじさん。

豪雪地帯だからこそ育まれる当たり前のような助け合いの心に、胸が熱くなった。



そんな助け合いの輪に私も参加しようと、社宅の雪下ろし(お礼金1万円!)に意気揚々と立候補したことがある。

しかし、返ってきたのはまさかの一言だった。

「あ、危ないから女性はダメね」

……見事な一蹴である。


豪雪地帯の優しさと「米百俵の精神」に深く感動していた私だったが、「女性はダメ」と一蹴され、一万円に目がくらんで食いつこうとした私の甘い考えと現実の雪壁だけは、どうしても崩せなかった。


「米百俵(こめひゃっぴょう)の精神」とは、幕末から明治初期に長岡藩の大参事だった小林虎三郎が唱えた、「教育による人材育成こそが国やまちを興す基本である」という教育第一主義の理念です。 

歴史的背景と故事北越戊辰戦争の敗戦: 長岡藩は戦争で焼け野原となり、人々はその日の食べ物にも困るほど極度に困窮していました。
三根山藩からの救援米: 見舞いとして支藩の三根山藩から百俵の米が贈られました。
小林虎三郎の英断: 藩士たちがその米をその日の配給として分けてほしいと願う中、虎三郎は「百俵の米は食べてしまえばすぐなくなるが、学校を建てて人を育てれば[百年先の財産(百年の大計)]になる」として、米を売却した資金で学校(国漢学校)を設立しました。

AIより

この「米百俵の精神」は長岡市のホームページにも記載されています。





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