見出し画像

文學に於ける近代のゲイ

1

ゲイ文學の研究はまだまだ途上ですが、ここでワイルドについて振り返って見ます。
Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde は、世紀末の退廃的藝術を象徴する作家で、1854年に愛蘭で生まれましたが、佛語で作品を書くことも多く、國際的に名声が有りました。だからこそ、41歳のとき、同性への猥褻の罪で投獄された折、黙認されて居た歐州の多數の同性愛者達を震撼させる亊件となったのです。
刑期を終えた4年後、見捨てられたまま46歳で病死します。〝De Profundis〟は、羅語で「深淵から」という意味で、ワイルドが獄中で記した書簡です。死後に、戀人だつたダグラス卿によつて發表され、その藝術論は今尚繰り返し讀み継がれて居ます。



2


明治の文壇と同時期に、英佛でもゲイと古典的な美少年の禮賛が見られたのは、興味深いこととして指摘されて居ます。
ワイルドの作品で美しく記憶される可きは『幸福な王子』でしょう。物言わぬ、他の葦と變わった所のない葦の女性と付き合っていた燕は、女性と心通わすことのないまま別れ、幸福な王子と稱ばれた銅像の足元を宿としました。王子は、自身の金箔などを貧しい者へ配るよう燕に要求し、遂に目に嵌め込まれた寶石まで配らせて、失明します。冬が近づいても、燕は王子のために周圍の容子を説明し、これまでの旅のことを語り、添い遂げました。「貴方の手にキスさせてください」と云うと、王子は「唇にして呉れ。お前を愛しているから」と返しました。
ですが、オスカー・ワイルドの投獄後、同性愛に對する破滅のイメェジが寓意的となり、17年後にトーマス・マンが『ヴェニスに死す』を上梓しています。ジッドやモームは、作品に殆ど同性愛の要素を用いず、表向き女性と結婚してさえ居りました。


3

ジッドの作品には明け透けなゲイが登場しません。ですがその作品は、女性を性的對象にできない者としての倫理に貫かれています。『背徳者』ではからだの弱い妻を置いて美しい若者と密猟等して遊ぶうち、妻が亡くなってしまうと云う痛切な物語が描かれ、これは自傳的内容であることが知られて居ます。
私は『狭き門』もゲイらしい作品だと捉えました。ヒロインの継母が戀夛き女性で、子ども達の前で愛人とべたべた絡み合うと云う、輕い性的虐待をしていました。主人公もまた、ヒロインの継母に、セーラー服の中に執拗に手を入れられる等されて居たのです。主人公は同じ加害者の爲に涙に暮れるヒロインを見て、一生守ると誓うものの、ヒロインのほうは虐待があったからこそ、女性は男性を惑わす邪魔者と考えて、結婚から逃げたまま結核で亡くなりました。主人公が、奔放な美女に触れられて喜ばなかったことは、ゲイにしか描けない反應です。亦、ヒロインの戀愛觀に「推しの視界に自分はいらない」と云う腐女子的姿勢を感じたのです。


4


波蘭貴族であるクロソウスキーは、コネでジッドの秘書だったことがあり、ゲイとしてどう生きるか學んだといいます。然しクロソウスキーは官能小説を映畵化するとき、妻を主演としており、明らかに女性が欲望の対象です。
『バフォメット』はゴシック小説で、主役の美少年が殆ど女性として描かれているので、実際ゲイ文學とは捉えられていません。
佛國の王族、貴族たちの金融を握りつつあった聖堂騎士團に、宰相が美少年を送り込み、小姓を抱いた事實を作って失脚させようと企みます。美少年は修道騎士たちを夢中にさせましたが、ハニートラップであることが露呈して吊るし首となりました。騎士長はかつて異端とされていた聖テレジアの霊を、美少年の遺體の肛門から吹き込み、両性具有のバフォメットとして甦らせました。
奇怪を窮める内容ですが、よく市町村の圖書館の佛文學の棚に並んでいます。


5

文學におけるゲイのなかで、その美貌が有名なのはアルチュール・ランボオです。ワイルド投獄の20年ほどまえのこと、17歳の時、当時既に文壇に認められていたポール・ヴェルレーヌに、パリ行きを希望しているという手紙を送り、才能を見出されると共に戀に落ちました。そのときヴェルレーヌは27歳で、妻子に暴行を繰り返しており、美少年ランボオを連れて、阿片に彩られた歐州旅行へ旅立ちました。然し、矢張りランボオとも日々毆り合いをし、諍いの末ランボオが出て行ったとき、妻に自殺を仄めかす手紙を出しましたが、無視されました。そして拳銃を持って再びランボオの前に現れ、1發がランボオの左手首に命中したのでした。直後ヴェルレーヌは己のこめかみを撃つようにランボオに懇願しましたが、通報されてしまいます。
写真の古書には、ランボオからヴェルレーヌに宛てた熱烈な手紙や、法廷での証言が収録されていました。



6


ワイルド逮捕後、同性愛が社會の奥底に丁寧に仕舞い込まれた時代でも、パリ丈は例外でした。佛國では既に同性愛は違法ではなく、ジャン・コクトオもまた、作品によくゲイを登場させているのでした。
1919年、30歳の時、16歳のレエモン・ラディゲに一目惚れし、片想いのまま、編輯者の樣に執筆を助けました。翌年、ラディゲは『肉體の惡魔』を發表し、その残酷なまでに冷たい観察で、瞬く間に世間に認められましたが、20歳の時、腸チフスでこの世を去ったのもまた、突然の出来事でした。
ラディゲの死はコクトオの生涯の深い裂け目となり、コクトオは阿片依存に陥りました。小説『怖るべき子供たち』を書き上げたのは、その療養中のことです。
ポールは体が弱く、子供の頃、片想いしていた同級生ダルジュロに雪玉を當てられ、通學できなくなり、ダルジュロもまた放校になりました。後にポールは、ダルジュロに瓜二つの美しい女性に出逢いましたが、結婚は叶わず、大人になったダルジュロから貰った阿片で、終に自害します。

いいなと思ったら応援しよう!