第三章 命の流れの中に
ホテルを出た瞬間から、
頭の中にある方のことがあった。
この日のお昼から参加するイベントの主催者。
美しい日本を守りたいという、
深く静かな想い。
ご英霊への、真摯な感謝。
そして——前世の記憶。
特攻隊として散っていった命を、
今もこの魂の中に抱えながら、
生きておられる方。
そのお会いする前に。
先に、ご英霊の方々へご挨拶したい。
長年お参りできていなかったことへの
後ろめたさが、
静かに浮かんできた。
このご縁をいただいたことへの感謝も込めて、
先にお参りさせていただこう。
そう、自然に思っていた。

だから——九段下で降りた。
改札を出た先で、
ふっと感じる
もっと早く
もっと早く
この場所へ
来るべきだったと
思いながら
出口の階段の前に立つ。
ここを上がれば、地上。
それだけのことなのに、
ほんのわずかな緊張が胸に浮かぶ。
本当に、たどり着けるのだろうか。
何に対してなのか分からないまま、
そんな感覚だけが残る。
一歩、踏み出す。
階段を上がる。
ひとつ、またひとつ。
足を進めるたびに、
外の光が近づいてくる。

地上に出た瞬間、
空気が変わった。
開かれた空へ。
視界が広がる。
案内板を確認し、
靖国神社の方向へ歩き出す。
道の脇に、綺麗な花が咲いていた。
整えられた花壇。
やわらかな色。

ほんの一瞬、足を止めそうになる。
けれど、そのまま通り過ぎる。
今は、先へ進むことの方が強かった。
歩く速度が、少しだけ上がる。
理由は分からない。
急いでいるわけでもないのに、
自然と歩幅が大きくなる。
気づけば、呼吸が少し速くなっていた。
それでも、足は止まらない。
この先に何があるのかは分からない。
けれど——
もう、引き返すという選択は、
どこにもなかった。
ずっと、来たいと思っていた。
それなのに、
理由をつけては先延ばしにして、
時だけが流れていった。
2026年4月20日。
念願叶い、
靖国神社へ参拝させていただいた。

九段下の駅から少し坂道を歩いていくと——
見えてきた。
大鳥居。
写真や映像で何度も目にしていた、
靖国神社の象徴。
やっと、来られた。
鳥居の前に立ち、
手を合わせ、一礼する。
参拝させていただきます。
心の中でご挨拶し、
鳥居をくぐった。
すっきりとした空間に、
広い空が広がっていた。
この神聖な空気を残したくて、
スマートフォンのカメラを空へ向けた。

太陽が眩しくて、
はっきり見えないままシャッターを切る。
もう一度。
今度は雲。
龍神様のような、鱗雲。
あらためてカメラを向けた瞬間——
全身が緊張した。
カメラの先に、

龍神様のお顔があった。
はっきりと分かる、大きな瞳。
すべてを見透かされているような——
身震いした。
いろいろな理由をつけて、
参拝できずにいたことを。
ごめんなさい、と。
しばらく、動けなかった。
空を見上げたまま、
ただ立ち尽くしていた。
その瞳が、
まだそこにあるような気がして。
やがて——
深く、頭を下げた。
涙が、静かに流れた。
謝罪でも、感謝でも、
どちらとも言えない感情が、
ただ溢れてくる。
やっと、来られた。
それだけで、よかった。
奥へ、奥へと進む。
都会の中なのに、静寂だった。
空気が澄んでいる。
人の気配が、
遠くなっていくような。
時間が、ゆっくりと流れている。

参道の両脇に、
大きな木々が続いている。
その木々の間から、
光が差し込んでくる。
神聖な光だった。
日常の光とは、
何かが違う。
一歩踏み出すたびに、
自分の中の何かが
静まっていくような感覚があった。
雑念が、
葉の間を抜ける風とともに
どこかへ消えていく。
日本を守ってくださった
ご英霊の方々の前へ。
お宮の前で荷物を置き、
気持ちを正す。
この場に立てたことへの感謝を胸に、
参拝を済ませた。
そのまま帰ろうとしたとき——

正式参拝の案内が目に留まった。
引き寄せられるように、
申し込んでいた。
時間も待たされることなく、
他の団体の方々とともに
お祓いをしていただき、
ご昇殿の中へ。
神主様が現れた。
祝詞が始まった瞬間——
空気が変わった。
張り詰めるのではない。
ただ、清まっていく。
古い言葉が、
空間そのものに染み込んでいくような。
私の身体の中にも、
その振動が静かに入ってくるような
感覚があった。
玉串を受け取る。
両手に、その重さを感じる。
軽いはずなのに——
なぜか、重く感じた。
この手に、何を乗せているのだろう。
感謝か。
懺悔か。
誓いか。
奉納する瞬間、
手が少し震えた。
こらえようとしたけれど、
こらえる必要はないと思った。
この場所に眠る方々が、
命をかけて守ろうとしたものの上に、
今の私は立っている。
それを、初めて身体で理解した。
頭ではなく——
細胞で。
——今の私はこう思う。
あの日、靖国神社に引き寄せられたのは、
偶然ではなかった。
旅の前日、小網神社で
「書かせてください」と言った言葉。
その言葉を受け取った存在が、
翌朝、私の足を
九段下へ向けたのかもしれない。
命の流れの中に生かされていることを、
身体で知らなければ——
私の書く言葉には、
魂が宿らなかったから。
参拝を終えて外に出ると、

太陽が輝いていた。
爽やかな風が吹き、
桜が、まだ咲いていた。
いつかの桜を、
ご英霊達も見ていたのだろうか
そう思うと
やさしい気持ちになった。
この場所に立てたことが、
ただ、嬉しかった。
そのとき、初めて思い知らされた。
命の流れの中に、
私がいることを。
多くのご先祖様から受け継がれてきた
命の流れ。
その流れの中に、
愛がある。
愛があるからこそ、
私は今ここにいる。
至らない私の生き方を責めることもなく、
見守り、慈しみ、
待っていてくださった。
私は——
この場所に眠る方々に、
胸を張ってご挨拶に来られるよう、
魂が望む生き方を。
やりたいと思うことを成就させ、
もう一度、必ず参拝しますと——
お誓いし、空を見上げた。

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