🍒阿蘇山ふもとの妄想の駅
阿蘇下田城駅は、妻の準故郷にある駅だ。
福岡の炭住で生まれ育った妻は、年中喘息に苦しんだと言う。転地療養も兼ねてか、小さい頃は両親の故郷である南阿蘇で過ごすことが多かったらしい。
阿蘇下田城駅は、義父が生まれた家の近くにある、南阿蘇鉄道の駅である。
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阪神淡路大震災の翌年、私と妻は、8歳の息子と5歳の娘を連れて、車で南阿蘇へと向かった。
カルデラの西端、阿蘇大橋を渡れば外輪山の内側に入る。そこは阿蘇のパノラマが広がる大自然の中だった。
二泊三日の日程で、私たち家族は南阿蘇を満喫した。まずは、阿蘇下田城駅からのトロッコ列車の旅である。
終着駅の高森駅まで、阿蘇五岳の絶景パノラマと沿線の豊かな田園風景を背景に、列車はひた走る。ユーモアある車掌のガイドも魅力的だった。

続いて、西端の立野駅へと折り返す。高さ約60mの第一白川橋梁が圧巻だ。

トロッコ列車の他にも、見どころ満載だった。義父と妻の案内で、あちらこちらを観てまわる。
中岳火口も草千里も、至って近い場所だった。地獄谷温泉では、義父に怪しい谷へと導かれ、地面を掘って即席の露天風呂に入る。あちらこちらに、イオウの吹き出し口があり、どう見てもヤバイ場所に思えた。
俵山に行った。義父が大きな岩の後ろを指さして、ここで三歳の妻の用を足したと言ったら、妻は本気で怒り出した。
まあまあと宥めて、次の場所へ。春の阿蘇は、ワラビ採りのシーズンだと言う。外輪山まで移動して、妻達がワラビ採りをした場所を見る。夏のワラビは、葉を大きく広げていたけれど、私には、春の風景が容易に想像できた。

妻のルーツがある南阿蘇は、大自然そのものだった。そして、まさにのどかな観光地のど真ん中だった。あの日までは‥。
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2016年(平成28年)4月14日21時26分、最大震度7を観測する地震が熊本県を襲う。二日後にも同様の地震が続き、大きなダメージを与えた。


阿蘇大橋は、一人の学生の命を道連れに崩落した。
南阿蘇鉄道も大打撃を受ける。路線のみならず、橋梁やトンネル躯体までが損傷し、2023年7月の全線運転再開まで、復旧に7年3ヶ月を要したのである。
私達の知っている、阿蘇下田城駅はどうなったのか。
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全線復旧直後の11月、「ナニコレ珍百景」というバラエティ番組で、阿蘇下田城駅が取り上げられた。善良に解釈すれば、全線復旧し観光地として再び歩み出そうとする熊本の一集落を、メディアがサポートする番組だ。私は、食い入るように番組を観た。
《無人歓迎システム》
列車が到着すると、自動的にロボットが動き始め、ライトアップし、歓迎のメッセージが作動した。ロボットが置かれていたのは、駅舎内の思い出の場所だった。

《阿蘇カラクリ研究所(おみくじ小屋)》
駅舎の隣にあり、様々な種類のおみくじが1回100円で楽しめる無人施設である。非常に独創的でシュールな雰囲気と紹介された。

駅自体は無人である。様々な仕掛けが自動でおもてなしを行う。これが企画コンセプトなのだろうと思えた。
番組内では盛り上がったものの、残念ながら珍百景には選ばれなかった。しかし、番組で取り上げられた事で、かなりの集客は見込めるに違いない。
観光以外に資源の乏しい南阿蘇にとっては、みんなが必死なのだろう。何とかして、かつての賑わいを取り戻そうともがいているように思えた。
そうは思いつつも、私は哀しくてならなかった。
無人歓迎システムでロボットが動いていた場所は‥‥。あの場所は、確かに‥‥。
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1996年(平成8年)8月、私達家族は、駅にほど近い義父の生家で大歓迎を受けた。熊本の親族を皆集めたのではないかと思うような歓迎ぶりだった。
妻の従兄弟姉妹も大勢いた。地元で暮らす義父の兄夫婦の家に集まって、姪っ子が連れ帰った婿と、その子ども達を見たかったのだろう。
口の中で、トロッと蕩ける本場の馬刺しをド真ん中に据え、豪快なバーベキューの宴(うたげ)が始まる。
熊本の男性は酒豪だった。熊本の女性は、もっと酒豪だった。古来より娯楽の少ない土地柄で、こうなったんだと、皆が皆主張しながら(免罪しながら)酒をあおるように飲む。
午後9時近くになって、お開きが近づいた頃、妻の従兄(義父の兄の子)が、お風呂に行くことを勧めてくれた。
「駅の温泉行きんしゃい。10時まで開いとるばい。」
トロッコ列車に乗ったのは二日目のことで、この時点でまだ駅には行っていなかった。
「駅の温泉?」
酔いも回っていたのか、言っている意味が分からなかった。
《阿蘇下田城ふれあい温泉駅》
私達が訪れる三年前に、新駅舎となっていた。何と待合室から直接出入りできる温泉施設があり、乗車前後にひとっ風呂浴びる事ができるのだった。
新駅舎となった時、駅名も「阿蘇下田城ふれあい温泉駅」と改名している。昼は観光客が利用し、夜は地域住民のコミュニティの場となっていた。


実を言えば、私は温泉マニアである。
旅好きの妻と温泉好きの私を足し算すれば、自ずと行き先は絞られる。各地の温泉地を巡ることが、私達二人の楽しみとなった。
猫を飼っているため一泊二日を基本とするが、石川ー長野ー静岡を東の限界ラインと定めて、日本の西側各地の温泉地を数多く旅した。
私は、温泉はできれば「源泉掛け流し」をと願っている。相当の湯量がなければ、衛生面との両立が難しく、完全な源泉掛け流しは、今の日本では限りなく少ない。だから循環度の少ない温泉施設に出会うと、跳び上がりたくなるほど嬉しい。
駅舎内の温泉は、さらっとした肌触りのナトリウム・炭酸水素塩泉だった。「クレンジング効果」が高く、「美肌の湯」として好まれる泉質だ。
南阿蘇は、湧水地だらけである。二日目の午前中、トロッコ列車に乗る前に、妻の従兄は、城跡近くにある地元住民しか知らない湧水地を案内してくれた。そんな土地柄だから、温泉の湯量も豊富だった。
たっぷりのお湯が、これでもか、これでもかと掛け流されている。完全な源泉掛け流しではないものの、私には満足できる温泉となった。
「すごい所に、ルーツがあるんだねー。」
阿蘇下田城ふれあい温泉駅から戻る時、私は妻に言った。
妻は大学を卒業して、すぐに私と結婚した。まだ若さの残る妻は、エヘッと不二家のペコちゃんのように笑った。ちょうど30年前の話である。
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あれから30年の間に、色々な出来事が社会にも、私の身の回りにも起こった。
熊本地震により、温泉施設は壊滅的な被害を受け、閉鎖を余儀なくされた。やっと全線開通したものの、大きな観光ホテルが無くなって、今苦しい状況にある。
義父の兄夫婦は既に高齢であったため、この期間に亡くなった。秘密の湧水地を案内してくれた妻の従兄は急な病に倒れ、21世紀を見ることなく義父の兄夫婦よりも早く他界した。東京育ちの従兄の妻は、二人の子どもを連れて、住み慣れた東京に戻っている。
大勢でバーベキューをしたあの家は、あれこれあったが、今は空き家となっているのだ。
妻の父と母もまたこの期間に亡くなった。
そして、2015年(平成27年)11月、温泉からの帰りにペコちゃんのように笑った妻もまた、病気のためにこの世を去った。
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阿蘇下田城ふれあい温泉駅‥‥。
熊本地震の後、「ふれあい温泉」の名がとれて、元の「阿蘇下田城駅」と改められている。温泉は閉鎖されたのだ。
今日も、トロッコ列車は離発着したのだろうか?
温泉施設のあった部屋に造られた無人歓迎システムのロボットは、愛想を振りまけたのだろうか?
おみくじ小屋には、今日何人訪れたのだろうか?
私には、あの駅でのあのひと時が、どうしても現実にあったことだとは思えない。
妻が亡くなって十年が経つ。私の様々な力は衰えるばかりだ。物を噛む力、視力、筋力、体力、気力、判断力等々。しかし、一つだけ、大きくなった力がある。妄想する力である。朝、早めに目が覚めた時など、色々な「もし」をつけて、時を錯綜させながら妄想タイムが始まる。
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ある年の夏の夕刻、阿蘇の山に陽が沈む頃、懐かしいトロッコ列車から私は阿蘇下田城駅に降り立つ。無人歓迎システムが作動し、ライトアップしたロボットが自動的に動き始め、「歓」の字と「迎」の字を両手に、バンザイを繰り返す。降りた乗客は、私一人。
無人改札を抜けて、駅の隣りのおみくじ小屋を覗いてみる。コンテナ型の小屋の中には、怪しいおみくじ機が何種類も置いてある。白塗りしたマネキン顔は、左右に分かれる仕組み。ローマの「真実の口」を思わせる彫刻も、おみくじ機の顔の一つだ。片目が赤く光る仏像の頭部もある。怪しい音や怪しい案内音がコンテナ内を響き渡る。
一番まともそうな、モニター型のおみくじ機に百円玉を入れれば、モニターに阿蘇のカルデラが写し出され、続いてアニメの牛が、「もーっ!」と鳴いて登場する。突撃ラッパが鳴り響き、おみくじ機が動き始める。昔あったパチンコ台のような玉受け器に、赤い板ガム状のおみくじが、吐き出されるように出てきた。
「大、大、大、大、大〜吉!願いは何でも叶うなりー!」
ロボット音声が、小屋内に響き渡る。
おみくじ小屋から外に出てみれば、あたりはもう暗闇に包まれている。いつの間にか、駅は川霧が覆っていた。
しかし、目をよーく凝らして見てみれば、それは川霧ではなく湯煙だった。
もう一度、駅の正面に戻ってみると、いつの間にか駅名が替わっていた。
阿蘇下田城ふれあい温泉駅。
懐かしい駅名である。あの部屋は一体どうなっているのか。改札口の右手にあるドアを開けてみる。
無人歓迎システムの機械類やロボットは消え、湯煙の向こうに、四角い湯船が見えた。そして、微かに人の姿。子どもだ。
じっと見つめる。それは、8歳の息子だった。湯船をプール代わりに遊んでいる。
私は小銭400円を取り出して、無人の料金箱に入れ、脱衣場で支度をする。湯船に入れば、そこは紛れもなく、ナトリウム・炭酸水素塩泉だった。さらりとしたこの感覚。入浴しているのは、私たち親子二人だけだ。
たっぷり温泉浴を楽しんで、息子と二人、駅舎の外へ出る。そこには、後ろ姿の女性が立っていた。右手に洗面用具セット。左手には、幼い女の子の手が握られている。
女の子が振り返る。それは、5歳の娘だ。続いて女性が振り返る‥。
私は、声を掛けようとするが、どうしても声が出せない。すると、女性はペロッと舌を出して、ペコちゃんのように微笑んだ。三十年前の妻だった。
