スタンダール『赤と黒』──“赤と黒”という象徴は何を示すのか(第3回)
王政復古期フランスの貴族社会は、
“上品さの仮面”によって階級秩序を保ちながら、
情熱や野心を持つ若者のエネルギーを静かに封じ込めていた。
スタンダール『赤と黒』のタイトルが象徴する
「赤=英雄的情熱」「黒=閉塞した秩序」 は、
まさにこの時代の精神の対立を色分けしたものである。
第3回となる今回は、
ジュリアンが初めて触れた貴族社会の魅力と幻滅をたどりながら、
“赤と黒”という象徴が何を意味しているのか を読み解いていく。
スタンダール自身は
裕福なブルジョワの子弟でありながら、
“英雄的情熱”を何よりも尊んだ人物だった。
彼にとってブルジョワの情熱は
損得勘定にまみれた“みみっちい”ものであり、
高潔さへの感受性はむしろ貴族の側に残っていると考えていた。
この作者自身の階級観は、
ジュリアンが貴族社会に抱く憧れと幻滅の両方を理解する鍵になる。
→『赤と黒』第2回はこちら
1.ジュリアンの貴族に対する初めての印象
田舎町ヴェリエールの町長であるレナール氏の邸宅で、
幼い子供たちの家庭教師をしていたジュリアンが、
初めて目の当たりにした貴族は、「アグドの司教」だった。
「あんなに若くって、せいぜいおれより六つか七つ上だけなのに!……」
と、二十歳のジュリアンは衝撃を受ける。
ラ・モール侯爵の親戚筋の「アグドの司教」は、
出世をしているだけでなく、洗練された物腰で、
ジュリアンにも愛想よく接し、丁寧な言葉づかいで話しかけてくれる。
ヴェリエールのブルジョワたちが、
町の司祭シェラン師の手伝いをしているジュリアンに対して、
「坊主に化けた職人のせがれ(ジュリアンのそれほど裕福でもない父は、製板業を営んでいる)風情」といつも見下した態度で接してくるのとは大違いであった。
上品な「アグドの司祭」は、
国王がヴェリエールにある「古い修道院」の「聖クレマンの有名な遺骨に参拝」しにやって来る、
というイベントをソツ無くこなす。
ジュリアンは司祭に対して
「賢く」て「温和」で「いんぎん」な人物、
という印象を持つのであった。
「司教の年の若さをみてめざめた野心、
その人の感じのこまやかさ、気持ちのいい上品さ、
そういうものが彼の心をすっかりかき乱していた。
こういう上品さはレナール氏などのものとは――彼のいちばん機嫌のいい日でも――てんで別物だった。
『最上流の社会へ近づくほど、ああいう感じの良い態度に接する機会が多くなるわけだ』とジュリアンは思った」。

2.ジュリアンが仕えるラ・モール侯爵
その後、神学校へ入学したジュリアンは、
校長のピラール師に才幹を認められ、
国王の側近の一人であるラ・モール侯爵の秘書に推薦される。
「一時間たってやって来た、侯爵は写しを調べてみると、
ジュリアンがcela(それ)と書くべきところを、lを二つにしてcellaと書いているのであきれてしまった(ジュリアンは、学問語であるラテン語の読み書きや古典に精通していたが、フランス語の綴りには、ぞんざいなところがあった)」。
「侯爵はがっかりしたが、それでもやさしく聞いてみた。
「君は字の綴りはあまり確かじゃなさそうですね」
「ええそうです」と、
これはまた自分がどんなに不利益なことをいっているのか、
そんなことは少しも考えないで、ジュリアンは答えた。
彼は、侯爵にこんなにやさしくいわれたので、
レナール氏のえらそうな口のききかたも思いあわされて、
うっとりしていたのだ」。
と、いうように、侯爵は威厳はあっても物言いは穏やかである。
ジュリアンは、総じてブルジョワたちに対してよりも、貴族たちに対して良い印象を持つようになった。
前述のような出来事の他にも様々な失敗はあったが、
学習能力の高いジュリアンは、
早々に秘書として有能に仕事をこなせるようになり、
ラ・モール侯爵の地所の管理に欠かせない存在となっていく。
そして、社交界の観察をつづけているうちに、
「がさつ」さが消え、物腰も洗練され、
機知にとんだ会話も難なくこなすようになった。
本来「目先のよくきく活動家で、ひとにいいつけたりするより自分でやってのけるほうが好きな」侯爵ではあるが、しばらくたつとジュリアンにほとんどの仕事を任せるようになるのである。

3.ジュリアンの貴族に対する幻滅
そうなるうちに、ジュリアンは
社交界に集う貴族たちに退屈するようになった。
要するに、“愛想がいいだけの、上っ面だけの世界”なのである。
これは、王政復古期の貴族社会に対する
スタンダールの見解が反映されている。
スタンダールにとっては、
18世紀(フランス革命前夜)の貴族の社交界は、それなりに素晴らしかった。
貴族たちは芸術のパトロンであるだけでなく、
「ヴォルテール(1694~1778)」や「ルソー(1712~1778)」などの啓蒙思想家(理性的に考えることによって社会を変革させ、人類に幸福をもたらすことをめざす思想家たち)を自らのサロンに招き、
その作品を読んで批評し、
王政に対する痛烈な批判も時には辞さなかったのである。
しかし、王政復古期(1814~1830)の貴族たちは(18世紀に、思想的に冒険しすぎた反省から)政治的な話題は避け、
都会風な優雅さを示すことと
家柄自慢に汲々とするようになっていた。
貴族の若者たちは、
社交界で自分が「笑いの種(馬鹿にされる対象)」になることを何よりも恐れ、貴族らしい振る舞いのパターンに沿った行動しかとろうとしなかったのである。
4.エネルギーがふさがれた閉塞感のある時代
情熱とエネルギーを何よりも重んじるスタンダールにとっては、
この点にこそ、貴族の堕落がある。
貴族たちは、
「高潔さ」を(ブルジョワよりも)理解できるし、
貴族らしい振る舞いのパターンに沿っていれば、そのような行動もとれるだろう。
しかし、ナポレオンのような「英雄」や壮大な構想を持つ独創的な天才は、もう表舞台には出てこない。
なぜなら、この時代(王政復古期)は、
エネルギーを野心によって発散するような「英雄(やそれに準ずるジュリアンのような人間)」には生きづらい世の中だからだ。
→階級と制度が共同体をどう形づくるのか── その政治的メカニズムについては、『ローマ人盛衰原因論』第3回で扱っています。

“フランスに栄光をもたらした英雄”としてナポレオンのことを懐かしむようになった
本書(岩波文庫『赤と黒(上)(下)』)の解説で、
『赤と黒』のタイトルについて述べられている。
「いずれにせよ、
赤を大革命(1974年のフランス革命)後の共和政府から(ナポレオンの)帝政時代へかけての英雄的精神の横溢した活気のある時期のシンボルと見、
黒は僧侶や陰謀がはばをきかした王政復古の陰鬱な時期のシンボルと見て
対立する二つの精神や時代を色わけしている
と感じればいいのではなかろうか」。
次回は、社交界の女王的存在であるマチルドとジュリアンとの恋愛と、
ジュリアンの挫折について語りたい。
→ 第4回では、ジュリアンの運命が大きく揺らぐ局面を追います。
スタンダール『赤と黒』を、ジュリアンソレルの青年像・階級社会・
1830年代フランスの歴史的文脈から多角的に読み解くマガジンです。
