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『後宮小説』──架空王国の制度が生んだ少女たちの物語


※本稿では、『後宮小説』が
どのように“制度”と“偽史”を使って世界観を立ち上げているかを、考察しています。


『後宮小説』

 酒見賢一 著
 新潮文庫 

酒見賢一『後宮小説』は、
架空の王国「素乾国」を舞台に、
少女たちの軽やかな物語と、
後宮という制度が運命を左右する 独特のリアリティを併せ持つ作品である。

魔法も異能も登場しないにもかかわらず、
世界がここまで豊かに立ち上がるのはなぜなのか。

その理由は、
作者が物語世界を徹底して“偽史”として構築している点にある。

偽史の技法は、
ファンタジー世界を“実在したかのように”見せる最も強力な方法だ。

『後宮小説』では、
①複数の史書の存在
②異なる立場の語り手
③文化混合
という三つの仕掛けが、世界に厚みを与えている。


たとえば物語冒頭に置かれた
「素乾書」「乾史」「素乾通鑑」という三つの史書は、
正史と通史という異なる視点を提示し、
“歴史には複数の語りがある”という
現実世界の構造
をそのまま持ち込んでいる。

さらに、素乾国の風俗は
王朝時代の中国風文化と西域文化が入り混じって描かれる。

文化が混ざり合うと、
そこには必ず“過去の交流や衝突の痕跡”が生まれる。

読者はその背後にある歴史を無意識に想像し、
架空の王国に“時間の層”が積み重なっているように感じるのだ。


高校生の頃の私は、
「現代の暦でみれば一六〇七年のこと」という妙にリアルな年代設定と、
この文化混合の描写にすっかり魅了され、
素乾国が本当にオルドス地方あたりに存在したのでは──
と 本気で想像してしまったほどである。


こうした偽史の積み重ねに、
筆者の考察や民間伝承が重ねられ、
物語は“17世紀に実在した王国の歴史”を読むかのような
圧倒的なリアリティを帯びていく。


つまり『後宮小説』は、
よく出来た偽史がそのままファンタジーになり得ること、
そしてファンタジーとは魔法がなくても成立する“想像の文学”であること
を教えてくれた作品なのである。


「素乾国」の風俗は、王朝時代の中国と西域の要素が入り混じっている




1.『後宮物語』のあらすじ


 物語は、「素乾国」の「皇帝」の急逝により、
新たな「皇帝」が即位することになったところから始まる。

弱冠十七歳の新帝のための新たな「後宮」を整えるために、
全国で「宮女募集」が行われる。

片田舎に住む十三歳の少女、銀河は
「宮女になると、いい暮らしができるって本当かなあ」
という好奇心で入宮する。

野心はないが行動力があって、さっぱりとした性格の銀河は、
「後宮」の「女大学」の寮で同室になった少女たちと親しくなる。

一人はクールビューティな江葉(コウヨウ 優秀な頭脳の持ち主だが、超マイペースな性格)であり、
もう一人はお洒落な世沙明(セシャーミン 気位の高いお嬢様だが、どこか抜けたところがあり憎めない性格)である。

そして、
「(銀河は)大学での奇抜な講義を修めるや、みごとに正妃の座を射止めた。
ところが折悪しく、反乱軍の蜂起が勃発し、
銀河は後宮軍隊を組織して反乱軍に立ち向かうはめに……。
さて、銀河の運命やいかに」というものだ。
 

2.小説とアニメーション作品との違い


この小説の細部を大胆にカットし、
主要登場人物のうちの二人の性格を変更したアニメーション作品がある。


『雲のように風のように』というタイトルで、1990年にテレビ放映された。

アニメ版『雲のように風のように』(1990)より


タイトル通り、爽やかでありながら哀愁のこもった作品に仕上がっている。

悲劇的な要素は
新帝双槐樹(コリューン 聡明であるが、後宮内の陰謀に足を引っ張られ、国政に関与しづらくなっている)が背負いつつも、
銀河や他の登場人物たちは基本的にコミカルな雰囲気で描かれていて、
物語はテンポよく進んでいく。


多分、メディア化された酒見作品のなかで、最も成功したものだろう。
 
このように二作品を比べてみると、
アニメーションの特性と小説の特性の違いが現れる。


酒見氏の小説は、『後宮小説』というタイトルの通り「素乾国」の「後宮」という特異なシステム自体が物語の核となっている。

「素乾国」の「後宮」にある「女大学」の歴史の説明は、
ドラマチックなものではない。

小説で読むぶんには(歴史書を読んでいるようで)面白いのだが、
アニメーションでは回りくどく感じさせてしまい、
ストーリーがダレる、とアニメーションの製作者たちは考えたのかもしれない。

小説は“説明の快楽”が許されるが、アニメは“テンポの快楽”が優先される

実際のところ、
“王朝時代の中国風な宮廷”というテンプレートがあれば、
“宮廷の陰謀”や“大奥的な華やかさと残酷さ”などのイメージが
観客達の間にすでに出来上がっているので、
「後宮」についての細かい説明は不要でストーリーをサクサクと進めることが出来るのだ。


3.小説世界の魅力

 
とはいえ、『後宮小説』というタイトル通り、
この小説の魅力は「素乾国」という架空の王国に花開いた衒学的なムードを持つ「女大学」を擁する「後宮」にある。

まるで小説『薔薇の名前』の架空の修道院が、
内実的な道徳観念がいびつになりつつも、
なお“知の殿堂”としての魅力を放っていたように、
「素乾国」の「後宮」もいびつな道徳観念がはびこっているなかに、
哲学・栄養学・医術・生理学などの知識が輝いているのである。
 

4.「後宮」システム自体も、この小説のもう一つの主役


『後宮小説』は、銀河という痛快なヒロインの物語であるが、
もう一方で「素乾国」の「後宮」システムを悪用し、
己の野心を満たそうとする菊凶という陰の主役がいる。

菊凶(「女大学」の教師の一人。頭脳は優秀だが、野心と我欲しかない。容貌が良く、恋愛感情を操るのに長けている)と
その愛人の琴皇后(先帝の后。槐双樹には異母にあたる)が
「後宮」の醜悪さを体現している。


そして、「後宮」で育ち、自らの欲望を満たすことしか考えない玉遥樹(タミューン 槐双樹の姉で自らの欲望のためには手段を選ばない性格)を見れば、彼らを止めることができない「素乾国」の「後宮」の歪みが明らかになるのである。

  
『後宮小説』の登場人物たちは、
単なるキャラクターではなく、
後宮という制度の“構造的役割”を体現している。

  • 銀河=“軽さ”の主人公(制度の重さを相対化する存在)

  • 江葉=“知性の影”(制度の中で静かに機能する理性)

  • 世沙明=“華やかさの緩衝材”(制度の緊張を和らげる役割)

  • 槐双樹=“悲劇の象徴” (制度に妨害され、阻まれる存在)

  • 菊凶=“制度の歪みを体現する敵”(制度の腐敗を象徴)

  • 琴皇后=“旧体制の象徴”(制度の硬直化を示す存在)

  • 玉遥樹=“制度の犠牲者”(制度が生む悲劇の結晶)

このキャラ配置そのものが、
後宮という制度の“光・影・悲劇・歪み”を可視化している。

制度がキャラクターの運命を方向づけ、
キャラクターが制度の本質を照らし返す──
その相互作用こそが『後宮小説』の物語を動かしている。

表向きは華やかでも、裏では……というのは、「後宮」もののお約束でもある

そもそも「素乾国」の「後宮」は、皇帝=国家そのもの、という考え方で成立している。

「後宮」は
①皇帝の家庭生活の充実、の場であり、
②次世代の皇帝への継承、という役割を果たす組織である。

そのために、国中のあらゆる地方・あらゆる階級から優れた女性を選ぶ(だから、それなりに高度な教育が必要である。とはいえ、実際のところは皇帝の好みの問題)、のである。

 
このような「後宮」のあり方は、別段珍しいものではないかもしれないが、「素乾国」なりの特殊事情がある。

それは、このような考え方を徹底できるくらいの規模の国家である、というところなのだ。

大きければ、上流階級に所属する人数や団体が多すぎて「後宮」がそこまでの影響力を持つのは難しく、
小さければ「後宮」を成立させるのにそこまでエネルギーをかけるほどの余裕がない。

「素乾国」は、皇帝(とその背後の「後宮」)=国家そのもの、
という考え方が徹底できるくらいの、そこそこの規模の国だった。

そして、愚帝であれば「後宮」をきちんと管理をするのが難しい。

槐双樹の父帝は暗愚であった。

菊凶のような人間が一人いれば、
「後宮」がいとも容易く腐敗するくらいに……。


5.そして、時間もこの小説の主役である


と、いう架空の王国の物語は、
作者があくまでも“史実”として描いているから殊更に余韻がある。

この物語のさらなる主役は時間なのである。

抗いがたい時の流れ、皇帝一家と「素乾国」の「消滅」、世代交代……。

この小説のなかにある“切なさ”は、
“これは、歴史物語である”という作者の仕掛けがあってこそ、
醸し出されるのである。
 


文中アニメ画像 『雲のように風のように』Blu-ray ジャケットより ©VAP



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架空王国の制度が個人の運命を左右する──
このテーマは、スタンダールの『赤と黒』にも通じる。

王政復古期フランスの階級社会の中で、
野心と情熱を抱えた青年ジュリアンが
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