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渇きの果てに…禁断のコンダクター   第23話

 
鹿児島を発つ時間になった。
 
 
「空港まで送りましょうか?」
 
 
アダムスの申し出に、まゆは首を振った。
 

「ううん。大丈夫」
 
 

このホテルには彼の知り合いも多い。
 
一緒に出るわけにはいかなかった。
 
 
アダムスは何か言いかけたが、結局その言葉を飲み込み、
 
「気をつけて」
 
とだけ言った。
 
 
静かに閉まるドア。
 
その音が思った以上に大きく胸に響く。
 
 
部屋に一人残されたまゆは、しばらく動けなかった。
 
窓の外には青空が広がり、雲がゆっくりと流れている。
 
 
ほんの少し前まで、この部屋には確かな熱があった。
 
けれど今は、不思議なくらい静かだった。
 
 

前回、大阪での逢瀬のあとに感じた胸の奥の空白。
 
あの時に比べれば、今の空白はずっと小さい。
 

確かに何かが埋まった。
 
けれど、完全に満たされたわけではなかった。
 
 

まゆは自分の手をじっと見つめる。
 

今回は、自分の意思でここまで来た。
 
自分から会いたいと言った。
 
自分から求めたいことを口にした。
 
前回の自分とは明らかに違った。
 
それなのに、まだ何かが足りない。
 
その正体がわからなかった。
 
 
 
空港へ向かうバスの窓から、桜島が見えた。
 
雄大で揺るがない姿。
 
 
まゆはぼんやり眺めながら、アダムスの最後の表情を思い出していた。
 
「さっきは‥‥‥ごめんなさい」
 
そう口にした時の彼は、いつもの余裕ある男ではなかった。
 
迷い、戸惑い、自分自身を責めているように見えた。
 
 
今まで彼は、何でも悟っている人のように思えていた。
 
女性を導き、安心させ、満たす男。
 
 
けれど、今回は違った。
 
彼もまた迷い、間違い、欲望に揺れる。
 
完璧ではなかった。
 
そう気づいた瞬間、アダムスという存在が少しだけ近くなった気がした。
 
 
 
飛行機が離陸する。
 
雲を突き抜けると、窓の外は真っ白な世界に変わった。
 
 
まゆはシートに身を預け、静かに目を閉じる。
 

今日、自分は何を求めていたのだろう。
 
女として見られたかったのか?
 
求められたかったのか?
 

妻として生き、工場で働き、家事をこなし、誰かのために動く毎日。
 
その中で、自分が「女」であることを忘れかけていた。
 
だから、自分を取り戻したかった。
 
 
けれど、それだけではない。
 

…ふと、今日の自分を思い出す。
 
 
欲望に燃え取り乱した姿。
 
涙を浮かべた顔。
 
乱れた髪。
 
必死になっていた自分。
 
 
格好悪かった。
 
きっと美しくなんてなかった。
 
夫にも見せたことがないような淫らな姿だった。
 
 
理性を失い、
 
本能を剥き出しにし、
 
恥も外聞もない。
 
ただ、自分の気持ちを隠せなくなった女。
 
 
そんな姿をアダムスに見られた。
 
それでも彼は拒絶しなかった。
 
むしろ、そのまま受け止めようとしてくれた。
 
 
まゆはゆっくり息を吐いた。
 
もしかしたら、自分が本当に求めていたのは、求めることでも求められることでもなかったのかもしれない。
 

弱くてもいい居場所。
 
格好悪くてもいい居場所。
 
取り繕わなくてもいい居場所。
 
そんな居場所を求めていたのではないだろうか。
 
 
その考えが浮かんだ瞬間、心が少し軽くなった。
 
 
 

大阪へ到着する。
 
空港の雑踏、流れるアナウンス。
 

現実がゆっくり戻ってくる。
 
 
電車に乗り換え、見慣れた景色を眺める。
 
工場地帯。
 
住宅街。
 
大型スーパー。
 
いつもの風景。
 
 
鹿児島で過ごした時間が夢のように遠ざかっていく。
 
それでも、胸の中に、まだ言葉にならない何かが残っている。
 
 
スマホを見る。
 
アダムスからメッセージが届いていた。
 
《無事に大阪に着きましたか?》
 
 
まゆはしばらく画面を見つめ、
 
《無事です》
 
と返信する。
 
 
少し迷ってから、
 
《今日はありがとう》
 
と付け加えた。
 
 
すぐに返事が届く。
 
《こちらこそ》
 
そして続けて、
 
《今日は、新しいまゆさんに出会えて嬉しかったです》
 
その言葉を見た瞬間、心の奥に温かいものがこみ上げてきた。
 
 
ありのままの自分をだせた。
 
そして受け止められた。
 
彼は身体だけではなく、その奥にいる自分を見ようとしてくれた。
 
 
最寄り駅に着く。
 
改札を抜け、夕方の風を受けながら歩く。
 
見慣れたマンションが見えた。
 
 
足が少しだけ重くなる。
 
もう健一は帰っているだろうか。
 

どんな顔で
 
「ただいま」
 
と言えばいいのだろう。
 

罪悪感がじんわり疼く。
 
 
それでも、一つだけ確かなことがあった。
 
今日、鹿児島へ向かった私は、もう以前と同じ私ではない。
 

マンションのエントランスへ足を踏み入れた瞬間、まゆはふっと息を吸った。


 
 


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