「生きがい」の前に「死にがい」があった ―意味の座標軸をめぐる小さな考察
ダイヤモンド・オンラインに掲載されたパンス氏の記事「山本五十六の『今どきの若い者は…』が誤解される理由」(2026年7月23日)を読んで、しばらく頭から離れないテーマに出会った。「生きがい」と「死にがい」という、対になる二つの言葉だ。
「死にがい」という補助線
記事によれば、太平洋戦争開戦直後、連合艦隊司令長官だった山本五十六は「今どきの若い者は、などと口はばたきことは申すまじ」という言葉を知人への手紙に書き残している。現在この言葉は、寛容な年長者を称える名言としてット上で流通しているが、記事はその解釈に待ったをかける。当時は総力戦体制のただ中であり、「若者が国のために命を懸けて戦うのだから、彼らを軽んじている場合ではない」という文脈で読むべきだというのだ。つまりこの言葉は、若者への信頼というより、若者が担っていた「死」の重みへの敬意だった。
この読み解きの土台になっているのが、社会学者・井上俊が1973年に発表した『死にがいの喪失』という論考だ。井上は、太平洋戦争の時代には「死ぬことに価値を見出す感覚」が社会全体に広く行き渡っていたが、戦後になるとその感覚、「死にがい」、は急速に姿を消し、代わって「生きがい」を追い求める若者たちが時代の主役になっていった、と論じている。「生きがいがある」若者も「生きがいがない」と嘆く若者も、実はどちらも同じ土俵、「生きがい」という戦後的な座標軸の上に立っている、というのが井上の慧眼だ。
well-being研究との奇妙な符合
この構図は、幸福研究の世界で語られる区分と驚くほど重なる。心理学者マーティン・セリグマンが提唱したPERMAモデルでは、「意味(Meaning)」は「前向きな感情(Positive emotion)」とは独立した、well-beingの別の柱として扱われる。古代ギリシャ以来の区分で言えば、快楽的幸福(hedonia)と意味的充足(eudaimonia)は昔から別物とされてきた。
井上の議論をこの枠に重ねると、「死にがい」は極端な形のeudaimoniaだったと言える。自分の生を超えた何か、国家や大義、共同体に自らを差し出すことで意味を得る形だ。一方、戦後の「生きがい」は、意味の調達先を個人の内面(自己実現、自分らしさ)へと移した形といえる。歴史的に見ると、日本社会は意味の調達先を、集団的・超越的なものから個人的・内在的なものへと、強制的に切り替えさせられたのではないか。
フランクルという補助線
強制収容所での体験を綴った精神科医ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』(原題 Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager, 1946年。日本語版はみすず書房刊、霜山徳爾訳/池田香代子訳)は、極限状況下でこそ人は必死に意味を探し求めるという臨床的知見を残した一冊として知られる。
フランクルの視点が「個人が内側から意味を見出す」プロセスを描いたのに対し、井上が描いた「死にがい」の時代は、社会全体が死という有限性を前提に、意味の枠組みをあらかじめ共有していた時代だった。個人が一人で意味を探す社会と、社会そのものが意味の座標軸を用意してくれる社会とでは、well-beingの得やすさがまるで違う。後者はある意味で「楽」だったのかもしれない。前者しかない現代の私たちは、有限性も座標軸も、自分でゼロから作らなければならない。
明るさは悲しみの裏返しだった
小津安二郎の映画『秋刀魚の味』(1962年)には、かつての軍隊仲間がバーで再会し、昔を懐かしむ場面がある。あの場面を見たとき、ふと気づいたことがある。戦争を経験した世代が、戦後あれほど明るく、猛烈に高度経済成長を駆け抜けていったのは、単に前向きだったからではないのではないか。むしろ深い悲しみや喪失を抱えていたからこそ、明るく振る舞う以外に生きる術がなかった、ということだ。
「死にがい」を知る世代にとって、戦後の「生きがい」の時代は、失われた仲間や、共有していた意味の枠組みそのものへの喪の作業でもあったのかもしれない。猛烈に働き、豊かさを追い求めるエネルギーの奥には、悲しみを直視しないための明るさがあった。井上俊が「死にがいの喪失」と呼んだ現象は、単なる価値観の切り替えではなく、喪失を悲しみ切れないまま次の意味へと飛び移った、ある種の集合的な適応だったと見ることもできる。
そして、死が隣り合わせにない今の時代を生きる私たちは、ある思い込みを持っているのではないか。人は両親を失って初めて本当の意味で自立する、という思い込みだ。しかしそれは違うのかもしれない。自立とは、誰かの死という外からの喪失によって強制的に訪れるものではなく、自分の中に意味の座標軸を自分の手で立て直す作業そのものではないか。「死にがい」を持たない私たちにとっての自立とは、悲しみを避けて明るく振る舞うことでも、誰かの死を待つことでもなく、有限性を自分で引き受け、意味を自分で作り続ける、地味だが継続的な営みなのかもしれない。
「生きがい迷子」への処方箋
これは、今の「生きがい迷子」―やることも欲しいものも一通り揃っているのに、何のために生きているのかわからないという感覚―の説明にもなる。かつて有限性を外から与えてくれていた存在(戦争、強い共同体規範)が消えたとき、人は意味の自作を強いられる。それは自由であると同時に、相応の心理的コストを伴う営みだ。
組織やチームの「働きがい」施策も、実はこの構造と無縁ではない。理念やパーパスを掲げることは、個人に委ねられた意味の自作を、組織側がいくらか肩代わりしようとする試みだと捉え直せる。ただし歴史が教えるのは、個人の意味を集団の目的に完全に従属させてしまうことの危うさだ。「生きがいを与える組織」ではなく「意味を自作する力を支援する組織」というくらいの距離感が、ちょうどいいのかもしれない。
参考:パンス「山本五十六の『今どきの若い者は…』が誤解される理由」ダイヤモンド・オンライン、2026年7月23日/井上俊『死にがいの喪失』1973年/V・E・フランクル『夜と霧』みすず書房/M・セリグマン PERMAモデル(Flourish, 2011)
