多言語観察|誰のための、「ごめんなさい」? / Multilingual Observation|Who Is “Sorry” For?
【あいさつの言葉 4】
「ごめんなさい」は、関係を壊さないための言葉だと思われている。
謝ることで、場を整え、相手の気持ちをなだめ、次へ進むための一歩をつくる。
けれど、この言葉を口にするとき、私たちは本当に「相手」に向かって謝っているのだろうか。
空気のため。
場を収めるため。
自分がこれ以上居心地の悪い思いをしないため。
「ごめんなさい」は、ときに相手ではなく、場や自分自身に向けて発せられる言葉になる。
言語によって、謝罪が向かう先は大きく違う。
相手なのか、関係なのか、規範なのか、ー それとも、自分なのか。
この回では、「ごめんなさい」は誰のための言葉なのかを、いくつかの言語から見ていこう。
日本語:ごめんなさい
「ごめんなさい」は、相手に向けた謝罪であると同時に、場を整えるための言葉でもある。
相手が誰であるかよりも、その場が穏やかに収まることが優先されやすい。
だから謝罪は、相手その人というより、空気や関係全体に向けて投げられることが多い。
「悪かった」という事実より、「これ以上波風を立てない」ことが重視される。
ごめんなさいは、謝る言葉でありながら、距離を曖昧に保つ装置でもある。
英語: I’m sorry
"I’m sorry" は、とても主語のはっきりした言葉だ。
「私は、申し訳なく思っている」
その感情や責任の所在が、まず話し手に置かれる。
謝罪は、相手とのあいだで起きた出来事を一度、言葉として正面から受け止める行為になる。そのため、誰に対しての謝罪なのかが明確だ。
関係を修復する力も強いが、同時に、謝る側が自分の立場をはっきり引き受ける言葉でもある。
中国語:对不起 (duìbuqǐ)
"对不起" は直訳すると「あなたに対して立ち上がれない」。
謝罪は、相手とのあいだに生じた不均衡を認める行為として表現される。
誰が悪いかよりも、関係の中で自分が劣位に立っていることを示す響きが強い。そのため、謝罪は社会的な位置の調整とも結びつきやすい。
相手に対して頭を下げる感覚が、言葉の中に深く埋め込まれている。
アラビア語:آسف (āsif)
自分の内側に生じた残念さや悔いを表す言葉。
謝罪は、相手に向かって直接責任を押し出すというより、「そうなってしまったことを悲しむ」感情の表明に近い。そのため、謝罪は一対一で完結しない。出来事は、人と人のあいだを超えて、運命や神の采配の中に置き直される。
誰のための謝罪かは、相手だけに限定されない。
「ごめんなさい」は、相手に向けた誠実な言葉であるはずだ。
けれど言語を見比べてみると、その謝罪が向かっている先は、必ずしも「相手」だけではないことが見えてくる。
場を収めるため。
関係を保つため。
自分の立ち位置を整えるため。
あるいは、出来事をより大きな流れの中に戻すため。
謝罪は、誰かに頭を下げる行為であると同時に、責任や距離をどこに置くかを選ぶ言葉でもある。
だからこそ、「ごめんなさい」を口にするとき、私たちはいつも、無意識のうちに何かを守り、何かを差し出している。
その言葉は、本当に相手に向かっているだろうか?
それとも、場や自分自身に向けられているだろうか?
「ごめんなさい」にはいつも、行き先がいくつも重なっている。
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