多言語観察|右と左 ― 正しさと不吉さの文化 / Multilingual Observation|Right and Left — Where Meaning Falls
【空間の言葉 7】
「右」と「左」。
ただ身体の左右を示すだけの、当たり前すぎる言葉。
左右は、単なる方向ではなく、“正しさ” や “吉兆・不吉” といった、文化が長い時間をかけて編み込んできた価値観までもまとっている。
同じ右なのに、「正しい」を連想する言語がある。
同じ左なのに、「不吉」や「不便」を静かに帯びる言語がある。
今日は、そんな「右」と「左」を見ていこう。方向ではなく、文化の重心がどこに置かれているのかを探りながら。
日本語:右 / 左
右は “正しい・正統” の側を静かに帯びる。「右腕」「右に倣え」など、秩序や規範と結びつく表現が多い。
左には、“主流から外れた側” の響きがそっとにじむ。「左遷」「左前」など、言葉の端に不吉さや不利が混ざる。
社会の重心がどこに置かれてきたかをそのまま映しているかのようだ。
英語: right / left
"right" は方向より先に “正当・正義” を意味として持ち、方向語の方がむしろ “あとから” 寄り添ってきたように見える。
"left" は方向としては中立的だが、"right-handed" が優勢だった歴史背景から、左利きが "awkward(ぎこちない)" と形容されることもあった。
左右は単なる方位ではなく、評価や正当性と密かに重なっているようだ。
アラビア語: يمين(yamīn)/ يسار(yasār)
يمين
祈り・挨拶・食事など、身体の動きの最初に置かれる“祝福の側”。
يسار
日常の動作の中で “慎むべき側” として扱われ、身体と宗教がそのまま方向語に織り込まれている。
左右は、身体の動きと宗教的な秩序が、独特の方向感を形作っているかのようだ。
インドネシア語: kanan / kiri
"kanan" は制度・権威の側に寄り、
"kiri" は周縁や対抗のニュアンスにふれるが、日本語ほど重苦しくはなく、どこか軽やかに社会的ラベルとして動いていく。
フランス語: droite / gauche
droite は “まっすぐ・安定した動き”、
gauche は “ぎこちなさ・構えの不安定さ”。
身体感覚の差が、そのまま社会的イメージにゆっくり染み出していく。
右と左。
ただ身体の左右を示すだけの言葉だと思っていたのに、
その裏には、正しさの重心や、吉兆と不吉、社会の線引きや宗教のしきたりまで、それぞれの言語が積み重ねてきた “価値観の層” が静かに重なっていた。
空間の形だけではなく、どの方向に “意味” が落ちていくのかによっても、同じ世界が少しずつ違う姿を見せてくる。
方向は世界のただの構造ではなく、その言語が長い時間をかけて編み込んだ価値観の “影” を帯びているかのよう。
きっと気づかないうちに、その “方向の癖” は、私たちの感じ方や選び方に、いつの間にか影を落としている。
最後に、あなたへの問いかけを。
あなたにとって「右」と「左」は、それぞれどんな “意味” を帯びていますか?
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