多言語観察|「昨日」と「明日」 / Multilingual Observation|When “Yesterday” and “Tomorrow” Don’t Line Up the Same Way
【時間の言葉 3】
「昨日」と「明日」。
一見、とてもシンプルな時間の区切りだ。日本語でも英語でも、「昨日」は過ぎた時間、「明日」はこれから来る時間として、はっきり分けて考えている。
でも、言語によっては、「昨日」と「明日」がゆらぎ合うように扱われていたり、同じことばで表されたりもする。
「時間はまっすぐ前に進むもの」という感覚そのものが、実はひとつの見方にすぎないようだ。
今回は、以前の観察記録を手がかりに、もう一度「昨日」と「明日」に立ち戻って、「時間はどちらを向いているのか」を観察してみよう。
日本語:「昨日」と「明日」 ― きれいに分かれた直線
「昨日」と「明日」は、きっぱり分かれた二つの区切り。“今” をはさんで、左側が「過去」、右側が「未来」というイメージが自然に共有されている。
時間は、戻らない直線として想像されやすい。
英語: Yesterday, Tomorrow ― 前に進む時間
英語も同じく、"Yesterday"(過去)と "Tomorrow"(未来)ははっきり分かれている。"move on" "go forward" のように、未来は「前へ進むもの」と表現される一方で、"leave the past behind" のように、過去は「後ろに置いていく」ものとして語られる。
時間は「前に向かって進むもの」という感覚が強く言葉に刻まれている。
ヒンディー語: कल (kal) ― 昨日でもあり、明日でもあり
ヒンディー語の "कल (kal)" が「昨日」と「明日」のどちらの意味にもなることは、以前の観察記録のとおり。文脈によって、「過ぎた一日」も「来る一日」も指しうる。さらに "परसों (parsõ)" は「一昨日」と「明後日」の両方を指すもんだから、大変だ。
ヒンディー語では、“今” の前後にある日々を、「過去」と「未来」として分けるのではなく、「すぐ隣にある日」として対に見ている感覚がにじむ。時間は「一本の線」だけではなく、「今」を中心に揺れ動く円や振り子のように捉えているのかもしれない。
トルコ語: dün, yarın ― ゆるやかにめぐる時間
トルコ語では "dün"(昨日)と "yarın"(明日)が言い分けられている。けれど、"bugün"(今日)= "bu (この)" + "gün (日)" のつくりを見ていくと、時間は「今日」を起点に直線的に進むというより、“今” のまわりを円を描くようにめぐっているかのよう。「昨日」と「明日」は、対極にあるのではなく、“今” のすぐそばに並んでいるものなんだろう。
以前見た "son" のように、トルコ語の時間には「切れて終わる」よりも、「今に続いている」感覚があるのかもしれない。
アラビア語:「前」と「後ろ」が反転する時間感覚
アラビア語では、過去を「前」、未来を「後ろ」として表現することがある。既に起きて「見えている」過去は前方に、まだ見えない未来は背後にある感覚。視線の届くものを「前」と捉える発想から考えると、なるほど確かに理にかなっている。つまり、時間の向きそのものが、「何が見えていて、何が見えていないか」という感覚と結びついているんだろう。
日本語や英語では、「昨日」と「明日」はきれいに切り分けられ、時間は「前に進む一本の線」として描かれやすい。
一方で、"कल (kal)" のように「昨日」と「明日」が同じ言葉になったり、過去を「前」、未来を「後ろ」と感じる言葉の世界では、時間はまっすぐ進むだけのものではなく、「今」を中心に揺れたり、対になったり、向きを変えたりするものとして立ち上がってくる。
同じ「昨日」と「明日」を話しているつもりでも、わたしたちは、それぞれ少し違う時間の地図の上に立っているのかもしれない。
今日も最後に、あなたへの問いかけを。
「昨日」と「明日」、あなたはどちらの方が近くに感じますか?
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