多言語観察の裏側|言語を学び始める前に / Behind the Observations|Before I Begin Learning a Language
机に向かう前に、その言語の「音」をただ受け取る。理解できなくてもいい。ただ、少しずつ自分の中に溜めていく。その静かな蓄積が、私の学びの最初の一歩。
これは、多言語観察を始める前の、私の小さな習慣の記録。
新しい言語を始める時、私はすぐに机に向かったり、単語帳を開いたりしない。まずは、その言語の「会話」を大量に浴びるところから始める。
意味はわからなくていい。聞き取れなくていい。覚えられなくていい。
ただ、水がコップに少しずつ溜まるように、その言語の “音” が自分の中に溜まっていくのを静かに待つ。
ある日ふと、「そろそろ、この音で遊びたいな」と思えたら、そこでようやく、あの緑の鳥を開く。
気が向いたときに数分だけ。それを淡々と三ヶ月くらい続ける。
理由は単純で、外国語に触れたときの “無意識の身構え” をほどくのに、そのくらいかかるから。
文法も知らない。単語も覚えられない。独自の文字の言語は、そもそも書けないし読めない。「何もできない自分」に出会う、あの最初のつらさ。そこを越えるまでは、ただ緑の鳥で “遊び続ける”。
三ヶ月くらい続けていると、不思議とその言語に対して身構える気持ちがなくなる。まだほとんど理解できていないのに、“耳になじんだ音” や “目に馴染んできた文字” を、そのまま受け入れられるようになってくる。
その頃になると、「あ、今の、声に出してみよう」と、口が勝手に動く瞬間が訪れる。
そこでようやく Pimsleur の出番。
イヤホン越しのフレーズをそのまま口に返す。間違えても誰も困らないし、誰も聞いていない。移動中の 30 分だけでもいい。聴いて、口に出して、また聴く。
その繰り返しで、その言語のリズムが体に染みていく。
ここからようやく、その言語の「形」を見る段階に入る。
ニューエクスプレスプラス を開き、まずは会話を文字で見る。そして、会話の中で使われている文法の骨組みを眺める。Pimsleur でなんとなく口に出していたフレーズの仕組みが見えてくる。
「あぁ、あの音は、これのことだったんだ。」
まるで、答え合わせをしているかのような瞬間。
すでに少し “音” を知っているから、文法を理解することで、会話の解像度が一気に上がる。
さらにここで、指さし会話帳 を併用する。ニューエクスプレスプラス で学んだ表現や単語が、どこでどんなふうに使われているのかを視覚で受け取ることで、理解が一段深まるし、周辺の単語も自然に覚えられる。
そして何より、見てて楽しい。
そして、Assimil。
短い物語を味わうように読み、聴き、真似してみる。
移動中や家事の合間は、耳を塞がないイヤホンで音を流しっぱなしにする。時々、声に出してみて、音が似せられているか確認。
これを毎日淡々と続ける。
ある程度その言語が自分に馴染んできた頃には、別の言語にも自然に興味がわいていることが多い。
そこでまた、会話を大量に浴び始める。
この繰り返し。
気づけば、この流れが自然にできあがっていた。
複数の言語を学んでいる人なんて、周りにほとんどいない。
英語・中国語・韓国語・フランス語・スペイン語ならまだしも、ヒンディー語やアラビア語は、ほぼ皆無。
だから最初、どうやって学べばいいのか全くわからなかった。
参考にしたのは、ゼロから12ヵ国語マスターした私の最強の外国語習得法(kazu languages著)。
真似できるところは真似して、でもやっぱりkazu languagesのkazuさんのようにはなれないから、自分なりに続けやすく、気持ちよく学べる形に少しずつ整えていった。
今は毎日、日の出前に起きて、7 時過ぎまで淡々と続けている。
しばらく続けているうちに、いくつもの言語の言葉のその向こう側にある文化や感覚に目が向き始めた。「観察」という言葉がしっくりきたのもその頃。
観察して、気づいたことをメモして、整理して、一人でおもしろがった。
観察は、大げさなことじゃない。
ただ「そう見えてるんだな」と受け取って、そっと手元に置いておくだけ。それを続けていると、少しずつ見えるものが変わってくる。
ある日、会社の人に「最近こんなことをやってます」と見てもらったら、思いがけず、一緒におもしろがってもらえた。
— ああ、観察記録って、他の人にもおもしろいと思ってもらえるんだ。
でも、一体誰が一緒におもしろがってくれるのか、当時の私はわからなかった。そんな人たちがいる場所はどこなんだろう・・・と考えた末に、note にたどり着いた。
毎日の投稿は、特別なことじゃない。
耳に残った音のかけら、口の中に残るリズム、目で気づいた小さな風景の違い。それらを机の上にそっと並べるように書いているだけ。
言葉を知る前に、その言語が置いている “呼吸のようなもの” に触れられたら、それだけで十分。
そんな静かな観察の記録が、どこかの誰かの「世界の見方」にふっと風を通す、“こんな見方もあるんだ” の小さなきっかけになってくれたら、私は嬉しい。
※ 多言語観察 目次↓
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