【第八章】 記憶の断片 連載小説 『華恋、海へ還る 〜穂高を愛したマーメイドストーリー〜』
なっちゃんが出勤しなくなってから、店の空気はどこか重かった。
沙耶さんは明らかに苛立っていた。
そして、その怒りの矛先は僕に向けられるようになった。
妹のように可愛がっていた子が辞めたのだから、まあ無理もない。
だが僕には僕の事情もある。
華恋が何者なのか?
先日のジョーズ事件で何が起きたのか?
それらは留美さんと沙耶さん以外には話せない。
あの時の華恋の様子は、ただ怖がっただけではなかった。
何かが引っかかったのだ。
記憶を司る海馬に、一瞬だけ何かの刺激が走ったようにも見えた。
だからこそ、あの時のなっちゃんの態度に対し苛立った件も含めて、僕自身どう接していいのか分からなくなっていたところはある。
なっちゃんは決して悪い子ではない。
ただ人一倍、不器用な子だった。
先代はよく言っていた。
「あの子は親の理想の娘を演じ続けとるんや。もう少し早く寄り添ってあげれていたら・・・。」と。
だから彼は、美里となっちゃんを同時に相手にする時でも、ほんの少しだけなっちゃんを優先していた。
美里には気付かれない程度に。
なっちゃんにも悟られない程度に。
それは決して彼女ばかり甘やかしていた訳ではない。
自尊心の強さが二人で異なっていたので、そういうアプローチしかできなかった。
その表現が正しい。
いつか世界の広さを知り、自分の苦しみだけではなく、他人の苦しみにも目を向けられる人間になって欲しかった。
彼女はいずれ、表現者としてだけではなく、人として大きくなるはずだった。
それが先代から引き継いだ、僕の使命の一つでもあった。
だから色々な場所へ連れて行った。
色々な人と会わせた。
色々な景色を見せた。
もちろん、美里へのフォローも欠かさなかった。
友達とのトラブル。
部活の悩み。
恋愛相談。
気付けば、託児所の月謝をもらってもいいくらいには、たくさんの時間を、店へ遊びに来る子供たちの教育に費やしていた。
そんな先代の口癖がある。
「磨けば輝く原石がそこにいるならよ。いつでも本人が気付いて磨けるように、輝きを増す形にカットして、整えてやるのが大人の仕事やろ?」
「美しく輝くかどうかは、どこまでいっても本人の努力と経験次第。」
「でも、輝ける才能がある事を、本人が慢心しないように伝える事は一筋縄では行かない。その前にどんな壁にぶつかり、どんな失敗を経験するかで、その若者の運命は変わる。調子に乗ったり、勘違いさせたらそいつは終わる。」
僕もその考えを理解し頑張っているが、現実は甘くない。
本人の気付きと周囲の支え。
その二つが絶妙なタイミングで噛み合わなければ、人は変われないし、変わろうとはしない。
だからこそ奇跡なのだ!
ワンピースのイワンコフの台詞じゃないが、
『奇跡は諦めない奴の頭上にしか降りて来ない!奇跡ナメんじゃないよ!』
まさにその通りだと思う。
大「俺もあいつも諦めずに頑張ってきたんやけどなぁ。」
華「何の話ですか?」
大「奇跡の話。」
華「奇跡・・・ですか?」
大「ああ、人材を覚醒させる奇跡や。教え過ぎても自分の力で考えたり行動できなくなるから、ヒントを投げ続け、ある時そいつが気付いてくれたら、自分の力で気付くことで、次は更に高度な事にチャレンジしようとするようになる。・・・それが覚醒や。」
華「なるほど、そういう事だったんですか・・・。」
大「えっ?どういう事?」
華恋は気まずそうに話してくれた。
華「私、ずっと違和感を感じていたんです。」
大「違和感?」
華恋は静かに続けた。
華「失礼な言い方だったら申し訳ありません。」
大「ええよ。」
華「因みにアキラさんって・・・どこか良家の御曹司か何かなんですか?」
大「はぁ?」
思わず素っ頓狂な声が出た。(笑)
華「だって、皆さんが入口のドアを開けて下さったり、食事の準備やお飲み物の確認、あとお仕事も丁寧に教えて下さるじゃないですか?」
大「それは普通やろ?」
華「ですが、アキラさんはそれを当然のように受け取ってらっしゃる気がします。」
大「・・・と、言うと?」
華「だから私は、きっと特別なお家で育った方なのだと思っていました。」
大地は思わず吹き出した。
大「なるほどなぁ〜。日頃からお手伝いさんに何でもしてもらってる人かと思ったわけか?」
華「そうじゃなかったんですか?」
大地は少し真面目な顔になった。
大「あいつ俺や先代の陰口を、よく叩きよるやろ?」
華「よく・・・って訳ではないですけど、たまに愚痴をおっしゃっている事はございました。」
大「あれな、自分の居場所の作り方が下手な男なんや。上司の悪口を言ったら、みんなが共感すると思っとる。」
華「そういう事・・・。」
大「でもな、あいつの自転車見たか?先代がテストライダーとして携わったコーダーブルームと、先代が世界一速いと豪語したエヴァディオに、極めつけは先代が状態の良いフレームが残っていたらそれはお宝や!って言っていた片倉シルク。」
華「アキラさんの愛車ですか?」
大「そう、ガッツリ先代の好みに感化されとんねん。不器用な奴やろ?陰口言ってるくせに、リスペクトとか。」
華「そう思うと不思議ですね。」
大「華恋ちゃんは今、自分の居場所が欲しいと思っとるやろ?」
華「はい。」
大「だから周りをよく観察する。」
華「はい。」
大「みんなに必要とされたいか?」
華「・・・はい、そうしないと自分がここにいる意味を作れません。」
大「それは居場所を失うのが怖いからや。」
華恋は黙って頷いた。
記憶もない。
家族も分からない。
自分が何者なのかすら分からない。
だからこそ、この場所を失う事が怖い。
大地は続けた。
大「でもアキラは違う。」
華「違う?」
大「あいつは今までずっと周りから居場所を与えられ続けてきたんや。」
華「与えられてきた・・・。」
大「一度はサッカーの道を自らの力で勝ち取ろうとした事はあったんやけど、その際はサッカーのルールを知らない大人のエゴが原因で、あいつのせっかくの気付きのタイミングが潰されたそうなんや。そこから考えようとせんようになった。」
華「与えられる事は幸せな事なのではないのですか?」
大「もちろん幸せな事や。」
大地は頷いた。
大「でもな、自分で死ぬ気で勝ち取った居場所じゃなければ、守る事の難しさや大切さに早く気付けないんよ。」
華「あ・・・。」
大「だからあいつは、居場所を守る為に何をすべきなのかが未だに判からんのや。そもそも優先順位の観念が極めて薄いから、自ら損してばかりやしね。」
華恋はようやく理解した。
焼肉の時の違和感。
USJで感じた違和感。
アキラくんだけではない。
美里も、なっちゃんも、みんな優しい良い子だ。
けれど誰もが、どこか受け身だった。
与えられた居場所に安心している。
自分の力で居場所を守る必死さを感じない。
だからある時突然、確立されていたはずの居場所を失った時に脆い。
華「そういう事だったんですね・・・。」
大「なっちゃんはちょっと違うで?彼女は居場所を失う事を恐れるタイプ。でも不器用だから、誰も自分を解ってくれない!って心を閉ざしてしまう危うさが元々あった。」
華「私の場合は記憶もないし、居場所もなかった。それなのに皆さんは深く事情も聞かずに受け入れてくれた。」
大「まあ、俺はどうするのが正しかったのか判断に悩んだだけなんやけど、留美さんと沙耶さんはそういう繊細な部分には口出ししないタイプやから、こういう場合に助かるんよね。」
華「本当にありがたいんです。だからこそ、今度は私が返す番ではないでしょうか?私は日々そう感じながら皆さんと接していたので、私と他の皆さんとの意識の違いに違和感があったんです。」
大「誰もが華恋ちゃんのように、日常の些細な事から違和感を感じて自分を見直せたら良いんだけどね。俺もまだまだ未熟だし、先代も感情のコントロールに苦しんでいたから山に登ったようなもんで。」
華「それで行方不明に?」
大「そう、答えが見つかったのかどうかも、残された俺等には判らない。あいつ、実はどこかで名前を変えて生きていたりしないかな?一発ぶん殴ってやりたいよ。」
華「先代さん、ご無事だといいですね。」
そう、今は華恋の・・・
掃除を率先する。
接客を頑張る。
修理も必死で覚える。
笑顔で挨拶する。
誰よりも素早く動く。
周りの気持ちを一番に考えてくれる。
すると少しずつ店の空気が明るくなる。
お客様も華恋の成長を喜ぶ。
この華恋の頑張りのお陰で、店の人間関係の均衡は保たれていると言っても過言ではない。
ある日の閉店後。
留美さんと華恋と3人で、摩耶交差点にあるココイチにてカレーを食べた時の事。
カフェオレを飲みながら華恋が尋ねる。
華「私、あれから考えたのですが、人の居場所って何なんでしょうか?」
大「最初は与えてもらう場合が多い。でもな、いつまでも与えられっ放しやと、バランスが崩れるものなんや。」
留「バランスを維持する。つまり居場所を守る為に何をするか?それがその人の存在意義になっていたり。」
華「守る為の行動が人の価値を作る?」
大「どこの世界でもそうや。場合によったら、アウェイな環境で命懸けで勝ち取らな、居場所を失う事もある。」
留「つまり与えてもらうだけでは、他力本願に過ぎないの。他人に与えてこそ連鎖が生まれる。」
華「私にもできますか?」
大「えっ?」
華「誰かに居場所を与える事です。」
留「華恋ちゃんはもう、既に与える側になりつつあると思うよ。私もそうだし、他のスタッフも、お客様も、学校帰りの子供たちもみんな幸せをもらってる。最近は店長よりも華恋ちゃんの方が人気が高いくらい。」
華「そんな・・・私なんて、まだまだ全然です!」
大「散歩の途中で遊びに来るワンちゃんたちも、最近じゃ真っ先に華恋ちゃんに挨拶してから他のスタッフに近付くようになってきた。」
留「確かに!もう華恋ちゃんが店のボスって認識かも。」
僕はこんな会話をできる仲間ができた事が幸せだった。
これから他のスタッフも、華恋に影響を受けて頑張りを見せてくれるようになったらいいなぁ〜って。
どこまでも希望的観測。(笑)
ある時、学校帰りの美里が来店した。
華恋と二人で、なっちゃんの家に話を聞きに行こう!って相談する為だった。
まあ結果として失敗しても構わない。
美里や華恋が誰かの為に動こうとした行動こそが全て。
今は解らなくても、なっちゃんの心にその事実が刻まれたならば、いずれはその大切さに気付く時も来るだろう。
そういえば、アキラくんの一言で華恋があるチャレンジを開始した。
華「店長。私、先日のジョーズ事件の事、克服したいと思っているんです。」
大「前向きな事はいい事やね!それなら、まずは恐竜から慣らそうか?」
華「はい、きっと私の過去と何かしら関わりがあると思うので、サメの映画が観れるようになりたいです。」
アキラくんの提案とはDVDやAmazonプライム等で映画を鑑賞すること。
それから連日、仕事が終わった後に、ジュラシックパークシリーズを鑑賞する事にした。
でも僕はジュラシックワールドはまだ見せないようにしようと思った。
ア「店長、ジュラシックワールドはなぜ観ないんですか?オーウェンが頼もしいし、インドミナスレックスや、インドミナスラプトルのヤバさに慣れたら、もうサメも怖くなくなりますよ!」
大「あのな、サメが怖いって気を失った華恋ちゃんにモササウルスはアカンやろ?まだ早い!」
ジュラシックパーク3の【カービー塗装タイル店】の着信音と、水中でも襲ってくるスピノサウルスだけでも十分なトラウマになる。
そこにきていきなりモササウルスは危険かもしれない。
大「華恋ちゃん、ここまでで一番どこが怖かった?」
華「最初の作品でも怖くてドキドキしたんですけど、ロスト・ワールドで、あんなに親切な仲間の人が2頭のティラノサウルスの犠牲になったのが辛かったのと、トレーラーが断崖絶壁から落下する所は息をするのも忘れるくらい緊迫しました。」
沙「凄〜い!華恋ちゃん、もう冷静に分析できるようになってるやん。」
華「でも3は、もう最後まで絶体絶命過ぎて、本当に怖かったです。ラプトルが人間に近い知力とコミュニケーション能力を持っているって定義はすごいですね!」
そんな風に映画の評論大会を開けるようになった所で、僕が導入したのは『MEG』だった。
最初はジョーズか、ディープ・ブルーも候補に考えたのだが、そこはやはり少しでもハッピーエンドになるストーリーの方が良いと思い、ジェイソン・ステイサムに賭けた。
彼の存在感は観るものに安心を与える。
ところが、作中のヒロインともいうべき、メイインという女の子を襲おうとして、海中を一望できるガラス窓にメガロドンが噛み付くシーン。
そこで華恋は椅子ごと後ろに卒倒したのだ。
大「おい、華恋ちゃん!大丈夫か?」
想像以上に刺激が強かったが、何とか留美さんの介抱で目を覚ました華恋。
華「私、思い出しました。」
大「えっ、そうなのか?何を思い出せたんや?」
華「私・・・す、すみません。」
僕と留美さんは顔を見合わせ、改めてこの場に3人しかいないことを確かめる。
大「すみませんって、どうしたんや?」
華「私・・・皆さんとは違うんです。」
留「全然、何も違わないよ?一体どうしたの?」
華「違うんです。私・・・皆さんと一緒に居てはいけない存在なんです!」
(第八章 了)
(第九章へ続く)
(第一章から読み直す)
