【プロンプト・オブ・ハピネス】⑲
第六十三章 再びの共同生活と新たな挑戦
マヤが東京に戻ってきてからの日々は、まるで長い夢から覚めた後のように、現実味と喜びに満ちていた。空港からの帰り道、久しぶりに手を繋いで歩く温もり、そして部屋に戻って再び隣り合わせで過ごす時間は、遠距離恋愛中に感じていた寂しさや不安を一気に吹き飛ばしてくれた。
共同生活が再び始まった。マヤは早速、東京支店の立ち上げ準備に奔走していた。オフィスビルの選定から内装の打ち合わせ、日本での人材採用、そしてスウェーデン本社との連携まで、その業務は多岐にわたった。彼女の持つ語学力と交渉力、そして何よりもその情熱が、東京支店設立という壮大なプロジェクトを力強く推進していく。海斗は彼女の頑張りを間近で見て、改めて彼女のプロフェッショナルな一面に感銘を受けていた。
一方、海斗も大学での最終学年を迎え、卒業論文の執筆に追われる日々だった。彼の研究テーマは、かねてからの目標である「人工知能を活用した機器操作のセキュリティ強化」に焦点を当てていた。マヤの会社での経験、特に今回のハッキング事件は、彼の研究に具体的な方向性と現実的な課題を与えてくれた。夜遅くまで研究室にこもることも多かったが、家に帰ればマヤが待っているという事実が、彼に大きな心の支えとモチベーションを与えていた。
ある日の夕食後、マヤが疲れた顔でソファに沈み込んだ。 「今日は本当に大変だったわ。日本のビジネス習慣って、スウェーデンとは全然違うから、慣れるまで時間がかかりそう」 海斗はそっと彼女の肩を揉み、温かい緑茶を差し出した。 「お疲れ様。でも、マヤなら大丈夫だよ。着実に進んでいるのが僕にも分かる」 マヤは微笑んで、海斗の言葉に頷いた。 「そうだといいんだけど。でも、海斗が卒業したら、一緒にここで働けるって思うと、頑張れるわ」 彼女の言葉に、海斗の胸にはじんわりと温かいものが広がった。二人の未来が、具体的な形を帯び始めているのを感じた。
第六十四章 卒業、そして新たな門出
時は流れ、海斗は無事に東京大学を卒業した。彼の卒業論文は高い評価を受け、大学での学びと、マヤの会社の事件を通じて得た実践的な知識が融合された、まさに集大成と言えるものだった。卒業式の日、マヤは晴れやかな笑顔で海斗の隣に立っていた。二人が初めて出会った入学式の日から、様々な出来事を乗り越え、共に成長してきた証がそこにはあった。
卒業式の後、海斗はマヤのお父さんが設立した東京支店のオフィスを初めて訪れた。都心の一等地にあるそのオフィスは、最新の設備が整い、活気に満ちていた。マヤは既に責任者として、日本のスタッフたちをまとめ、忙しく立ち回っていた。彼女の指示は的確で、日本語も以前より格段に上達していた。
「ようこそ、海斗君!」 マヤのお父さんが笑顔で海斗を出迎えた。 「今日から君は、この東京支店の重要な一員だ。マヤと力を合わせて、アジア市場を切り開いていってほしい」 海斗は身が引き締まる思いで、深く頭を下げた。 「ありがとうございます。精一杯頑張ります」
海斗のデスクは、マヤのデスクのすぐ近くに設けられていた。かつての共同生活のように、仕事でも二人が隣り合わせで過ごせることに、海斗は喜びを感じていた。 その日の夕方、仕事を終え、二人でオフィスを出る時、マヤが空を見上げた。 「ねえ、海斗。まさか、こんな日が来るなんて思わなかったわ」 海斗も隣で同じ空を見上げた。遠距離恋愛の苦悩を乗り越え、再び同じ場所で、同じ目標に向かって歩み始める。それは、二人の絆が本物であることの証だった。
「僕もだよ。でも、これからが本当の始まりだね」 海斗はマヤの手をそっと握った。彼女の温かい手が、彼の未来への決意をさらに強くした。二人は東京の夜景の中を、新しい門出への期待を胸に、手を取り合って歩いていった。互いの存在が、何よりも確かな支えとなることを感じながら。
第六十五章 入社初日の大事件
海斗の入社初日、東京支店には高揚した空気が漂っていた。新しいオフィス、新しい仲間、そして隣にはマヤがいる。希望に満ちた門出となるはずだった。しかし、その期待は、まさに幕を開けようとしていた予期せぬ大事件によって、一瞬にして緊張へと変わることになる。
午前9時、入社オリエンテーションが始まる直前だった。オフィス内のすべてのコンピューターが一斉にフリーズし、画面には不気味なメッセージが浮かび上がった。「我々はシステムを掌握した。全データを人質にとった。要求に応じなければ、すべてを破壊する」。それは、明らかなランサムウェア攻撃だった。
オフィスは騒然となった。日本のスタッフたちは混乱し、マヤも顔色を変えていた。 「まさか、こんな時に……!」 マヤはすぐに状況把握に努める。システム担当者が焦った声で叫んだ。 「サーバーが外部からロックされました!データへのアクセスもできない!」
そのただならぬ空気に、海斗はすぐに反応した。彼は昨日まで学生だった自分を忘れ、研究者として、そしてセキュリティの専門家としての顔つきになった。 「マヤ、状況を詳しく教えてください。どの範囲が影響を受けているのか、攻撃経路は特定できていますか?」 マヤは海斗の冷静な声に、我に返ったように状況を説明し始めた。 「今のところ、東京支店内のネットワーク全体が影響を受けているわ。外部との通信も遮断されている。攻撃経路はまだ不明。たった今、侵入されたばかりよ」
海斗は自分のデスクに駆け寄り、持参していたノートパソコンを素早く立ち上げた。それは、大学での研究のために特別にチューニングされた、セキュリティ解析に特化したマシンだ。 「ネットワークから完全に切り離された環境で、感染状況とマルウェアの解析を始めます。マヤ、オフィス内の全端末の電源を落としてください。サーバー室へのアクセスも遮断するように指示を」 海斗の的確で迷いのない指示に、マヤはすぐに反応し、日本のスタッフたちに指示を飛ばした。そのテキパキとした動きは、まるで彼女自身が長年この状況に対処してきたかのようだった。
「このランサムウェア、かなり巧妙だ。潜伏期間があった可能性がある」 海斗がブツブツと呟きながら、キーボードを叩く指が尋常ではない速さで動く。画面には複雑なコードが流れていく。 マヤは海斗の隣に立ち、彼の作業を食い入るように見つめた。彼女の脳裏には、数ヶ月前のスウェーデンでの悪夢が蘇る。あの時と同じ、いやそれ以上の緊迫感がオフィスを支配していた。
入社初日から、海斗は自身の能力を試される、まさに絶体絶命の危機に直面していた。しかし、その表情に動揺はない。むしろ、瞳の奥には、この難題に立ち向かう研究者としての研ぎ澄まされた集中力と、マヤの会社を守るという強い決意の光が宿っていた。
また、より一般的な音響攻撃としては、キーボードの打鍵音から入力された文字を特定する研究なども進められています。マイクで録音された打鍵音から、高い精度でパスワードなどを推測できるという研究結果も出ています。
さらに、一部では、特定の周波数の音波が人体に影響を与える可能性や、キューバの米大使館で外交官が聴覚障害を引き起こした事件(「ハバナ症候群」として知られる)が、何らかの音響兵器による攻撃ではないかと疑われたこともあります。ただし、後者については、その原因や攻撃のメカニズムについては未だに議論が続いており、確固たる証拠は出ていません。
今回の物語で描写されている「工場内の生産ラインの機器から発せられる奇妙な電子音」による部品欠陥は、MEMSセンサーへの音響攻撃や、特定の機器の制御システムへの周波数干渉など、実際の研究や懸念されている攻撃手法に近いものとして描かれています。物理的な痕跡を残さず、巧妙にシステムを「誤動作」させる点で、非常に高度で悪質なサイバー攻撃と言えるでしょう。
全体のネットワークから攻撃者が残した可能性のあるすべてのバックドアを排除する必要があります。そして、最も重要なのは、攻撃元を特定し、二度とこのようなことができないように対策を講じることです」
海斗は、特殊なカウンター攻撃ツールを準備した。それは、不正な音響信号を打ち消す逆位相の信号を工場内に流し、同時に、攻撃者が使用している遠隔操作用の通信プロトコルを特定し、その通信を妨害するためのものだった。さらに、彼は工場全体のネットワークをスキャンし、隠れたバックドアや脆弱性を徹底的に洗い出すプログラムを実行した。
午前3時。海斗の指示で、マヤが工場全体のネットワークを外部から一時的に遮断するコマンドを入力した。その瞬間、海斗はカウンター攻撃ツールを起動し、工場全体に**サイバーセキュリティの「反撃」**を開始した。奇妙な電子音はピタリと止まり、その代わりに、海斗のツールから発せられる微弱な信号が、工場内のネットワークを駆け巡る。それは、見えない戦いの始まりを告げる、静かな狼煙だった。
つづく
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