『18の怪異』①笑顔のスタンプ
一 笑顔のスタンプ
その晩も、午後十一時を二分ほど過ぎた頃に届いた。
仕事を終えて、風呂に入って、ベッドに寝そべってスマートフォンをいじる。私の一日はいつもそうやって溶けていく。明日も早いし、そろそろ目を閉じよう。そう思った瞬間、画面の上から通知が滑り落ちてきた。
メッセージアプリだった。送り主は英数字を適当に並べただけのアカウント名。中身は文章ではなく、スタンプがひとつ。黄色い丸顔のキャラクターが、両目を細めてにっこり笑っている。
最初に届いたのは二週間ほど前だ。誤送信だろうと気にも留めなかった。誰だって宛先を間違えることくらいある。だがそれは翌晩も届いた。その次の晩も。判で押したように午後十一時過ぎ、同じ笑顔のスタンプだけがぽんと送られてくる。文章は一度もない。ただ笑っているだけ。
さすがに気味が悪くなって、私はそのアカウントをブロックした。翌晩、別のアカウントからまったく同じスタンプが届いた。ブロックする。また別のアカウントから届く。名前は毎回違うのに、送ってくるものはいつも寸分たがわず同じだった。
いたちごっこに疲れて、私はやがてブロックするのをやめた。通知が来ても見ない。見なければいない。そう言い聞かせて、画面の隅で笑っているそれを無視し続けた。
無視できたのは、その晩までだった。
なぜそうしたのか自分でもわからない。その夜はなんとなく、届いたスタンプを拡大してまじまじと眺めてみたのだ。下手な絵だな、と思った。細められた両目をよく見ると、左右が対称ではない。右目のほうがほんのわずかに高い位置にある。デザインのミスだろうか。それとも、わざとだろうか。
画面を見つめているうちに、私はふとベッドから顔を上げた。
理由はない。ただ部屋の窓のほうへ目を向けたくなった。カーテンは横着していつも半分しか閉めない。その隙間から夜の街が見えている。向かいのマンション。屋上の給水塔で赤いランプが点滅している。航空障害灯というやつだ。少し下に、隣のビルの非常階段で常夜灯の白い光がぽつんと灯っている。
ふたつの小さな光。暗闇の中に、ふたつだけ。
右の赤いランプのほうが、白い常夜灯より、ほんの少しだけ高い位置にある。
私は手の中のスマートフォンに目を戻した。
スタンプの両目。右目が左より、わずかに高い。
窓の外のふたつの光の高さと、まったく同じだった。
偶然だと思おうとした。点が二つあれば人は何にでも顔を見てしまう。脳の錯覚だ。そう頭で唱えても、手のひらにじわりと汗がにじんだ。
この笑った顔は、私の部屋の窓から見えるこの夜景を、目に映している。給水塔のランプと非常階段の常夜灯。そのふたつを両目にして笑っている。つまりこの絵を描いた誰かは、私の部屋の窓のすぐ外に立っている。ふたつの光がちょうど両目の高さに見える、その場所に。
毎晩、午後十一時過ぎ。窓の外からこちらを見て、にっこり笑いながらスタンプを送ってくる。ここから見ていますよ、と。
カーテンを閉めようと起き上がりかけて、できなかった。今あの隙間から外を見て、ふたつの光のすぐ手前に黄色い顔が浮かんでいたら。
時計を見た。午後十一時を、まだ二分しか過ぎていない。
ということは、今夜のスタンプは、まだ届いていない。
画面の上から、通知が滑り落ちてきた。
黄色い、笑った顔。だが今夜のそれは、いつもと少しだけ違っていた。両目になっているふたつの光が、ほんの少し大きくなっている。
近づいた、ぶんだけ。
了



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