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砂の上の獣たちyukariyajpさんが興味持ってお題をやってくれたので公開します!6600字ちょっと大変だけど読んでね📖




砂の上の獣たち

第一章 タキ、象の脚にひびを見つける

 むかし、砂ばかりの国がありました。と言っても、みなさんが夏休みに行くような海のそばの砂浜とは、まるでちがいます。ここには海がありません。海というものを見たことのある人は、この国に一人もいないのです。それでも「海」という言葉だけは、ちゃんと残っています。学校では習いますし、書式にも欄があります。ただ、そこに何を書けばいいのか誰も知りません。だから、その欄はいつも空っぽのままです。おかしなことですが、そういうものです。

 この国の空には、金色の帯が横たわっていました。西のはしっこに、いつもです。夕方になっても夜になっても消えません。溶かした金物を地平線にそっと流したような色でした。その上に藍色の空が重なっています。上へいくほど濃くなって、てっぺんはもう黒といってもいいくらいでした。そのふたつの色のさかいめに、白い雲がひとつ浮かんでいました。分厚くて、もくもくと盛り上がっていて、まるで内側からランプで照らしているように光っています。けれども、この雲は動きません。タキが生まれてからずっと同じ形で同じ場所にあるのです。風が吹いても形が変わらない雲というものを、みなさんは想像できますか。タキにはできました。それしか見たことがなかったからです。

 さて、その雲の下に象がいました。象、と言ってしまいましたが、これはみなさんが動物園で見る象とはずいぶんちがいます。なにしろ脚が細いのです。太い箒の柄くらいしかありません。それが四本まっすぐ空へ向かって立っていて、そのてっぺんに山のような灰色の体が載っているのです。見ているだけで足の裏がむずむずしてきます。首を大きく反らせないと顔が見えません。牙は二本とも下へ長く垂れて、先のほうでゆるく巻いていました。鼻はほとんど地面に届きそうでした。届きそうで、届かないのです。背中には金の台座があって、そのまた上に水晶の柱が立っています。中には街じゅうの大事な記録がぜんぶ入っているのだそうです。誰が誰にいくら借りたか。どの井戸が何メートル掘ってあるか。誰が生まれて誰がいなくなったか。そういうことがみんな柱の中にあるのです。どうやって入れたのか。それはわたしにも分かりません。とにかく入っているのです。街の人たちは、それで満足していました。

 その象の後ろの右足――第三脚といいます――の下に、タキが立っていました。タキは十二歳でした。見習いの点検係です。見習いというのは、まだ書式に判子を押させてもらえないという意味です。押すのは主任のシバでした。タキの仕事は脚を見ることと、見たことを声に出して言うことだけです。それでもタキは自分の仕事が好きでした。父は井戸掘りで、地面の下ばかり見て暮らしています。タキは空のほうを見ていられます。これは、なかなか悪くないことだと思っていたのです。

 ところが、その朝の六時十二分に、タキは見つけてしまいました。見つけないほうがよかったものを。膝のところに、髪の毛ほどの細い線が一本走っていたのです。タキは最初それを影だと思いました。第三脚の膝には昔からくぼみがあって、朝いちばんの光が当たると細い影ができるのです。だからタキは巻尺を膝に当てて、いつものように数を読みました。それから、もう一度読みました。それから巻尺を下ろして、指でその線に触りました。指の腹に、かすかにひっかかるものがありました。影はひっかかりません。

 みなさんがタキと同じ立場だったら、きっと同じことをしたでしょう。タキは誰にも言わずに、まずしゃがみこんで顔を近づけました。それから立ち上がって、少し離れて見ました。それから近づいて、また触りました。線は消えませんでした。長さは指一本ぶんもありません。深さは、たぶん髪の毛が一本入るかどうかというところです。それでもタキには分かりました。この線は昨日はなかったのです。タキは七年、この脚を見てきました。父が井戸の底を知っているように、タキはこの脚の表面を知っていました。

 ここでみなさんに、ひとつ断っておかねばなりません。この世界では、脚にひびが入ることは起こらないことになっていました。起こらないというのは、起こさないようにしているという意味ではありません。書式に「ひび」を書く欄がない、という意味です。この国のいちばん大事なきまりを、いま言ってしまいましょう。書く欄がないものは、この世界には無いことになる。これだけです。ばかばかしいと思われるかもしれません。けれども、この国では、これがいちばん確かなきまりでした。百八十年、誰もこのきまりを破りませんでした。

 点検係の書式は、こういうものです。まん中に脚の絵が四つ描いてあります。その横に「寸法」「色」「音」「におい」の欄があります。それだけです。「傷」の欄はありません。「変化」の欄もありません。もし脚に何か起きたら、点検係はどこに書けばいいのでしょう。答えは簡単でした。何も起きないのです。だから欄がないのです。逆ではありません。この国の人たちは、そういうふうに考える練習を、子どものころから積んでいます。

 タキは書式を出しました。膝の上でひろげて、鉛筆をなめて、「寸法」の欄に数を書きました。昨日とおなじ数です。「色」の欄に灰色と書きました。昨日とおなじです。「音」の欄に、こつこつ、と書きました。脚を叩いたときの音のことです。これも昨日とおなじでした。「におい」の欄に、しお、と書きました。第三脚はいつも塩のにおいがします。乾いた、少しつんとするにおいです。四つの欄が埋まりました。書式はもう完成です。どこにも嘘は書いてありません。

 タキは鉛筆を持ったまま、しばらく動きませんでした。紙の下のほうには余白があったからです。手のひらの半分くらいの、何も印刷されていない白いところです。そこに書こうと思えば書けたのです。「膝に線がある」と、たった七文字書けばよかったのです。タキは鉛筆の先を、その余白から二センチくらいのところで止めました。そして、そのままの姿勢で百まで数えました。これはずるいことでした。タキは自分でもそれを知っていました。知っていて、そうしたのです。人間というのは、そういうことをするものです。

 タキは書式をたたんで、脇にはさみました。それから顔を上げました。第三脚は、そこに立っていました。細くて、白っぽくて、上のほうで灰色の体に吸いこまれています。象は動きません。象が動くのは年に一度だけです。そして、その一度が今夜でした。

 その日、街は朝から騒がしくなりました。象が歩く日というのは、この国ではお祭りのようなものです。歩くといっても走るわけではありません。二十四日かけて、次の街まで柱を運ぶのです。それだけのことです。それだけのことのために、街の人はぜんぶ表に出てきます。屋根に登る人もいます。子どもは象の脚に触ろうとして、大人に叱られます。触ってはいけないのです。理由は、誰も知りません。

 昼すぎに、点検係が集まりました。全部で六人です。主任のシバは、いちばん年寄りでした。背中が丸くて、指が黒く汚れています。拓本を取りすぎたせいです。シバの家に行ったことのある人の話では、壁も天井も床も、四十年ぶんの拓本で埋め尽くされているそうです。夜になると紙が鳴るのだそうです。シバはそれを聞きながら眠るのだと言っていました。第一脚の担当はヨウでした。痩せて背が高くて、いつも少し眠そうにしています。第一脚は、じつは貫通しています。真ん中に穴が空いていて、向こう側の景色が見えるのです。それでも折れません。ヨウは十年その脚を見てきて、一度も心配したことがないと言いました。「穴は書式に書けるからな」とヨウは言いました。「寸法の欄に書ける。穴には寸法があるからだ」。第二脚の担当はミナでした。ミナは女の人です。十二年、担当の脚に一本もひびを見つけたことがありません。それがミナの自慢でした。いいえ、自慢ではないのかもしれません。ミナはこう言ったことがあります。「ひびが出るまえに折れる脚もあるのです」。その言い方が、タキは少し怖かったのです。第四脚の担当はゲンでした。ゲンは十九歳で、点検係のなかではタキの次に若い人でした。ゲンはよく笑いました。そして、じっとしているのが苦手でした。この二つのことが、あとになって、とても大事になります。覚えておいてください。

 そしてタキが第三脚です。見習いですから、ほんとうの担当は別にいます。けれども去年その人がいなくなってから、誰も新しく決められていません。書式の「担当」の欄には、まだその人の名前が印刷されたままでした。タキはその名前の下に、鉛筆で自分の名前を小さく書いていました。それは、してはいけないことでした。

 シバが六人の書式を集めて、一枚ずつ見ていきました。タキは自分の書式が読まれるあいだ、シバの顔を見ていました。シバは何も言いませんでした。四つの欄を上から下へ目で追って、それから紙をひっくり返して、裏も見ました。裏は白紙です。点検係の書式の裏には、何も印刷されていません。シバは、その白いところを、たぶん三秒くらい見ていました。それから紙をもとに戻して、判子を押しました。「よろしい」とシバは言いました。「異常なし。六本とも」。六本、とシバは言いました。脚は四本しかありません。タキは聞きまちがえたのだと思って、聞き返しませんでした。あとになって、タキはこのことを何度も思い出すことになります。

 日が傾いても、金の帯は沈みませんでした。この国では日が沈まないので、夜というのはただ空の上のほうが黒くなるだけのことです。街に灯りがつきました。象の腹の下に、人がぎっしり集まりました。腹の下は涼しいのです。象の影の中はいつも外より涼しくて、そこでは時間がゆっくりになります。どのくらいゆっくりなのかは、あとの章でお話しします。いまはただ、涼しいとだけ言っておきます。

 そして、象が脚を上げました。みなさんは、山が動くところを見たことがありますか。たぶんないでしょう。わたしもありません。けれども、あれはそういう感じでした。第一脚がゆっくりと砂から離れました。音はしませんでした。人々は誰も声を上げませんでした。毎年のことだからです。タキだけが上を見ていませんでした。タキは自分の脚を――第三脚を――見ていました。第三脚が砂から離れました。そして、そこには何も残りませんでした。

 これは、ぜひ覚えておいてください。象は歩くのに、砂がへこまないのです。あんな大きなものが乗っていた場所に、くぼみひとつできません。砂の粒はひとつも動いていません。象の脚があった場所と、その隣の何もない場所は、まったく見分けがつかないのです。街の人たちは、これを不思議だと思っていません。そういうものだと思っています。教科書にはこう書いてあります。「象は軽いので、足跡が残りません」。象は軽くありません。それは誰でも知っています。けれども教科書にそう書いてある以上、それでいいことになっているのです。

 タキは膝をついて、砂に手を当ててみました。砂は温かいのでした。そのとき、ふと思ったことがあります。もし象の脚が――あの塩のにおいのする細い脚が――砂の上に立っているのではないとしたら。もっと固い何かの上に立っているのだとしたら。それなら足跡が残らないのも、当たり前ではないでしょうか。タキはそこまで考えて、考えるのをやめました。そういうことは、書式に書く欄がないのです。

 一行だけ、書いておきましょう。この夜、タキの膝の外側には、まだ何もありませんでした。線が入るのは、もう少しあとのことです。けれども、みなさんはもう気づいておられるでしょう。象の脚にあった線と、タキの膝にこれからできる線は、まったく同じ形をしています。わたしは、これを早く言いすぎたかもしれません。けれども、隠しておくのは、なんだか卑怯な気がしたのです。

 象は歩きはじめました。二十四日の旅です。点検係は六人、影の中を歩いていきます。いいえ、五人でした。六人ではありません。数えまちがえたのは、わたしのほうです。

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